藤本の日記

兵庫に住む男子大学生が書くブログです。

最近「世界の果てまでイッテQ!」の視聴率が高いのは、YouTuberのおかげだと思う。

 

こんにちは、藤本(@Kentaro_Fujimo)と申します。

 


「世界の果てまで行ってQ!」の勢いが止まらない。2007年2月の番組スタートから今年で丸10年。ここに来てのさらなる躍進とは、頭が下がる。

 

しかし、こう言ってはなんだけど、別に何かが急に変わったわけではない。何ならむしろ、「ベッキー」という看板娘を欠いて、戦力的にはダウンしたはずだ。

 

なのに、視聴率は右肩上がり。だから僕は、視聴率がここに来て上昇してきた要因は、外部的要因、具体的に言うなら「視聴者がイッテQ!のスゴさに改めて気づき始めた」ことだと思う。

 

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引用/同番組HPより

 

ではなぜ、皆が「イッテQ!のスゴさ」を改めて認識し始めたのか?これについて僕は、「YouTuberの盛り上がり」が最も大きな理由だと考えている。

 

YouTubeで若者に特に人気なのが、「やってみた系」YouTuber。みんながやりそうでやらなかったことを、実際にやってみて動画にまとめる。

 

人気YouTuberの一人、「はじめしゃちょー」。

 

僕もスキマ時間などに楽しく見させてもらっているが、そんな時、皆ふと気づいたに違いない。

 

 

 

「あれこれって、もっと大きい予算で、もっと大きい規模で、どっかでやってなかったっけ?」

 

 

 

そう、それこそがテレビだ。テレビなら、YouTuberのやっている何倍何十倍の規模・予算で、企画を組むことができる。そして、ノイジーマイノリティに負けず、テレビの中でも攻めた企画をし続けていた「イッテQ!」が、ここにきて再評価されているのだと思う。

 

僕も含めた多くの人は、ようやくこの事に気付いたけど、社会派ブロガーことちきりんさんは、3年も前にこのことを指摘していた。

 

 

要はテレビの低迷について考える時、「コンテンツ」と「フォーマット」は分けて考えなければならない。今のテレビ低迷の大きな要因は、利便性に欠ける「フォーマット」の方にあって、「コンテンツ」自体はネットと比較して格段にクオリティが高い。

 

現状、問題アリアリのテレビの「フォーマット」だけど、そこは「録画」で対応できないわけでもない。

 

つまり、これから「一視聴者」として面白い「コンテンツ」を探す場合、僕たちはテレビを「オワコン」だなんて揶揄してそのままなのは勿体無い。一番美味しいのは、ネット、テレビといった「フォーマット」にこだわることなく、純粋に「コンテンツ」だけをフラットな目で比較することだと思う。そう考えると、テレビもまだまだ捨てたもんじゃない。

 

 

 

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「言葉を使いこなして人生を変える:はあちゅう」

 

こんちには、藤本(@Kentaro_Fujimo)と申します。

 

言葉を使いこなして人生を変える

言葉を使いこなして人生を変える

 

 
はあちゅうさん、めちゃくちゃ彼氏といちゃいちゃしていた。のが十分くらい伝わってくる、ノロケ話が満載の1冊だった。

 

普段、ツイッターや恋愛に関する記事でも、全くと言っていいほどパートナーの存在を匂わせていなかったから、そこの表情のギャップに驚いた。

 

そしたら先日、何かのイベントレポートみたいな記事で、少しだけそういった発言をしていたから、「ああ、普段は意識的に彼氏の話は控えてるのかな」と感じた。

 

と思っていたら、まさか書籍の中で爆発していたとは。。多分、ツイッターや記事などで彼氏に関することを言ったら、「リア充自慢するな」と暇人アンチから怒られたり、そのパートナーの方にも迷惑がかかるかもしれないのがイヤだったり、いちいち付き合っただの別れただのを世間に報告して反応されるのは面倒くさいからだと思う。

 

ところで、はあちゅうさんのノロケ話を読みながら思った。「本当に大事な情報や意見は、どんどん無料では入手できなくなりつつあるな」と。

 

みんながすぐに燃やして議論どころじゃなくなるから、大事な情報や意見は、どんどんとクローズドなコミュニティ内だけで共有されるようになってきている。その際、そのコミュニティの内外を隔てるものは「お金」であることが多い。それが手っ取り早いし、分かりやすいからだと思う。

 

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「お金」で隔てるコミュティ

 

昔からある形態でいうと「講演会」がそれにあたるけど、いちいち同じ場所に集まってライブでやるのは大変。今なら、有料noteや有料メルマガ、オンラインサロンなどが主流になっている。「書籍」も昔からあって今も有力な情報入手手段だけど、主や同志との継続的な関係が築きにくいのが、少し難点。

 

はあちゅうさんも堀江貴文さんも西野亮廣さんも、みんな「本音」を吐き出すホームタウンを、しっかり確保している。「炎上芸人」などと揶揄している場合ではない。彼らはみんな、本当に大事なことはオンラインサロンでしゃべっている、に違いない。誰のにも入っていないけど。

 

少なくとも、それくらいの気構えは必要だということだ。「無料で」手に入る情報が、すべてではない。そして、本当に大事な情報、ないしはそこの主や他のメンバーとの濃密なコミュニケーションを求めるなら、その「対価」、主には「お金」を支払うんだという心づもりをしておくべきだ。

 

めちゃくちゃ前置きが長くなったけど、ようやくここからが本題。ノロケ話以外、ここまで全く本の内容に触れていない。

 

この本は、1冊を通じて何か特定の一つことを訴えるという感じの本ではない。月刊はあちゅうツイッターからエッセイ&コメントを抜粋して加筆修正し、そこから書き下ろしも加えられて完成した本だ。「言葉」というテーマの一貫性はありつつも、2~3ページ毎にどんどんと内容が変わっていく。

 

さすがにタイトルが「言葉を使いこなして人生を変える」とだけあって、僕の琴線に触れた「言葉」が幾多もあった。多すぎて、「ほぉ~」と唸った文章にマーカー引いていたら、マーカーだらけになりすぎて、勉強できない中学生の教科書みたいな感じになってしまった。今回は、その中でも特に印象に残った場面を3つ。

 

①「時間の有効活用」病にかかってしまうと。。

 

時間を有効活用しなければ、というのが強迫観念になると、生きる気力がどんどんそがれていく。(中略)小説を読む時間。映画を見る時間。恋愛で悩む時間。ご飯をつくる時間。花をめでる時間。友人と過ごす時間。家族との時間。……こういうことが無駄になるのなら、別にコンピューターか何かと変わらないわけで。感情もいらないわけで。全部サビの歌がないように、全部サビの人生もないはず。緩急あるからサビが盛り上がって、何度も繰り返し聴くうちに、サビ以外のメロディーの美しさに気づける。

 

今は物理的には会社員のときほどに忙しくはないのだけど、その分、誰も管理してくれないから、なんとなく時間を節約して、余裕を残そうとしてしまうあまりに時間貧乏になってしまうところがあって、思い通りにならないときはイライラしてしまうし、電車を逃したり、タクシーが道を間違えたりするとついつい時間を奪われた気になってしまって、

 

今の時代、何か目的を成し遂げるのに一番足りないのは技術でも、お金でもない。「時間」だ。「Time is money」ではなく、「Time is more important than moeny」。堀江さんなんかは、普段からも口酸っぱく「時間の有限性」を訴えていて、僕ももっと人生の残り時間に敏感になろうなろうとしている真っ最中だ。

 

でも、このはあちゅうさんの文章を読んで、突き詰めすぎるのも考えもんだなと思った。僕自身はまだまだAメロを過ごしている時間が長いし、時間リッチだしで、もっともっと時間の過ごし方を洗練させていかないといけない。けどこれから先、どれだけ時間を突き詰めることがあっても、時間に追い詰められるような人生だけは良くないなと思った。

 

②「書くこと」に惚れられた、はあちゅうさん。

 

「書くために生きてるんだろうか」という思いと、「生きるために書いているんだろうか」がぐるぐると頭でいつも回っていて、書くことで誰かを傷つけることがあるとして、それによってまた、自分が傷ついても、それでもまだ書こうと思う人。

 

生きることと書くことがどうやっても切り離せない。書くことで生かされ、書くことで傷つく。希望と絶望が交互にやってくる日々。書くことに呪われたというよりは、見込まれた一生だと思って、この人生をやり切りたい。

 

 はあちゅうさん、普段からバンバン燃やされてるから、それに負けない鋼の心を持つ強い女性なのかと思っていたら、そうではなかった。とても繊細な心の持ち主で、紙一重のギリギリでいつも生きている方だった。

 


Real Face

 

叩かれては落ち込み、書けなくなっては落ち込み、死にたいと思うこともあるけど、どうせ死ぬならその前に何か成し遂げてから死んでやると思って、再びキーボードを叩く。

 

僕は普段、全く小説やエッセイを読まないのでその界隈の著者に詳しくないのだけど、みんなこんな感じなのだろうかと思った。例えるなら、止まらない感情のジェットコースターに乗ってる感じ。たまに危うく墜落事故で帰らぬ人になってしまいそうになりながらも、グラグラ揺れる今の感情を、忘れないうちに書き留める。そして吐き出す。

 

本当にはあちゅうさんは、ずっと書き続けている。大学生の頃からブログで著名になり、ツイッターでも毎日つぶやいていて、著書もこれまでに50冊以上出している。noteも販売している。多分、これからもずっと書き続けるのだろうなあ。「書くことに見込まれた一生」は、言い得て妙だなと思った。

 

③「本当に好きなこと」の見つけ方。

 

何事にだって、「過剰」のラインがある。ここ数日は、「ゴシップガール」にはまっていたのだけど、シーズン1を2日間で見終えて、さすがに疲れた。でも会社員時代は、こういうときに、「飽きるまでやる」ってことがなかなかできなかったから、嫌になるまで何かをやると幸せを噛みしめている。どんなに好きなものも、飽きるまで徹底的に付き合うとあきらめがつくから、「飽きるまでやる」環境整えて習慣にすると、本当にストレスが減っていく。

 

今、時間がない中で、やっていないなら、たいして好きなことじゃないから、きっとやらないほうがいいと思う。それから、「あんなことやりたい」「こんなことやりたい」という夢は意外にも、1週間くらい休みをとって徹底的にやってみれば、自分の中で消化されたりする。映画死ぬほど見たい、漫画死ぬほど読みたい、話題の店食べ歩きたい……、会社辞めてでもそういうことがしたいと思ったら、まず1週間、それでも足りなかったら1ヵ月、有給取ってやり倒してみたらいいと思う。1ヵ月もやり倒せば、たいていのことには飽きるのだけれど、飽きなければそれは本当に、自分が情熱をかけられるものだと思う。「好きな気持ち」だけあって、今残念ながら形になっていないことでも、今日から始めれば、土台ができる。どんなことにも最初があるから、好きなことはまずやってみて、やりながら、仕事にする方法を考えたらいい。

 

 今、「好きなことを仕事にする」という言説が流行っている。今は流行っているだけだけど、これからはそれが普通になっていくような気がする。でも、それはそれで多くの人が困ってしまう。やりたいこと、好きなことってなんだ?

 

 

そんな時、このはあちゅうさんが紹介していた方法はスゴくいいと思う。ウジウジしてないで、とにかくやってみる。短期間で、徹底的にやってみる。満足したならしたで、それでいいし、まだし足りないなら、それがもしかしたら自分が「本当に」好きなことの有力候補になる。飽きても飽きなくても、どっちでもハッピー。これ、すごくいい方法だと思う。

 

 

 

 


僕もこれから、「言葉」を使いこなして人生を変えていきたいと思う。

金儲けして億万長者になりたいなら、ポジティブシンキング野郎より、不平不満ビンビンに感じる奴の方が都合いい。

 

こんちには、藤本(@Kentaro_Fujimo)と申します。

 

 

突然だけど、これは僕の記念すべきブログ第1号のエントリだ。半年以上前に書いた。

 

タイトルは、「富と名声を得るには、武藤遊戯になる必要があると思う。」。ブログはタイトルが大事とか聞いたから、一発目ということで気合い入れすぎて、ひねり過ぎた。我ながら、タイトルだけではどんな内容なのか、さっぱり分からない。

 

簡単にいうと、精神状態の理想的なバランスというのは、「驕り高ぶっている」状態と「卑屈」の状態を、シーソーのように揺られながら、その間を行き来するのが良いという話だ。当時は頭の中の考えを言語化できるほどには整理できておらず、書き始めてから完成させるまでに2ヶ月ほどかかった。

 

最近、世間は何にでも白黒はっきりつけたがるけど、世の中、そんなにわかりやすく着色できる話はない。たいていの物事はグレーで、あるのは濃淡の違いだけだ。

 

哲学においても、僕が先述の処女作で書いたように、常に相反する概念を「両方」身にまとう必要がある。どちらか片方ではなく。例えば先日、堀江貴文さんは「儲け話のリスクを最小限に抑える工夫とは?」というテーマに関する記事で、下記のような心構えの仕方を述べている。

 

身に降りかかりそうな危険の回避と、リスクの向こうにあるチャンスを取りに行く勇気。この相反する決断を繰り返していけば、本当に「ヤバい」ものを嗅ぎわける嗅覚が身につくはずだ。

 堀江貴文氏 儲け話のリスクを最小限に抑える工夫とは?│NEWSポストセブン より引用

 

前置きが長くなったけど、つまり、今回僕はまた最近新しい哲学を閃いたということだ。ちなみに、連続してあと2つくらい思いついたけど、今回は現時点で1番言語化できそうな話を、ブログに残す。

 

その哲学とは、「金儲けして億万長者になりたいなら、ポジティブシンキング野郎より、不平不満ビンビンに感じる奴の方が都合いい。」である。

 

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そもそもの前提として、僕は長らくの間(約10年)、ポジティブシンキング男としてやってきた。その大きなきっかけというのは、今でも覚えているのだけど、日曜夕方のお茶の間の主役の夫だ。つまり、マスオさん。

 

どういうことかというと、多分、その回のテーマが「物は考えようだ」みたいな感じだった。それで、ある日の朝ノリスケさんか誰が一本電車に乗り損ねて、悔しがっていたところ、隣にいたマスオさんがノリスケさんに「君が今乗り損ねた電車、少し先で事故を起こしたみたいだよ」と言う。ノリスケさんが驚きと同時に少しホッとしたような表情を見せると、マスオさんは「嘘だよ」と言い「物は考えようだよ」といったような台詞を残す。

 

マスオさんの嘘が、今の炎上時代にはすぐ不謹慎だと叩かれそうなことだけが少し心配だけど、なんせ僕はあの時、あのマスオさんの考え方が妙に印象に残った。そして、マスオさんの言う通り、「あっ、物事は考えようなんだな。なんでもポジティブシンキングでいかなくちゃ」という僕が芽生えたのである。

 

この考え方を一度身につけてしまえば、精神的な負担はかなり楽になる。なんてったって、自分の身に降りかかること、なんでも自分にとってプラスのことなんだから。一見、どんなに悪いことが起ころうとも、「神様が僕に与えてくれた試練だ」「人生経験としてこれは貴重なものだ」とか思えば、なんでも有り難くなってくる。

 

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「ポジティブシンキング、最高だな!」とか思っていながら呑気に過ごしていたのだけれど、最近「いや、ポジティブシンキングも諸刃の剣だな」という考え方に変わってきた。理由は、僕が就職、というか、「儲けること」を考え始めたからだ。

 

バイトで駒の一部となって働くのではなく、実際にアイデアを企画提案をしてお金を稼いでいくことを考えた時、「不満がない」というのは致命的な問題になる。多くの発明は、人々の不満から生まれる。何か不便なことや不満なことがあってそれを解決しようとする時、ビジネスチャンスは生まれるのだ。しかし、ポジティブシンキングの名の下にのほほんと暮らしいていると、そこの「気づき」を見過ごしてしまう。

 

じゃあどうすればいいのか。僕はこれから、一旦は素直に「不満」を認識しようと思う。「今、おれは不満を感じている」と。それで、それは今すぐに対処して解決できるものなのかどうかを考える。できるなら、それでおわり。できないなら、そこに「ビジネス」の種が隠されているかもしれない。

 

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多分、今までの僕はここで「今すぐには解決できない」と感じたら、無意識にポジティブシンキングに切り替えていたんだと思う。自分を不快感から守るために。

 

そうではなくて、「今すぐには解決できなくても、何か新しい手段や工夫を講じることによって、解決できるのではないか」という思考回路に転換する。

 

その上で、もうどうにもならない不満、例えばもう終わってしまったことや不可抗力などは、十八番のポジティブシンキングで乗り切る。今考えた限りでは、この処理の仕方が一番いいのではないかと思う。

 

目の前の不快不満から逃れるために、これまでの僕は知らない間に多くのビジネスチャンスを逃していたかもしれない。これからは、一旦その「不満」を受け入れようと思う。そこに僕と同じようなことで困っている人がいて、それを助けることによって少しでも暮らしやすい社会になるのなら。

 

いや、そうなると仮に不満を感じるような出来事に出会っても「よし、この不満はビジネスに繋がるかもしれないぞ!」と喜んでしまうかもしれない。一度染み付いたポジティブシンキングは、なかなか抜けないなあ。

そうさ人生、生きてるだけでまるリスク

 

こんにちは、藤本と申します。

 

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みなさん、「IMALU」という、日本のタレントを知っているだろうか。そして、彼女のお父さんと、彼女の名前の由来は知っているだろうか。

 

早速答えを言ってしまうと、彼女のお父さんは明石家さんまである。そして、名前の由来は「生きてるだけでまるもうけ」という言葉を、いい感じに省略したものである。

 


BEGIN with アホナスターズ/笑顔のまんま

 

僕も基本的には、確かに「ああそうだな」とは思うのだけど、最近、そうでもないな、一歩間違えたらとんでもないことになるな、という風に思うことがたまにある。

 

今、TVで「AI」というワードを聞かない日はない。少し前は「福原愛」だったけど、今は「エーアイ」だ。福原愛さん、結婚おめでとうございます。

 

なんか、とりあえずAI言っときゃ時代に乗ってるだろみたいな今の雰囲気があんまり好きじゃない上に、僕自身が本質まで細かく理解できてるわけではないのであまり使いたくはないのだが、使う。今日はめっちゃ使う。

 

これからの時代、AIによって今ある仕事の多くはなくなる。言い方としては「AIがしてくれるようになる」という方が、正しいのかもしれない。

 

AIにできるような仕事を人間が死守するためには、AIより優秀に働くか、AIの導入コストより低賃金でで働くしかない。今、技術的にはAIに任せても問題ないのに、人間が未だにやっている仕事の大半は、後者の理由によるものだ。

 

だから、今バイトの時給なんかがジワジワと上がっているのは、一見するとお金がたくさんもらえてヤッターって感じだけれど、あれは同時に、自分の賃金がAIの導入コストを上回る日に着実に接近している軌跡でもある。

 

では遠くない未来、本当にAIに仕事を任せて無職になった時、僕たちはどうすればいいのだろうか。ちなみに、多くの人にとって困るのは、仕事がなくなることそのものではない。それと因果関係によって結ばれている、「お金がもらえない」という事態の方が深刻なのだ。

 

だけど僕が思うより深刻な事態は、そのもう一個先にある。「お金がもらえない」ことよりも、「時間の過ごし方がわからない」という事態の方が、多分やばい。

 

お金は、どうにかなる。それこそ、AIなんかを導入したり、その他の技術発展などによって、これからの時代、ますます生活コストは下がっていく。だから、必要最低限の食って寝てをするぶんには、そんなにお金は要らない。そして、その少しのお金すらもベーシックインカムでもらえる可能性がある。だから、問題は「お金」ではない。「時間」の方なのだ。

 

「いかに時間をつぶすか」。これが、これから僕たちが真剣に考えていかなければいけない問題だ。「1日28時間ほしい~」とか言ってる女子大生は、恐らく絶滅危惧種に指定されるであろう。

 

インターネット的 PHP文庫

インターネット的 PHP文庫

 

 

糸井重里さんは、著書「インターネット的」の中で、これから求められるのは、「消費のクリエイティブ」だと言う。作る側がいかにクリエイティブに発明しようとも、消費者側にそれを受け入れるクリエティビティがなければ、それは成立しないと言うのだ。

 

消費者に渡ってはじめて、それは「商品」になる。以下、糸井重里さんのわかりやすい例えと、うーんと唸らせる言葉。

 

コドモは、そんなにメニューを知らないわけですね。経験の総量が足りなければ、欲望の生まれようがない。若い人がお金が入ったら焼き肉を食べるというのも、急に大金を手にした人がみんな超高価なスポーツカーを買うのも、それ以外に思いつきようがないという「欲望の貧困 」かもしれません。

 

願うこと、欲望を持つことは、ほんとうは、けっこう難しいことなのですね。お金をたくさん集めたい、というのは欲望のようですが、実は「そのお金で何がしたいか」がわからない。

 

これからの時代、僕たちが考えなければいけないのは「時間の潰し方」。それはほとんどの人にのとって、ニアリイコールで「遊び方」ということになる。僕たちは、真剣に遊ぶ方法を考えなければならない。そんなバカなようで切実な問題が、今僕たちの目の前に立ちはだかっている。

 

 

 

 

 

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今夏の日テレ24時間テレビランナーの当日発表に、時代錯誤しか感じえない件。

 

こんにちは、藤本と申します。

 

 

昨日、「行列のできる法律相談所」を見ていたら、上記の内容が番組内にて発表された。

 

今までは5~6月くらいにランナーが判明して、そこから練習してという流れなのだが、今回は当日発表とのこと。理由は単純に「そっちの方が面白いから」らしい。

 

いやー、なんかセンスないなあ。TVの傲慢さしか感じないなあと思ってしまった。当日発表にすれば、みんながその日までランナー誰なんだろうとワクワクしてくれるなどと思ったのだろうか?

 

これまでの慣例を壊して、新しい試みをするのは良いことだと思うけど、その新しい試みが時代の流れとは逆行してるんじゃなかろうか。

 

今の時代、個々の趣味嗜好は多様化し、情報も身の回りにあふれている。家族全員が揃ってTVの前にかじりついている時代はもう終わった。

 

それにも関わらず、今回の24時間テレビの施策は、一昔前のお茶の間をイメージしているような感じがする。

 

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これからは、情報は公開してなんぼだ。隠してたって、誰も探しに来てくれない。自分から見せびらかせにいかなければならない。出しまくって、ストーリーを作って、親近感を感じてもらわなければならない。だから、ランナーが決まったならば、順を追ってトレーニングの様子は出していかないといかない。そういう意味では、従来の方式は時代に合致しているとも言える。

 

今ではすっかりお馴染みの「クラウドファンディング」もその手法の一つだ。あれは単に「資金集め」という目的もあるが、それ以上に「共犯者作り」という広告面の意味合いの方が強い。自分が支援したアーティストの作品は買いたくなるし、レストランには食べに行きたくなる。いかに身近に感じてもらって、いかに「自分ごと化」してもらうかがカギなのだ。

 

確かに現時点で情報が少なすぎるため、なんとも言えない面も否めない。TVの感じだと、各候補者にトレーニングメニューを渡しているようだから、当日発表の前に、芸人さんなんかのトレーニングの様子が、ちょっこっとは放送されたりなんかはするかもしれない。それもそれで面白いだろうけど、そこらへんのことは現時点ではわからない。

 

ただ、とりあえず現時点で言えることは、今回の「当日サプライズ発表」という方式は、今の情報過多の時代には合致していないということだ。

 

 

 

 

 

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半年間の留学生活で感じた、日本と台湾の「サービス」に対する意識の差

 

こんにちは、藤本と申します。

 

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台湾の観光名所「台北101

 

僕は先月まで台湾に半年ほど留学に行っていたのだけど、そこでは日本と比較して「サービス」に対する大きな意識の差を感じた。

 

しばらくすると慣れたけど、来た当初は台湾での飲食店のサービスレベルの低さに驚愕した。なんせ、ウェイターにヤル気がなさすぎる。料理を運ぶ以外の仕事をまったくしない。暇になったらレジでかがみ込んでスマホゲームをしている。とにかくげんなりした。

 

けど、しばらくして色んな飲食店に行くようになって気付いたけど、台湾で少し単価の高いお店に行くと必ずあるのが「サービス料10%」。日本では本当に高いお店でしか請求されないから、学生の僕にはあまり馴染みがないけど、台湾では普通にバンバンサービス料を請求される。

 

でも、そういうお店に行くと日本の飲食店の雰囲気を少し思い出す。そもそも水が無料で用意されている(台湾の個人でやっているような小さいお店では、水が有料、もしくはそもそも店に水が用意されていなくて各自持参というケースも珍しくない)、そして水がなくなったら注ぎに来てくれる、机やイスがキレイなどなど。

 

こんな(日本では)当たり前のことが、台湾ではとっても快適に感じられる。同じくインドネシアから留学してきていた子に聞いてみたところ、彼女の国では台湾以上に店に無料でお水が置いてある店が少ないそうだ。つまり、このことが他店との差別化要素になる。

 

日本では「サービス」=「無料」というイメージが定着しているけど、海外では「サービス」=「料理とは別物」、「料理とは別にお金を頂戴するもの」という認識なのかなと感じた。

 

日本のこの贅沢過ぎる当たり前が日本のサービス業の生産性を損なっている一因にもなっていると思う。ただ、これによって日本の快適な生活が担保されている面もあり、一個人としては非常にどうするかは難しいところではあるけれど。。

 

ただ、客観的な正論としてはやはり、日本人も「サービス」=「有料、別料金」という認識をもち、店側もそれを料金に反映させていくべきなのかなあと思った台湾での日々。

 

こういう影響を受けてなのか、日本に帰ってきてから高いレストランとかを見かけると、なぜか嬉しくなる。これがいい傾向なのかどうかとかは分からないけど、嬉しくなるだけで、実際に入るわけではない。

 

 

 

 

 

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「個人が声あげられる」時代にこそ求められる、「声上げられない」人に思いを馳せる力。

 

こんにちは、藤本と申します。

 

  • 「電車で制汗シートを使わないで…」近くで揮発するだけでも呼吸困難になるアルコールアレルギーの恐怖

http://buff.ly/2uzE83A

 

  • 同僚の体臭で頭痛や吐き気…通院費用の請求はできる?

http://buff.ly/2h13Lan

 

先日たまたま、上記2つのツイートと記事を同日に見つけた。最近、1つ目のような悲痛な心の叫びツイートのようなものをしばし見かける。そして、よくリツイートされている。

 

よくリツイートされてるからこそ、僕のタイムラインにも回ってきているのだけど、その際、僕自身は読むぶんには読むけど、あまりそれをリツイートする機会はない。なんかこう、「今まで可視化されなかったマイノリティーの声=正義!」みたいな感じがツイートからプンプンと漂っているのが少し苦手だ。

 

汗拭きシートに含まれているアルコールを体が受け付けないという前者のよう方がいれば、後者の方のように同僚の体臭に悩んでいる人もいる。

 

ネットとSNSによって、個人が声をあげやすくなった。これ自体は、良いことだと思う。組織や企業に頼らなくても、意欲や能力のある人が力を発揮しやすくなった。

 

ただ、声をあげたもん勝ちみたいになるのは、あんまり好きじゃない。汗拭かれて困る人がいる一方で、汗拭かれなくて困ってる人もいる。

 

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じゃあ、どうすればいいのかなんて答えは、僕にはわからない。ただ、それなら両方とも黙っとけばいいのかと言えばそれは寧ろ逆で、困ったり悩んでることがあるなら、一旦は両方とも声に出してみるのがいいんじゃないだろうかと思う。とりあえず声に出してみて、皆に聞いてもらって、そこから考えればいいと思う。それでもし、取るに足らない話ならそのままでいいし、重要な問題なら皆で考えればいい。例えば最初の汗拭きシートの話なら、駅のホームで待っている間に済ませてもらうとか。

 

結局、僕は前者と後者、どっちの味方なんだとかそういう話ではなくて、つまり、僕が言いたいことは世の中には色んな人がいるってことだ。それは、汗拭きシートを使ってほしくない人がいたんだ!じゃなくて、使ってほしい人も使ってほしくない人もいるんだ!ってこと。

 

だから僕は、これからも個人が声あげてバズったツイートが流れてきても、なかなか気軽にはリツイートしないと思う。他にしてくれる人は山ほどいるし。ただ、もし仮にそのリツイートのボタンを押すときも、その背後に隠れている、「まだ見ぬ困っている人」の姿も想像しながら、慎重にポチりたいと思う。

 

 

 

 

 

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