藤本の日記

兵庫に住む男子大学生が書くブログです。

メディアが生き残る方法 〜編集会議2017春号 田端信太郎さんの記事を読んで〜

こんにちは。藤本と申します。

 

 

「編集会議2017春号」を、遅ればせながら梅雨真っ盛りの6月下旬に読んだ。湿気で紙がシオシオになっている。発売されてたのは知ってたし、企画の出演者が豪華すぎてメチャクチャ気になってたけど、僕が雑誌に対して1500円弱ものお金を払う耐性ができてなさ過ぎたのと、紙しかなくてキンドル版がないから、現在海外留学中の僕は読めないなどの様々な言い訳があって、アマゾンの欲しいものリストには入れておきながら、購入を躊躇(ちゅうちょ)していた。

 

だけど、結果的には買って、読んで、こうして感想のようなものまで書いている。母が旅行がてらこっちに来るというので、購入して実家に届けて、来た時に渡してもらった。そして、この僕の迷える背中と、編集会議のアマゾン購入ボタン両方を押してくれたのは、この記事だった。

 

LINE 田端信太郎氏のメディア論「その記事に“経済的価値”はあるか」
http://buff.ly/2sgjeGY

 

これは、今回の編集会議の田端さんへのインタビューを一部編集したネット上で無料公開した記事なのだけど、これが面白すぎて、全編読みたくなりすぎて雑誌を買った。もちろん、他にもヨッピーさんやバズフィード編集長の古田大輔さん、キンコン西野さんなど、他にも記事を読みたい人が沢山いたから買ったのだけど、決め手になったのは間違いなくこの田端さんの記事だった。 僕は編集会議の一部無料公開誘導作戦に、まんまと引っかかったわけだ。

 

買って読んでみたら、案の定、メチャクチャ面白くて大変示唆に富むインタビューだった。今回は、この田端さんの記事にフォーカスして、僕の学びをメモっておく。引用多め。

 

その記事は売りモノになるか 。

 

まず、初っ端から田端さんがかます。インタビュアーが田端さんに対して、『今回の特集は「その記事は売りモノになるか ー 記事で問われるメディアの真価」です。』とふった返答として開口一番、言った言葉がコチラ。

 

いきなりこの特集にケンカを売るわけではないですが、アウトプットとしての記事ってそもそも情報ですよね。本来、情報それ自体は "売りモノ" にしにくいものだと思うんです。たとえ、どんなに価値がある情報でも、無料でコピーできるし、広く知れわたることで消えてなくなるものではない。情報と言う罪の最大の特徴は、排他性がなく、ほぼ原価0で複製可能だということです。

 

この言葉は自分の中で「なるほどな!」という思いが強すぎて、股関節から崩れ落ちた。例えば実際、僕がこの記事を全部ネット上にばらまくことも、物理的には可能だ。一人だけがこの雑誌を買って、その内容を全部無料公開すれば、その雑誌が待ち受けているのは「死」のみ。

 

ということで、「その記事は売りモノになるか」と聞いて「情報それ自体は売りモノにしにくい」と答えられたら、本来はそこで企画終了である。結論が出てしまったのだから。ただ、そこで終わらないのが田端さん。それを踏まえた上で、そこから "売りモノ" になる記事について語っていく。

 

"売りモノ"になる記事とは。

 

情報の価値は、伝わり方や文脈によって大きく変わってくるんです。たとえば、僕が誰かに情報を伝える際に、「この前、堀江(貴文)さんと飯食いながら聞いた話なんだけどさ」と言うのと、「堀江さんのブログに書いてあった話なんだけどさ」と話すのでとでは、同じことを言ったとしても、受け手から見た情報の価値は違います。あるいは「日経に書いてあったんだけどさ」と「東スポに書いてあったんだけどさ」と言うのも、全く同じ事実に基づく記事について話しているはずなのに、情報の価値が違ってしまいますよね(笑)。

 

つまり、記事がもたらす経済的な価値は、情報の中身それだけで構成されるものではない。そういう意味では、メディアは記事を起点とするコンテンツビジネスとして考えるよりも、(読者への)サービス業に近い発想でビジネスをした方がいいかもしれません。実際に、著名なネットブロガーなんかは、noteやメルマガ、オンラインサロン、セミナー、それから食事会みたいなことをしてビジネスをしていますよね。

 

このあたりの話も「なるほどな!」と思った。 ただ、頭で理屈は一応理解できても、自分にその実体験があまりないからなのか、これに関してはこの時点では普通に膝から崩れ落ちるだけだった。堀江さんとは直接話したことがなく、ブログ内でしかコミュニケーションをとったことがないし、僕が底辺ブロガーだしで、イマイチ実感しにくかった。後述のフィナンシャルタイムズ(FT)の話を読んで、太ももから崩れ落ちるくらいには理解できたけど。しかし、日経と東スポの話は、ちょっとわかった。東スポの記事は、内容4割引きくらいで読むのがちょうどいい。

 

記事を読むのは「暇つぶし」?

 

田端さん曰く、世の中の記事のほとんどが読者に提供している具体的な価値は、「金銭リターン」ではなく、体験サービスとしての「暇つぶし」という次元にとどまっているそうだ。普通のビジネスパーソンにとっても、記事の役割は「情報感度の高さを通じた周囲へのマウンティング」や、「社交シーンでの話題ネタ提供業」みたいなことでしかない、とのこと。まあ、僕も今好きで勝手にツイッターで記事にコメントつけてツイートしてるけど、別に一大学生としてはこれをすることの必要性はないと思う。就活のときとかに多少の足しとかにはなるかもしれないけど、ニュース知らなくても単位は取れる。

 

FTの紙色がピンクである理由 

 

そして、こうした読者の「別に記事自体にそれほど興味はない。読む必然性はない。要はただの暇つぶし。」といった読者の真理をうまく突いたのが、「FT」だそうである。

 

僕は読んだことないが、FTの紙はピンクらしい。なぜピンクなのかというと、「メディアとしてのブランディングのためである。FTの紙がピンクであることに、ジャーナリズム的な必要性は全くない。他紙とは違うピンク色だからこそ、カフェで読んでいたり小脇に抱えて歩いているだけで、エリートでインテリでお金持ちの層なんだろうと、周囲が一目でわかる。つまり、FTの読者は、「記事自体が提供する情報、コンテンツの価値」というよりは、「FTを読んでいる人だと周囲から思われることの価値」に対して、お金を払っているとも言えるのだ、とのこと。

 

メディアが生き残る方法

 

ブランディングの話の関して、最後にまた一つ引用。

 

メディア以外のあらゆる業種に言えることですが、いわゆるトップブランドがトップブラのである所以を事実や品質の積み上げで説明できる部分は、直感的に言えば3〜4割くらいだと思います。

 

因みにこの直後にあった、「ロジックで言えることだけではない、非連続的なジャンプ」ていう表現が、カッコ良くて僕は気に入った。

 

ここまでを踏まえて、メディアが生き残るための施策を僕の解釈で言うと、「読者は、記事の内容自体にそこまで必然性を感じているわけではない。だからコンテンツ以外の付加価値として、ブランディングをしたり、コミュニケーションを用いたサービス業的な側面も付随させて、記事自体の価値以上の何かを、読者に提供する必要がある」といった感じだろうか。

 

オマケ:田端さんはなぜあんなに沢山の記事をツイートできるのか?

 

田端さんのツイートをフォローしている人はわかると思うけど、昼夜問わず滅茶苦茶ツイートが多い。起業家とかならまだわからんでもないけど、一応田端さんはサラリーマンだ。その多くは注目記事のキュレーションなのだけど、よくこんなに沢山の記事を読めるなあと思っていたら、インタビューの最後に種明かしがしてあった。

 

実際にSNS上で日々やっていることとしては、基本的に半分以上は記事のタイトルだけを見て、なんとなくシェアしています。何のコメントもせずにシェアしている場合は、肯定でも否定でもなく、まったくのニュートラルなつもりです。

 

読んでなかったのかあ!!

 

今回のインタビューの中で、これがある意味一番衝撃だったかもしれない。まあ別に、シェアする記事は必ず目を通して置かなければならないとかいう法律があるわけでもないし、それは個人の自由なので、単純にそんなやり方もあるのかと、参考になった。

 

今までは田端フィルターに一回かかってるから、キュレーションされた記事はさぞ面白いものだろう、とかフェイクニュースは混じってないだろうなと、完全に田端砲に甘えきっていた部分があった。これからは最後は僕たち自身のニュースリテラシーが試されているという気持ちで、気を引き締めて田端タイムラインを追いかけたいと思う。

 

 

 

 

 

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「5年後、メディアは稼げるのか:佐々木紀彦」

こんにちは。藤本です。

 

 

ここ数年、良くも悪くも世間をお騒がせしているメディア業界。だけど元を辿れば全部、「マネタイズの仕方が分からない」ことに起因しているんじゃないかと思う。そこで、僕が「メディアは稼げるのだろうか」と疑問に感じていたところ、読んだのがこの「5年後、メディアは稼げるのか」という本だ。とてもストレートなタイトル。大谷翔平と結構いい勝負するんじゃないだろうか。2013年に出版されて今が2017年だから、来年にはその「5年後」を迎える。答え合わせ的な意味も込めて、読んでみた。

 

著書で紹介された、メディア8つの稼ぎ方。

 

結構色々ある。

 

  1. 広告
  2. 有料課金
  3. イベント
  4. ゲーム
  5. 物販
  6. データ販売
  7. 教育
  8. マーケティング支援

 

僕の頭の中には、メディアと言えば最初の2つくらいしか思い浮かばなかった。しかし、著者の佐々木さんが現在編集長を務めるNewsPicksは、2017年4月から「NewaPicksアカデミア」というイベントと教育の合体版みたいなものを始める。月5000円で、かなり出だしは好調のようだ。あとは、「北欧、暮らしの道具店」や「ほぼ日刊イトイ新聞」なんかだと、物販でかなり儲けている、と思う。

 

メインは「広告」と「有料課金」。

 

ただ、上記の例は恐らく稀で、メインはやはり「広告」と「有料課金」が担ってくる場合が多い。つまり、5年後(現時点では来年)にメディアが稼げるかどうかは、この2つで稼げるかどうかとニアリーイコールってこと。

 

現状はあまり芳しくない。

 

で、実際にどうなのかというと、2018年を来年に控えた2017年現在においても、状況はあまり好転しているとはいえない。まず先に「有料課金」については、「ネット上の情報は基本無料で入手できる」というユーザー側の前提からすると、そこにわざわざお金を払うのは心理的なハードルが高い。日本国内で現時点で成功しているしているといえる有名所は、日経新聞くらいではないだろうか。あとは、渡邉正裕さんが編集長を務める、広告なしの完全独立ニュースサイト「MyNewsJapan」も、利益を上げているようだ。そして、前述のNewsPicksも有料会員が3万人を超え、順調な様子(ちなみに日経は50万人超)。ただ、MyNewsJapanとNeswPicks含めても日本に3社では、現状あまりにも寂しい。

 

MyNewsJapan、会員2千人に 「広告なし=タブーなし」ネット専業の調査報道ジャーナリズムを確立
http://buff.ly/2qRkEIZ
 

肝はやはり「広告」へ。

 

有料課金のハードルが高い以上、メディアはやっぱり「広告収入」の呪縛から逃れることはできない。ただ今の時代、従来の広告はユーザーにあまりにも嫌われすぎていて、あまり未来がないように思われる。そんななか、著書の中で佐々木さんも触れており、かつ僕も注目しているのが「ブランドコンテンツ」だ。ネイティブ広告やスポンサー広告など、色々な呼び名があり、それぞれの微妙な定義の相違も曖昧なのだけど、共通点はこれまでの記事広告よりも「コンテンツの面白さ」に重きが置かれている点。企業側は、モノやサービスを直接宣伝するのではなく、とりあえずの認知度向上やブランディングのために記事を掲載する。

 

現時点での最適解は「面白いブランドコンテンツ」か。

 

僕は、向こう5年ほどはこのブランドコンテンツが、とりあえずのメディアの生き残る道ではないかなと考えている。新進気鋭のネットメディア・バズフィードなんかは、このブランドコンテンツを軸に、マネタイズしている。今流行りのユーチューバーも、単純な広告収入よりも企業案件の方でいっぱいお金を稼いでいる人が少なくない、ように思う。

 

「面白いブランドコンテンツ」、もっともっと出てこいや!

 

 「面白いブランドコンテンツ」は最高だ。企業は良いイメージで認知されるし、メディアは儲かるし、ユーザーは楽しめる。まさに三方良しだ。 ただ、問題なのはその「面白いブランドコンテンツ」というのがまだまだ少ないこと。僕はライターの中でヨッピーさん、ARuFaさん、熊谷真士さんなんかが好きだけど、「面白いブランドコンテンツ」でパット思い浮かぶのは、今のところ片手で収まってしまうくらいしかいない。こうなると、必然的にブランドコンテンツの絶対量も少なくなる。だからメディアは生き残るための当面の課題は、もっともっと「面白いブランドコンテンツ」を大量生産させていくことになるのかなーと思っている。

 

 

 

 

 

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自転車が盗まれたら、それを日本人は「怒り」に、中国人は「お金」に変換する。

かきくけこんにちは。藤本です。

 

 

この記事がえらくバズっていた。中国でバイクシェアリングがものすごく浸透していたという話なんだけど、少し前には中国ではモバイル決済が普及しすぎて、物乞いの人も首からQRコードが印刷されてるカードをぶら下げてるという話もあった。そうしないと、収入をゲットできないらしい。そんでもって今回の記事ときたから、中国は物理的にはすごい近くにいるけど、時代的にはすごく離れたところにいるなと、改めて思った次第。コナン風に言うなら、「物理は近く、時代は遠く、その名は中華人民共和国!」。

 

日本でもバイクシェアリングは普及してる、「怒り」と共に。

 

冒頭の記事が出るちょうど1ヶ月前、少し面白いまとめがあった。

 

「自転車を盗む奴とか傘を盗む奴に罪悪感がない」というお話に戸惑いと怒りが止まらないTL 「理解できない」「恨み続けるからな」
http://buff.ly/2rKjgVS

 

町中にある他人の自転車や傘を、悪びれもなく使う人に対する怒りが込められたまとめなんだけど、読んだ時は「傘一つ盗まれたくらいで怒るなよ。自転車だって、そんなに大事なら防犯しっかりしとけよ。」とか思って、出かけた。そしたらその日、生まれて初めて自転車を盗まれた。めっちゃ腹たったわ!ああ、こんな気持だったんだなって納得した。まあ結局、自転車は盗まれてた訳ではなくて、僕の止め方が悪かったから、地域の巡回おじさんが、正規のポジションに少し移動させてたってのがオチなんだけど。

 

中国はその「怒り」を「お金」に変えた。

 

中国はその「自転車を盗まれた!」という怒りを、アプリで連携させてしっかりと土台を作ることによって「お金」に変えた。これで誰も傷つくこと無く、みんなが快適に暮らせる♫

 

圧倒的なスピード感。

 

そして、その発想と同じくらいすごいのが、その圧倒的な「スピード感」! 冒頭の記事の筆者によると、1年前は全くそんな風景はなかったらしい。日本が未だに遅々としてUberAirbnbの普及が進まないことを鑑みると、雲泥の差である。この「商売魂」と「スピード感」、是非とも見習いたいものだ。

 

最初に始めたのは大学生。

 

そして、話の本筋からは逸れるけれど、僕が個人的に響いたのが、最初にこのビジネスを始めたのが大学生だってこと。学内で貸出を始めて、それを学外にも広げたら爆発的に普及したらしい。同じ大学生として、なかなかシビレル話だ。そして、改めて思ったのは今はどんなに巨大なサービスになっていようとも、最初はちっぽけなサービスだったてこと。まあ当たり前っちゃ当たり前なんだけど。最初は身の回りの人たちを喜ばせようと思って始めたサービスが、気付いたらすごく大きなものになっていたというパターンは、結構よく聞く。フェイスブックだってそうだし、Airbnbだって、最初は自分たちが部屋貸しをやったのがきっかけだ。

 

小さなことからコツコツと。

 

だから、サービスを最初に設計する時の焦点は近いほうが、案外成功するのかもしれない。あんまりにも遠くを見つめすぎて怖気づいてしまうくらいなら、最初は小乗仏教でもいいから、とりあえず始めてみるのが吉って感じがする。話の結末が冒頭の記事の趣旨からはズレてしまったきもするけど、もう後戻りできないから、ここでオワリ。

 

 

 

 

 

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部活動を改革して教師のブラック労働を改善しようとしたら、「国家資格」という利権が生まれた。

かきくけこんにちは。藤本です。

 

 

教師のブラック労働が遅々として改善されない。あ、「ちち」と言えば「父の日」が10日後くらいにやってくるよ!母の日で燃え尽き症候群にならないで、お父さんにもしっかりと日頃の感謝を伝えよう。

 

ブラック労働の大きな要因である「部活動」。

 

多すぎる雑務と並んで、教師のブラック労働の温床となっている「部活動」。国はその対策として、「部活動」を「地域のスポーツクラブ」という形に移行させたいらしい。ここまではまあ賛成。でも、その後が反対。

 

指導を行う人材は、一定の指導力を担保するため、国が「スポーツ専門指導員(仮称)」という国家資格を創設し、認定を受けることとする。

 

なぬーーー!!!また資格かよ。資格はもういいよ。なんでそう、すぐに資格制度にしたがるかな。お節介やろうか!

 

質の担保は「相互評価」で十分に事足りる。

 

資格制度の目的の一つに「質の担保」があるけど、それは今の時代、「相互評価」で十分にまかなえる。というか、そっちの方が信用性が高い。UberAirbnbが世界的サービスになった要因の一つは、「相互評価」だ。教師ならば、教え方が上手いとか、色々なトレーニング方法を知っているとか、気持ちの乗せ方が上手といった評価ポイントがあるだろう。そんなことしたら、いい評価もらうためにゆるゆるのコーチばかりになってしまう!という声もあるかもしれない。まあ、そういうコーチを生徒が求めているなら、それはそれでいいと思う。ただ、そもそも練習とか嫌いな人は部活に入らなければいい話だし、そうなるとは考えにくいけどね。

 

「資格」が努力を怠らせる。

 

結局、資格制度にしてしまうと参入障壁だけが無駄に高くなって、新しい入ってくる優秀な人や、優秀だけど他の仕事も忙しくてたまにしか来られないという人が、来にくくなってしまう。それに、資格さえ手に入れれば、後は適当に子供相手にしてればOKという由々しき事態にもつながる可能性がある。そうなれば「質の担保」という資格制度本来の目的から、本末転倒となってしまう。末路は、ただの講習料や資格授与料で金を巻き上げる、協会の「資格ビジネス」だ。

 

これからの時代、「資格」に囚われるな!

 

この章で言いたいことの7割は、見出しで言ってしまった。大事なことだから繰り返しておこう。これからの時代、「資格」に囚われるな!この先、今はまだその姿を見ぬ新種の職業が、うじゃうじゃ沸いてくる。それくらい、世の中の変化は激しい。つまり、僕たちもその時代の変化に合わせて、柔軟に対応していかなければならない。そんな時、「資格」はただの足かせにしかならい。「せっかく取ったこの資格、何とか活かしたい!」 という感じで思考の幅を狭めてしまう。その資格がもう世間に必要なかったとしても。。

 

「教育」と「競技」を明確に区別する。

 

国の資格創設はセンスない施策だと感じるが、冒頭の記事に登場した、内田良さんの意見には賛成だ。

 

成功するためには、まず、部活動の活動総量を規制し、週に2~3日にして、それを総合型地域スポーツクラブのかたちで引き受ける、どうしても強化選手レベルのトレーニングをしたい生徒は、民間のスポーツクラブで練習するといった制度設計が必要になるという。

 

日本はこの境界線が曖昧過ぎる。だから、プロ選手を目指してるわけでもない子がそれなりに一生懸命練習するから、それなりにうまくなってしまう。同じ学校の同じ部活の中に熱量の違う子が集ってしまい、軋轢の原因となってしまう。

 

熱い青春時代を送った人が、教師になる。

 

ただ、ここばっかりは本当に難しいところで、実際に「それなりに」厳しい部活を経験したことは、本人にとって「自分自身が鍛えられた」といい思い出になっている場合が多いように思う。なぜなら、僕自身もそうだからだ。それに、実際に教師の職についている人の中にも、そういった青春時代の良き日を、次の世代の子にも味あわせてあげたいという思いから、教師になった人も少なくないと思う。今振り返れば「その練習量半分にして、その分のエネルギー違う勉強に使ったほうが、将来につながる」と頭では納得しても、実際に自分が中学や高校の時は、そんなこと考えもしなかった。むしろ、部活入らずに勉強ばっかりしてるやつに負けてられないと、対抗心を燃やしていたほどだ。

 

持続性のある制度設計を。 

 

しかし、そんなことを言っていては永遠に変わらない。もう教育現場は疲弊しきっている!という記事をよく読む。ここらで思いっきた改革を。教育現場のために。そして、必要以上に部活頑張っちゃう子達のためにも。というか、部活の顧問したくて教師になった人は、地域クラブや、民間のスポーツクラブに転職すればいいのではないだろうか。あと、地域クラブの財源も厳しいなら、もういっそのこと部活は廃止して、学校が関わる運動は体育だけにするでもいいかもね。そこでどうしてもやりたい人だけ、地域クラブを有料にして、学校から完全に切り離せばいい。習い事の一つって感じで。

 

 

 

 

 

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「私とは何か 「個人」から「分人」へ:平野啓一郎」

かきくけこんにちは。藤本です。

 

私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

 

最近、著名人のインタビュー記事などを読んでいると、皆さんやたらと「分人」という概念を使うので、これは深く知っておいたほうがいいなと思い、ポチった。

 

結論から言うと、これは読んだほうがいいか読まなくてもいいかのどちらかで言わなくても、読んだほうがいい本だ。「嫌われる勇気」で一躍スターの仲間入りを果たしたアドラー心理学では、「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」と言われている。この本読んで「分人」の概念を習得できれば、みんなが抱えているその対人関係の悩み、軽く2~3個は片付くと思う。

 

ということで今回は、この本を読んで、僕の悩みの中でスッキリ解決された事例の一つを書く。

 

この本を読む前の僕の悩みの一つは、「本当の自分とは」ということだった。言葉だけ見ると、何だか青年期の通過儀礼かおい!みたいな感じがするけど、別にそこまで壮大な話ではない。経緯を説明するために少し話を脱線させると、大学で心理学の授業を受講していると、時々その教授のゼミ生が、レポートや卒論の材料として質問紙調査にやってくる。その際、臨床系のゼミの調査で絶対に聞かれるのが「あなたの性格は?」系質問だ。10年前の日本において、アラサー未婚女子がおじさん上司に「結婚はしないの?」って飲み会で聞かれる頻度くらい、絶対に聞かれる。

 

例えば「休日は家で一人で過ごしたいか、外に友人や恋人と出かけたいか」や「あなたは集団の中でリーダータイプですか、サポートタイプですか」などという質問がその具体例なのだけど、多分、僕は答える度に回答が変わっていた。その時時の精神状態や直近の印象深い出来事などに、かなり影響されていたように思う。僕は心のなかで「そんなの時と場合によるだろ!」と半ギレになる一方で、「このケースバイケースの不安定な感じは、あまりヨロシクないのではないか」という不安も抱えていた。

 

話を戻そう。そしてその不安というのは、根本的に人として人格が安定してないのは大丈夫なのかというものと、もう一つ、別の意味での不安として抱えていた。それは大学生が社会人へと羽ばたくために多くの人が通る関門、「就活」に際しての不安だ。僕は今大学3年生なので、同級生の間ではパ・リーグ日ハムの追い上げ方くらい、ジワジワと「就活熱」が高まってきている。就活ということはつまり、「あれ」を書かなければならない。そう、「エントリーシート」だ。

 

ぎゃーーー!!!

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そして、エントリーシートを書くとなったら、事前に「あれ」も避けて通れない。そう、「自己分析」だ。

 

ぎゃーーー!!! 

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この自己分析とやらが、僕はどうもする気になれなかった。ちょっとした質問や過去の振り返りだけで、自分の強みや弱みを把握されたくなかったし、したくもなかった。ベラベラ快活に喋るやつのなか、黙々と寡黙に物事に取り組むやつなのか。みんなを引っ張るリーダーなのか、そんなリーダーを支える参謀役なのか。そんなの全部、その時一緒にいる人との兼ね合い次第だろ!と思っていた。

 

この「自己分析」とやらをして「本当の自分」なるものを深く探求すればするほど、強引に自分をひとつの固定化された像にしてしまう気がして、嫌だった。そしてそうやって強引にでも自分像を作ってしまうと、「自分はこういう人間なんだ!」と規定した上でその通りに振る舞わなければならない気がして、絶対に嫌だった。そんなの「自分」なんて、その時々に自分が最適だと思う振る舞いを無意識的に行い、その行動一つ一つが結果的に「自分」を構成する要素ということでいいじゃないかと思っていた。シロかクロかのはっきりした感じじゃなくて、混沌としたグレーな感じ。けどこの本読んだら、それで良かったんだって思えた。

 

分人は 、相手との反復的なコミュニケ ーションを通じて 、自分の中に形成されてゆく 、パタ ーンとしての人格である 。必ずしも直接会う人だけでなく 、ネットでのみ交流する人も含まれるし 、小説や音楽といった芸術 、自然の風景など 、人間以外の対象や環境も分人化を促す要因となり得る 。一人の人間は 、複数の分人のネットワ ークであり 、そこには 「本当の自分 」という中心はない 。

 

これが本著のまえがきに出てくる、「分人」についての説明だ。自分像を規定する必要はなかったし、そもそも「本当の自分とは」という問いそのものが愚問だったのかもしれない。そうして悩んだ日々は無駄ではなかったけど。家で一人静かに読書を嗜む僕も「僕」だし、グループディスカッションでテキパキ皆をまとめる僕も「僕」だ。色んな「僕」があって良い。その一つ一つの「僕」が構成要素となって結果的に「僕」が作り上げられる。曇り空のようにモヤモヤしていた僕の思いは、「分人」という概念と言葉を与えてやるだけで、気持ちのよい晴天になった。誰かに話してもなかなか理解してもらえなさそうな話だと思っていたから、ここで「分人」君に出会えてよかった。ありがとう「分人」君。この概念はかなり応用力が高いと思うので、持ってるとかなり強力な武器になりそうだ。

 

さて、ならエントリーシートの長所・短所欄には、「分人」の定義でもコピペしとこうか。どうしよう。。 

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。Twitterもやってるので、よければフォローお願いします!

「立命館論文pixiv晒し上げ」問題について、学者でもpixiv住人でもない一般人の意見を提示しておく。

かきくけこんにちは、藤本です。

 

数日前から話題になっていたようだけど、僕がTwitterでフォローしているしている人達の中に、そういったクラスタの人があまりいなかったからなのか、全く知らなかった。

 

というのは、この件である。昨日の夜に知った。

 

【追記あり】「モラルを疑う」pixiv上のR-18小説を“晒し上げ” 立命館大学の論文が炎上 今後の対応は
http://buff.ly/2s8RFMX
 
立命館大学の研究者による「pixiv論文」の論点とは──“晒し上げ”批判はどれほど妥当なのか
http://buff.ly/2s8Hw2S

 

今回の騒動の経緯や論点整理などは、上の2つの記事で整理されているので、ここでの説明は、面倒くさいし省略する。というか、今回の件、説明しようとする時点で語彙のチョイスや言い回しなどに、その人の意見がもろに反映されてしまいそうな気がするので、以後の文章が「概略説明兼意見主張」となる。

 

この件に関しては、最初は簡単に100字くらいで要約して、上記の2つの記事のどちらかのURLを一緒に貼り付けてツイートして終わりにしようと思っていた。だが、どうにも100字程度では今の僕の文章力だと、言いたいことの半分くらいしか言えなさそなので、ブログに現時点での考えを整理することにした。だから今回は、Twitterの拡大版みたいなイメージ。

 

まず、僕のpixiv側への第一印象は、「ネットに上げといて、晒されたはないんじゃね?」だ。登録の必要なSNS、18歳以上という条件があるものの、別に見ようと思えば「誰でも」見られる。これが有料サロンや、口外厳禁を入会条件とされたある程度クローズドなコミュニティで発信されたものが公にされたなら、「情報公開」に憤慨するのも理解できなくはない。ただ、今回に関しては、作品などは無料で誰でも見られるネット上に公開されていた。実情としてある程度クローズドな空間になっていったとしても、理論的には誰でも見られるのだから、ネット上にその作品なりなんなりをアップした時点で、「誰に見られても問題ない」という覚悟は持つべきだ。

 

そして、論文に対して思ったことは「あんたら、人様が勝手に楽しんでるものを「有害情報」って、そりゃ失礼だろ」だ。これがもし仮にその論文執筆者がそういったR-18指定の作品が嫌いで、にも関わらず毎日家の前にそういった文が書かれた紙が置かれていたらそれは列記とした「有害情報」だろう。だが、今回は違う。ネット上で共通の嗜好を持った人同士が、趣味としてそこで心地よい空間を勝手に作っていただけだ。青少年保護的な大義があったらしいけど、もう一つの表現として使用されていた「猥褻」は100歩譲ってまだ分かるとして、「有害」かどうかはあんたたちが勝手に断定することではない。猥褻はただの描写表現としてまだ理解できるが、「有害」という表現にはそこに断定者の「意思」が介入している。何も食べなかったら空腹になるのは確かだが、それがコンディション的に良いのか悪いのかは人それぞれだ。友達が「腹が減っている方が頭が冴える」と言っているのに、「空腹は有害だ」と言って友達の口に無理やりパンを押し込むのは良くない。つまり、「有害な」猥褻表現の引用元として、今回pixivを選んだのは妥当だったのかということだ。他にそういった類の市販物などはなかったのだろうか。

 

この状況を例えるなら、50過ぎの中年太りしたおじさん数人が、休日の趣味として近所の公園で「おままごと」をしていたところ、それを見た小3の鼻水垂らし小僧が街の掲示板に「近所の公園でいい年したおっさんがおままごとしています」と書き込んだみたいなイメージだ。公共の場である公園で「おままごと」をする時点で、誰にでも見られる可能性はあると思って遊ばなければならない。見ようと思えば誰でも見られるし、それを見られたからと言って憤慨してはいけない。鼻水少年はその誰にでもアクセスできる情報を「ここにこういう情報あります」と記しただけだ。ただ、その少年には「そんなしょうもないことしてないで、早く友だちと遊んでこい」と言いたい。

 

ネット上に上げていて、なおかつ論文に商標的な目的がない以上、pixiv側が攻めようとしている「転載・引用」面での攻略はムリゲーだと思う。今回の件、察するにpixiv側の人たちは最初に「晒された」という怒りの感情が先にきてしまい、なりふり構わず最初から「奴らは不正をしている」という結論ありきの反逆に出たから、論理的に無理のある「転載・引用」問題をふっかけてしまったと見ている。僕自身、どっちを応援するとかはないけど、一応今後の行方もウォッチしていきたいと思う。冒頭2つ目の記事に書いてあったように、pixiv自身がそもそも「二次創作」をしているという、ダブルスタンダード理論の結末が気になるし、今後さらに拡大していくであろうSNS研究の未来も左右しかねない問題だからだ。とことんやりあってもらいたい。とりあえず、一番おもしろくないのは、論文側がチキって「とりま謝罪」で幕引きを図ろうとすることだ。それだけは良くない。

 

Twitter、140文字から2218文字へと、大幅に拡大してしまった。。

 

 

 

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「無料公開」ってなんで流行ってるの?

かきくけこんにちは、藤本です。

 

僕、YouTuberの動画を結構好きで見るんだけど、人気のYouTuberって大概オープニングが印象的。だから僕も、人気ブロガーへの第一歩ととして、この挨拶を流行らせていこうと思う。

 

実は前回のエントリ、僕のブログ史上最強にアクセスがあった。 なぜか。僕の文筆の才能が急に開花したわけでも、ズルをしたわけでもない。LINEの田端さんにリプライを送ったからだ!今回は、これに関連したことについて話す。

 

 

僕には今まで、理屈では「時代遅れだ」とわかっていても、どうしても捨てきれない理想像があった。それは、「良いものを作れば客は後から付いてくる」的な、職人気質なスタイルだ。

 

僕のイメージ。

f:id:FuJiMoTo:20170523083419j:plain

 

ガツガツしてなくて、叩き上げって感じがして、カッコよかった。憧れていた。僕も、そうなりたいと思ってた。でも、それは時代が許さない。 

 

今の「一億総発信者」時代、世の中にはコンテンツが溢れている。「俺は作ったから、あとは風にでも乗って広まってくれ」では、落下してコンテンツの波にうもれてしまう。作ったら終わりじゃない。「届ける」までが仕事なのだ。

 

だから僕も今回、田端さんにリプライを送った。エントリの内容には自信があったから、ぜひ多くの人に読んでほしいと思ったけど、僕の200人に毛が生えたような数のTwitterのフォロワーに流しても、拡散力は皆無。だったら、エントリのきっかけとなった記事を書いた田端さんに、リプライを送ってリツイートしてもらえれば、多くの人に読んでもらえると思った。 そしたら、リツイートしてもらえた。そしたら、多くの人に読んでもらえた。ただ次もし田端さんにリプライを送るようなエントリを書いたら、その時はコメント付きの引用リツイートをしてもらう。そっちの方が読者が伸びそう。

 

2ヶ月前くらいの自分は、これを滅茶苦茶ダサいことだと思っていた。這いつくばって是が非でもって感じがクールじゃないし、売名行為みたいだし、なにより、「本当に良いものなら勝手に広まっていく」と信じていた。

 

でも違った。考え方が変わった。「本当に良いもの」かどうかを判断するのは、自分ではなく他人なんだ。だから、まずは届けなくちゃいけない、知ってもらわなくちゃいけない。そして、良いか悪いかは、その享受者が決める。

 

このように考え方が変わると、最近よくある「無料公開」の意図も読めてくる。有名なのはキンコン西野さんの絵本の件だけど、それに関して西野さんのブログに掲載されていた言葉は、わりと金言だなと思った。そう、「キンコンのキンゲン」。

 

人が時間やお金を割いて、その場に足を運ぶ動機は、いつだって「確認作業」で、つまりネタバレしているモノにしか反応していない。

 

 人は「知っているもの」しか買わない。当たり前のようだけど、これはかなをグサと突いている。今回の僕の主張を、このまま商行為に当てはめて言うなら、売る側がすべきことは、買う側に対して「買うか買わないか」の選択肢の前に、まずは「知っているか知らないか」の選択肢を「Yes」と回答させなければならないのだ。

 

考え方が変わった今、ぼくはスゴイ清々しい気持ちだ。変な呪縛から開放され、体がとても軽い。50mを8秒7くらいで走れそうだ。

 

これから僕は、自分のツイートやブログをどんどん有名人にメンションしていく。見苦しくなんかない。「俺、結構いいこと言ってるのになんでフォロワー増えないんだろうなー」って考えてる方が見苦しい。やめろ、それは3ヶ月前の僕だ。僕のツイートやブログが面白いかどうかを判断するのは僕じゃない、読者だ。そのためにも、まずは「知っているか知らないか」フェーズを、少しでも多くの人にクリアしてもらわなければ。

 

 

これがその、面白いこと言ってるかもしれない、例のアカウントです。

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