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藤本の日記

関西に住む男子大学生が書くブログです。

「立命館論文pixiv晒し上げ」問題について、学者でもpixiv住人でもない一般人の意見を提示しておく。

かきくけこんにちは、藤本です。

 

数日前から話題になっていたようだけど、僕がTwitterでフォローしているしている人達の中に、そういったクラスタの人があまりいなかったからなのか、全く知らなかった。

 

というのは、この件である。昨日の夜に知った。

 

【追記あり】「モラルを疑う」pixiv上のR-18小説を“晒し上げ” 立命館大学の論文が炎上 今後の対応は
http://buff.ly/2s8RFMX
 
立命館大学の研究者による「pixiv論文」の論点とは──“晒し上げ”批判はどれほど妥当なのか
http://buff.ly/2s8Hw2S

 

今回の騒動の経緯や論点整理などは、上の2つの記事で整理されているので、ここでの説明は、面倒くさいし省略する。というか、今回の件、説明しようとする時点で語彙のチョイスや言い回しなどに、その人の意見がもろに反映されてしまいそうな気がするので、以後の文章が「概略説明兼意見主張」となる。

 

この件に関しては、最初は簡単に100字くらいで要約して、上記の2つの記事のどちらかのURLを一緒に貼り付けてツイートして終わりにしようと思っていた。だが、どうにも100字程度では今の僕の文章力だと、言いたいことの半分くらいしか言えなさそなので、ブログに現時点での考えを整理することにした。だから今回は、Twitterの拡大版みたいなイメージ。

 

まず、僕のpixiv側への第一印象は、「ネットに上げといて、晒されたはないんじゃね?」だ。登録の必要なSNS、18歳以上という条件があるものの、別に見ようと思えば「誰でも」見られる。これが有料サロンや、口外厳禁を入会条件とされたある程度クローズドなコミュニティで発信されたものが公にされたなら、「情報公開」に憤慨するのも理解できなくはない。ただ、今回に関しては、作品などは無料で誰でも見られるネット上に公開されていた。実情としてある程度クローズドな空間になっていったとしても、理論的には誰でも見られるのだから、ネット上にその作品なりなんなりをアップした時点で、「誰に見られても問題ない」という覚悟は持つべきだ。

 

そして、論文に対して思ったことは「あんたら、人様が勝手に楽しんでるものを「有害情報」って、そりゃ失礼だろ」だ。これがもし仮にその論文執筆者がそういったR-18指定の作品が嫌いで、にも関わらず毎日家の前にそういった文が書かれた紙が置かれていたらそれは列記とした「有害情報」だろう。だが、今回は違う。ネット上で共通の嗜好を持った人同士が、趣味としてそこで心地よい空間を勝手に作っていただけだ。青少年保護的な大義があったらしいけど、もう一つの表現として使用されていた「猥褻」は100歩譲ってまだ分かるとして、「有害」かどうかはあんたたちが勝手に断定することではない。猥褻はただの描写表現としてまだ理解できるが、「有害」という表現にはそこに断定者の「意思」が介入している。何も食べなかったら空腹になるのは確かだが、それがコンディション的に良いのか悪いのかは人それぞれだ。友達が「腹が減っている方が頭が冴える」と言っているのに、「空腹は有害だ」と言って友達の口に無理やりパンを押し込むのは良くない。つまり、「有害な」猥褻表現の引用元として、今回pixivを選んだのは妥当だったのかということだ。他にそういった類の市販物などはなかったのだろうか。

 

この状況を例えるなら、50過ぎの中年太りしたおじさん数人が、休日の趣味として近所の公園で「おままごと」をしていたところ、それを見た小3の鼻水垂らし小僧が街の掲示板に「近所の公園でいい年したおっさんがおままごとしています」と書き込んだみたいなイメージだ。公共の場である公園で「おままごと」をする時点で、誰にでも見られる可能性はあると思って遊ばなければならない。見ようと思えば誰でも見られるし、それを見られたからと言って憤慨してはいけない。鼻水少年はその誰にでもアクセスできる情報を「ここにこういう情報あります」と記しただけだ。ただ、その少年には「そんなしょうもないことしてないで、早く友だちと遊んでこい」と言いたい。

 

ネット上に上げていて、なおかつ論文に商標的な目的がない以上、pixiv側が攻めようとしている「転載・引用」面での攻略はムリゲーだと思う。今回の件、察するにpixiv側の人たちは最初に「晒された」という怒りの感情が先にきてしまい、なりふり構わず最初から「奴らは不正をしている」という結論ありきの反逆に出たから、論理的に無理のある「転載・引用」問題をふっかけてしまったと見ている。僕自身、どっちを応援するとかはないけど、一応今後の行方もウォッチしていきたいと思う。冒頭2つ目の記事に書いてあったように、pixiv自身がそもそも「二次創作」をしているという、ダブルスタンダード理論の結末が気になるし、今後さらに拡大していくであろうSNS研究の未来も左右しかねない問題だからだ。とことんやりあってもらいたい。とりあえず、一番おもしろくないのは、論文側がチキって「とりま謝罪」で幕引きを図ろうとすることだ。それだけは良くない。

 

Twitter、140文字から2218文字へと、大幅に拡大してしまった。。

 

 

 

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「無料公開」ってなんで流行ってるの?

かきくけこんにちは、藤本です。

 

僕、YouTuberの動画を結構好きで見るんだけど、人気のYouTuberって大概オープニングが印象的。だから僕も、人気ブロガーへの第一歩ととして、この挨拶を流行らせていこうと思う。

 

実は前回のエントリ、僕のブログ史上最強にアクセスがあった。 なぜか。僕の文筆の才能が急に開花したわけでも、ズルをしたわけでもない。LINEの田端さんにリプライを送ったからだ!今回は、これに関連したことについて話す。

 

 

僕には今まで、理屈では「時代遅れだ」とわかっていても、どうしても捨てきれない理想像があった。それは、「良いものを作れば客は後から付いてくる」的な、職人気質なスタイルだ。

 

僕のイメージ。

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ガツガツしてなくて、叩き上げって感じがして、カッコよかった。憧れていた。僕も、そうなりたいと思ってた。でも、それは時代が許さない。 

 

今の「一億総発信者」時代、世の中にはコンテンツが溢れている。「俺は作ったから、あとは風にでも乗って広まってくれ」では、落下してコンテンツの波にうもれてしまう。作ったら終わりじゃない。「届ける」までが仕事なのだ。

 

だから僕も今回、田端さんにリプライを送った。エントリの内容には自信があったから、ぜひ多くの人に読んでほしいと思ったけど、僕の200人に毛が生えたような数のTwitterのフォロワーに流しても、拡散力は皆無。だったら、エントリのきっかけとなった記事を書いた田端さんに、リプライを送ってリツイートしてもらえれば、多くの人に読んでもらえると思った。 そしたら、リツイートしてもらえた。そしたら、多くの人に読んでもらえた。ただ次もし田端さんにリプライを送るようなエントリを書いたら、その時はコメント付きの引用リツイートをしてもらう。そっちの方が読者が伸びそう。

 

2ヶ月前くらいの自分は、これを滅茶苦茶ダサいことだと思っていた。這いつくばって是が非でもって感じがクールじゃないし、売名行為みたいだし、なにより、「本当に良いものなら勝手に広まっていく」と信じていた。

 

でも違った。考え方が変わった。「本当に良いもの」かどうかを判断するのは、自分ではなく他人なんだ。だから、まずは届けなくちゃいけない、知ってもらわなくちゃいけない。そして、良いか悪いかは、その享受者が決める。

 

このように考え方が変わると、最近よくある「無料公開」の意図も読めてくる。有名なのはキンコン西野さんの絵本の件だけど、それに関して西野さんのブログに掲載されていた言葉は、わりと金言だなと思った。そう、「キンコンのキンゲン」。

 

人が時間やお金を割いて、その場に足を運ぶ動機は、いつだって「確認作業」で、つまりネタバレしているモノにしか反応していない。

 

 人は「知っているもの」しか買わない。当たり前のようだけど、これはかなをグサと突いている。今回の僕の主張を、このまま商行為に当てはめて言うなら、売る側がすべきことは、買う側に対して「買うか買わないか」の選択肢の前に、まずは「知っているか知らないか」の選択肢を「Yes」と回答させなければならないのだ。

 

考え方が変わった今、ぼくはスゴイ清々しい気持ちだ。変な呪縛から開放され、体がとても軽い。50mを8秒7くらいで走れそうだ。

 

これから僕は、自分のツイートやブログをどんどん有名人にメンションしていく。見苦しくなんかない。「俺、結構いいこと言ってるのになんでフォロワー増えないんだろうなー」って考えてる方が見苦しい。やめろ、それは3ヶ月前の僕だ。僕のツイートやブログが面白いかどうかを判断するのは僕じゃない、読者だ。そのためにも、まずは「知っているか知らないか」フェーズを、少しでも多くの人にクリアしてもらわなければ。

 

 

これがその、面白いこと言ってるかもしれない、例のアカウントです。

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有料アプリ使用して広告ブロックする時代に際立つ、「Amazon Dash Button」の異様さ。

早稲田の清宮君を筆頭に、今秋のプロ野球ドラフトでは「野手大豊作」が噂されている。一方、ビジネスパーソンにとって2017年5月15日は、直近3ヶ月では間違いなく5本の指に入る「記事大豊作」の日だったに違いない。

 

「地方のパン屋とAI」という、「叶姉妹すき家」くらい遠い関係だと思っていた二者が出会ってしまった話や、メタップス佐藤さん渾身のエントリなど、最高にバズってるはずだ。

  

 「すごすぎる」――地方のパン屋が“AIレジ”で超絶進化 足かけ10年、たった20人の開発会社の苦労の物語
http://bit.ly/2qpTK9a
「持続的に発展する経済システムの作り方を考えてみる」
http://bit.ly/2pInteG

 

そんな粒ぞろいの「2017年5月15日記事」の中で、今回僕が取り上げたいのは、LINE田端さんの記事。

 

「オーケー、認めよう。広告はもはや「嫌われもの」なのだ — LINE 田端信太郎」
http://bit.ly/2qpFMUR

 

記事の内容を要約するとこうだ。

「これからの広告は、企業が一方的に投げかけて消費者の欲望を喚起するものではなく、消費者の欲望を充足させるためにあるべきで、そしてその欲望自体は消費者自身が主体的に感じるのだ!」

 

この記事、そのまま「広告の未来」として読んでもスゴく面白いのだけど、僕にとっては少し違った「お金の未来」の記事としても、示唆に富む記事だと思った。まずは、僕がそう感じた記事中の一節を引用する。

 

有料アプリを買い、金を払ってまで、「お前の顔なんか見たくねーよ、バーカ!」と思われている広告がある。かたや、お金を払いわざわざ注文をしてまで、消費者が喜々として、炭酸水の生産者である企業にとって需要の最前線である冷蔵庫の上に貼り付けられる広告もある。 

 

有料アプリとは広告ブロッカーのことで、冷蔵庫に貼り付けられているものは「Amazon Dash Button」のこと。つまり、同じ「広告」に対して一方は出会わないためにお金が支払われ、一方は出会うためにお金が支払われている。この両者の対極的な相違から、僕は「お金の未来」を垣間見た。

 

結論から言っておこう。僕に見えた「お金の未来」とは、「従来の慣習にあった何となくのお金の流れは無効化され、ただ単純に魅力ある人やモノにお金が集まり続ける」だ。そんなこと、右足を出して左足を出せば歩けることと同じくらいくらい、当たり前じゃないか!と思う人もいるかもしれない。

 


COWCOW「あたりまえ体操#1」

 

だが案外そうでもない。世の中には何となくというか、ただこれまでの慣習に沿ってお金が流れていたというケースだってあるのだ。

 

僕にとって印象的なのは、堀江さんが運営している「堀江イノベーション大学」。「大学」と謳ってはいるものの、中身として実際に行われているのは授業ではなく事業だ。とどのつまり会社。ならばこれまでの慣習に従う場合、堀江さんは会員にお金を払う立場のはず。しかし実際は、逆に会員が堀江さんに月1万円払っている。ちなみに名前を「大学」としたのは、この構図を世間的にも納得させるためだというのが、僕の邪推だ。

 

ただ誤解しないでほしいのだが、僕はこの例を悪い例ではなく、良い例として用いるために出した。このお金の流れの逆転について、以前堀江さんがどこかで言っていたことが実に興味深かった。ソースを探したけど見つけられなかったから、僕の記憶の範囲でまとめる。

 

「大学時代は高い学費を大学に払っていたのに、卒業して会社に入った途端に月20万とかもらう。別にその人が急に生まれ変わったわけでもないのに、このギャップはおかしい。」

 

要は学生は大学にお金を払い、会社が社員にお金を払うという行為を一旦考え直そうということだ。特に新卒なんかは、入って数年の間は役に立たない。それならば逆に、経験量として会社側がお金をもらいたいくらいだということだろう。

 

ただ堀江イノベーション大学の場合、経験に加えてその過程での堀江さんからのフィードバックや、同志とのコミュニティ、豪華ゲストとの定例トークなど、様々な付加価値がある。そのため一概には「会社」とも言えないけれども、少なくとも「事業をしている」という観点からは、既存の価値観に照らし合わせると、堀江イノベーション大学は「会社」だ。にも関わらず、堀江さんはその「柔軟な発想力」と「自身の魅力」で、従来とは真逆のお金の流れを起こした。

 

田端さんの記事に戻る。広告も従来の常識だと、基本的には「お金を払ってでも避けるもの」だった。スマホ内のただでさえ小さい画面に張り巡らされた広告は、僕たちが本来楽しみたいコンテンツを、さらに小さくした。邪魔で仕方なかった。しかし今「Amazon Dash Button」は、お金を払った上で、消費者たちに喜々として貼り付けられている。しかも「冷蔵庫の上」という、「我々が家の中で見る場所ランキングベスト10」に、絶対ランクインしているであろう目立つ場所に。それは、「Amazon Dash Button」が魅力あるモノだからこそ成せる所業だ。

 

もう嫌われものにお金は集まらない。誰が何にお金を払うべきかなんて、そんなのいつ決まったんだ。消費者だってバカじゃない。これまでのしきたりにあぐらかいて偉そうにしてると、気付いたら周りに誰もいなくなってる。これからの時代、「魅力ある人やモノ」へのお金の流れはどんどん加速していくだろう。

 

 

 

なんてことを、一秒たりともビジネスパーソンになったことがない大学生が考えてました。

 

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巨人・阿部慎之助が補欠になる日。

日本キャッチャー史に名を残すであろう、名捕手「阿部慎之助」。

 

2000年代最強の「打てる捕手」の称号を彼に捧げることに、誰も異論はないだろう。

 

そんな彼は今、プロテクターをそっと外し、左手はファーストミットに持ちかえて、「4番・一塁」としてチームを支えている。2017年5月9日の試合終了時点で、5本塁打25打点は共にチームトップだ。

 

しかしそんな彼も、今季で38歳。ここ数年、同世代が次々とユニフォームを脱ぐ中で、彼自身も「引退」の2文字が頭の中をよぎっているはず。恐らく5年、3年、いや、もっと言うなら、明日の試合でダイビングキャッチなんかした時に、持病の首痛を悪化させてそのまま...という可能性だって0ではない。

 

ただ、今季のここまでの打棒の健在ぶりを見ると、余程の大怪我や不振がない限り、まだもう数年は十分にやれそうだ。ただしそれは、「スタメン」とは限らない。

 

阿部の一塁守備、お世辞にも「上手」とは言えない。今季も既に何回かポカをやらかしてるし、記録に表れないミスもちょこちょこしてる。今の阿部の起用法を言葉で表現するなら、「守備にはある程度目をつむるから、その分打ってくれ!」である。

 

つまり阿部は、打ちまくらなければならない。逆に言うと「ほどほど」の成績ならば、それは「スタメン」から「補欠」への降格を意味する。まあ、阿部ならば「代打の神様」あたりが妥当だろう。

 

今のところの成績ならまあ一応、あのお粗末な守備にも目をつむれる。しかし今季の残り試合、はたまた来年以降で「ほどほど」に打撃成績が下降していくようだと、首脳陣は目をパッチリ見開いて、彼の一塁守備の粗探しを始めてしまう。

 

ただ僕たち巨人ファンは、「スタメンの阿部」しか知らない。だから、首脳陣としては「ほどほどしか打てなくなったから、そろそろ控えに回したい」と思っていても、僕たちはそんな急には「控えの阿部」を受け入れられない。

 

そこで今回は、僕も含めて「阿部が補欠になる日」が訪れても、ショック死で倒れてしまわないように、現時点の予測できる範囲で、首脳陣の立場からの「阿部補欠化ストーリー」の候補をいくつか作っておこうと思う。

 

「阿部が補欠なんて考えられないー!」という人は、この先を読まず、そっとページを閉じてもらいたい。

 

まず最初に、このストーリーにおいて最も重要なのは、「なめらか」であることだ。つまり、ファンが受け入れやすく、かつ阿部本人のプライドも出来る限り傷つけないようにする必要がある。

 

世の中、探しているものというのは、大概近くにあるものだ。灯台下暗し。今回ストーリーを考えるにあたり、最も参考になる事例は「村田修一」だ。彼もまた、通算本塁打数は300本を超え、本塁打王のタイトルも2度獲得している、阿部と同じ大打者だ。しかし彼は今、補欠である。

 

昨シーズン終了時、誰が今季の村田を想像できただろうか。2016年、彼は全試合出場に3年ぶりの3割。25本塁打81打点はチームトップで、おまけにゴールデングラブ賞ベストナインだ。彼は2016年、出来杉君以上に出来すぎなシーズンを過ごした。

 

ところがどっこい、そのバラ色のオフの間に巨人にやって来たのは、少しぽっちゃりして帰ってきた、2013年楽天日本一の立役者「ケーシー・マギー」である。

 

オープン戦は良かった、なぜなら「DH」があるからだ。僕が思うに、オープン戦におけるセ・リーグのDHというのは、結構罪深い奴である。シーズン中よりも一人スタメン野手が多いから、首脳陣はレギュラー当落戦場の選手にも、暫定ながら「スタメン」のイスを与えてしまう。ところがシーズンが開幕した途端、その選手が座っていたはずのイスは、どこかへ消えてしまう。厳密に言うと、ラスト3試合くらいからDHを外して、先発投手を打席に立たせるが。そして気付いたときには、「補欠」なのだ。村田も、このパターン。

 

以上、この事例からは「大物外国人選手」、「オープン戦DHからのシーズン補欠」あたりが、参考になりそうなキーワードだ。

 

しかし、村田が補欠に危機に晒されたのは今季だけではない。結果的に村田がレギュラーになったから、今ではそれほど覚えられていないかもしれないが、実は昨年も、村田は開幕ギリギリまで補欠だった。

 

そう、昨年のオープン戦期間中、三塁のスタメンはほとんどが岡本だった。結局、岡本が全く打たなかったから開幕直前に2軍落ちして、事なきを得たが、もしあのまま岡本が成績を残していれば。。恐らく村田は補欠だった。

 

ああ恐ろしや。昨年の事例からは、「期待の大型新人」というワードが浮かんでくる。

 

あと村田修一以外に、「大打者の静かなる補欠化」として参考になりそうな選手が、「新井貴浩」だ。去年の広島カープの4番兼セ・リーグMVP男の、今季の立ち位置は5,6番兼ベンチ。打率自体は3割を超えてるし、HRも5本打っているが、立ち位置的には降格だ。緒方監督としては、世代交代や鈴木誠也を4番として育成したいといった魂胆があるのかもしれないが、それだけで今季いきなり新井を降格させるのは、ファンも本人も受け入れがたいはずだ。

 

そこで緒方監督が用いたウルトラCは、「休養からのこっそりそのまま4番交代作戦」。今季、広島は「4番新井」で開幕した。鈴木誠也は6番だ。と思っていたら、気付けば鈴木誠也が4番に定着していた。最初は新井の休養日だけだったのだが、いつの間にか新井スタメン出場時にも、鈴木が4番で出るようになっていたのだ。とても静かな交代劇だった。僕がこの前散歩した、深夜の公園くらい。緒方監督のこの作戦、「4番」のところを「スタメン」に変えてもなかなか使えそうだ。

 

とまあこんな感じで、阿部が控えになる幾つかのパターンをシミュレーションしてみた。最後にまとめると、代替選手候補としては「大物外国人」、「期待の大型新人」。補欠ストーリーについては、オープン戦DHからのシーズン補欠」、「休養からのこっそりそのままスタメン交代作戦」あたりが有力。これらを上手に組み合わせれば、ファンは出来る限り穏やかな気持で「阿部の補欠」を受け入れ、本人のプライドへの傷も、出来る限り最小限に留められるのではないだろうか。

 

個人的には、岡本に「期待の大型新人」枠を活用してほしいなー。

 

 

 

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「ザ・ラストエンペラー:見城徹」

 

ザ・ラストエンペラー (幻冬舎plus+)

ザ・ラストエンペラー (幻冬舎plus+)

 

 

見城徹さん、名前自体は1年くらい前から知っていたのだけれど、 ここ2〜3ヶ月で急に興味が湧いてきた。理由は、自分でもよくわからない。

 

ただ、「感想こそ人間関係の第一歩」という、見城さんがメディアに出た際にしばしば口にしていたこの言葉が、最近ようやく自分の中で腑に落ちてきた。あ、というかこれが理由か。

 

その人を深く知るには本が良いだろうと思い、「たった一人の熱狂」と今回購入した「ザ・ラストエンペラー」で2択で迷ったのだけれど、前者は少し自己啓発っぽいニオイがしたのと、後者に収録されている対談相手がみな面白そうな人ばかりだったので、結局「ザ・ラストエンペラー」の方を購読。

 

たった一人の熱狂 (幻冬舎文庫)

たった一人の熱狂 (幻冬舎文庫)

 

 

で思ったのは、このクラスの人に人生観には、当たり前のように「死への恐怖」っていう話が登場する。登場の当たり前さで言うと、「紅白歌合戦和田アキ子」くらい。あれ、それは去年で記録途切れたんだっけ。

 

僕がこの本の前に読んだ「ぼくらの仮説が世界をつくる」でも、佐渡島さんは最後に「死」についての話をしてた。

 

 

他に有名どころなのは、堀江貴文さんやスティーブ・ジョブズ。あと、僕は直接記事や本を読んだりしたわけじゃないけど、楽天の三木谷さんやソフトバンクの孫さんなんかも、「死への強烈な恐怖」が凄まじい行動力の源泉になっているらしい。

 

どうやら彼らはほとんどの場合、ふとした時にそういった感覚に突如目覚めるようだ。そしてこの感覚を会得すると、「時間の有限感」みたいなのを全身でビンビンに感じて、焦燥感が振り募らせることができる。

 

今の僕にはこの感覚、頭では理解できても心の底から本当には感じることができない。でも、もしこの「死へ恐怖」や「時間の有限感」みたいな感覚を手に入れることができたら、もっと自分の人生を高速で駆け抜けられて、もっと人生の本質みたいなものに近づけるような気がする。だから、僕も入手したい。

 

今でこそこんなカッコつけたこと言える大学生になったけど、それこそ僕も小学生の頃は暇さえあればポケモンやってる鼻垂し坊主だった。あの頃の僕が欲しかったのは、「時間の有限感」ではなく「マスターボール」。図鑑コンプリートに夢中だった。

 

マスターボールは、友達に教えてもらった裏技で999個すぐにゲットできた。だけど、今の僕が欲しいものの入手方法に、そんな小細工は通用しない。もしかしたら、先天的な才能だけがイベントの発生条件なのかもと諦めていた時期もあったんだけど、やっぱり欲しい。

 

直感でピーンと来ないなら、地道に染み込ませていくしかない、後天的に。多分、カギは「時間の可視化」。この本の前の前の前に読んだ佐藤航陽さんは、紙のカレンダーに毎日「☓」を入れたり、アップルウォッチで「次の誕生日まであと◯◯日」みたいなリマインド機能を設定しているそうだ。今思えば、祖父母の家のトイレのカレンダーにも、同じように日付にチェックが入ってた。いや、あれはただの「ボケ防止」か。じっちゃんとばっちゃんは、そんなことしなくても、リアルに肌身で「死の恐怖」を感じているはず。少しでも健康に長生きしてほしい。

 

 

「死の恐怖」に襲われたら襲われたで、それも大変なのかもしれない。けど、良くも悪くもそんな不安に苛まれることなく、毎日を平和に生きてる僕にとって、その感覚はある意味ものすごくうらやましい。つまるところ、「死の恐怖」とは「アンジャッシュ・渡部」なのである。結婚おめでとう、渡部。

 

僕もどうにかこうにかして、パートナー「時間の有限感」を見つける身につける。

 

 

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「ぼくらの仮説が世界をつくる:佐渡島庸平」

 

 

結局、いわゆる「優秀な」人というのは、言葉の言い回しや表面上の理論が多少は異なれど、思考回路は同じところに行き着くんだなと思った。

 

今回の佐渡島庸平さん、著書の題名からも察しのつく通り、物事を考える際の思考回路の順番は、

 

仮説→情報→仮説の再構築→実行→検証」

 

となってるそうだ。因みに比較対象として、一般的な思考回路の順番は、

 

情報→仮説→実行→検証」

 

と本著では記述されてた。

 

肝は赤く着色した最初の2ステップで、要は「先に情報を収集しすぎると、固定概念に囚われて前例主義になってしまうから、最初に仮説を立てて、情報はその仮説を補強するために利用する」というのが、佐渡島さんの主張。

 

僕は最初にこれを読んだ時、「えっ、佐藤航陽さんと全く逆じゃん!」と衝撃を受けた。

 

 

僕も以前のレビューで紹介した、「未来に先回りする思考法」の著者である佐藤航陽さんは、その著書の中で未来に先回りするための思考法として、

 

『歴史から「なぜ(起源)」を突き詰め、「規則性」を見出すこと』 

 

の重要性を述べていた。 言うならばこの思考回路は、

 

情報→仮説→実行→検証」

 

という、一般的な思考回路の典型例だ。

 

だから僕は、「ああ、こんなにすごい結果を残してる人たちでも、そのアプローチは千差万別なんだなあ。人それぞれなんだなあ。」と妙に嬉しくなっていた。

 

ただ、読み進めていくと少し事情が違うことに気付いた。佐渡島さんは隠し持っていた。「仮説」という第1段階に入る前にある、「第0段階」の存在を。

 

キーワードは「宇宙人視点」

 

この単語を聞いただけだと全く意味がわからないと思うけど、佐渡島さんは「仮説」を立てる際に「宇宙人視点」で物事を考えるようにしているそうだ。

 

要は物事の本質を捉えるために、出来る限り慣習や表面的な事象を排除するということ。そうすれば、過去の常識にとらわれない大胆な「仮説」が立てられる。つまり、佐渡島さんと佐藤さんは、「言ってることは違うけど、やってることは同じ」だった。

 

最初、僕がスゴイと思う人がそれぞれ逆の思考法で、同じように結果を残していることに、ワクワクしながら読み進めていたのだけれど、結局同じかい!って気付いて一瞬だけ落胆した。

 

ただ、すぐに切り替えた。というか、僕にとっては同じだった方が都合が良い。なぜなら、つまりこの思考法こそが、未来を切り開くには「最強」ということが判明したからだ。

 

道具は手に入れた。あとは自分次第。

 

僕も、自分自身の「仮説」で、世界をつくっていく。

 

 

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2020年東京五輪、「最強の侍ジャパン」を結成するにはどうしたらいいか?

 

「075」

 

この数字、なにか分かる?

 

アイドルとも話せる新世代トークアプリ(755)でも、ある時とない時で全然違うやつ(551)でもない。ちなみにだけど「755」の名前の由来は、開発に参加した堀江貴文さんの、刑務所時代の囚人番号だそうだ。どっかで使えるかも。

 

 正解は、WBCで一躍脚光を浴びた「バントのコバちゃん」こと小林誠司の、シーズンでの打率だ。40打数3安打。。

 

勘弁してくれ。一瞬、「鬼肩」とも呼ばれるその強肩を活かすために、投手に転向しちゃったのかと思ったよ。防御率じゃなかったのね、その数字。

 

「疑惑の代表選出」から一気に正捕手まで昇りつめ、「打率.450、1本塁打、6打点」という驚異的な成績を残したWBCの時の小林はどこに行った。.450とは言わないから、せめて.250は打ってくれ!・・・

 

 

ということでWBCだ。小林の話は、いわゆる「イントロダクション」。本題はこれから。

 

今回のテーマはずばり、

 

「どうすれば国際大会で、少なくともNPB選手をフルメンバー招集できるか」だ。

 

MLB選手に関しては、こっちから踏み入れることのできる領域も限られているし、向こうの事情もあるので、まあとりあえず置いておこう。まずは、国内のNPBからだ。

 

現状、国際大会において、12球団が一枚岩となって協力できているとは言い難い。

 

一番顕著な例だと、09年WBCで候補として挙がっていた中日の選手がみんな辞退して、総バッシング食らってた。

 

今回でも、大谷辞退の一件で、色々とドタバタしていたようだ。

 

【検証・小久保ジャパン】球団とNPBと首脳陣チグハグ…大谷欠場防げず

http://bit.ly/2oPiwiM

 

選手選考と起用法に関しては、12球団側と代表側が一番揉めるところだと思う。

 

球団は、チームの中心選手が大会で怪我でもされたらたまったもんじゃないし、選手自身も、例年ならじっくりと調整しているシーズン開幕前の大事な時期に、ハイペースに仕上げて100%のパフォーマンスを発揮しないといけない。

 

何ともリスクがありあまっている。

 

 

 そんな時、スポーツ紙が決まって言うセリフはこうだ。

 

「代表側の権限強化を」

「日本を背負うという志が必要だ」 

 

僕だって、一人のプロ野球ファンとして、「最強の侍ジャパン」を見たい。ただ、そうするための手段を「上からの強制的な押さえつけ」や「奉公の気概」で語ろうというのは、いささか的外れであるように思う。

 

球団も選手も、「仕事」としてプロ野球に関わっている。ボランティアじゃない。バレンティンでもない。

 

そんな人達に、「日本のために、怪我やシーズンでの不調のリスクも顧みずに国際大会に出てくれ!」と、情に訴えかけるのは無理がある。というか、失礼である。あんたら、それで怪我したら責任取ってくれんのかって話である。

 

ならどうするか。結局、最後は人の利己的な部分に訴える。それしかない。つまり、「日本代表が最強になるようなインセンティブを、球団や選手に与える」ってのが、今回の僕の提案だ。

 

例えば、選手に対して考えられのは、

 

  • 国際大会の出場に応じて、FAまでの期間短縮。
  • 国際大会出場翌年のシーズンの成績について、仮に芳しくなくてもあまり年俸が下がらないように、制限をかけられる。
  • 国際大会での活躍に応じては、球団からではなくNPBからの報奨が、特別に与えられる。

 

など。球団に対しては、

 

  • 派遣選手の人数に応じて、1軍のベンチ枠や外国人の登録人数の制限を緩和する。
  • 選手を派遣すればするほど、オールスターの開催球場として招致しやすくなる。
  • ドラフトのくじの順番を繰り上げ。

 

などが挙げられる。他にもまだまだありそうだけど、まあざっとこんな感じ。

 

2020年の東京五輪はシーズン中だし、どうせまた同じような問題が起きるだろうけど、その際に僕が言いたいのは、「日本の栄冠のために」とかの精神論で、選手や球団を動かそうとするは止めようねってこと。

 

そんな強引な手法ではなく、うまいことインセンティブシステムを活用して、球団の方からホイホイ選手を持ってくるような仕組みにしないと。

 

 

以上、これが「どうすれば国際大会で、少なくともNPB選手をフルメンバー招集できるか」についての、僕の提案。

 

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