藤本の日記(@Kentaro_Fujimo)

大学生の男です

ロジカルシンキング命!は、もうオワコン

 

こんにちは、藤本けんたろうです。

 

先日、インターンしている会社の上司に勧められて、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』という本を読みました。

  

 

僕にとって、良い本の定義は「習慣が変わる」ものです。次に「考え方が変わる本」。

 

そしてあまり良くないのが、「めちゃくちゃ納得する本」です。これは自己満でしかないので。

 

ちなみに今回は習慣が変わったので、結論から言うと、とても良い本でした。

 

僕の習慣が変わった話は最後にするとして、まずは本の内容を僕なりにまとめます。

 

全体の趣旨は

ロジカルシンキングだけで、世の中の課題を解決するのにはもう限界が来ている。だから、もっと感性を重視しよう」

です。 

 

主な理由としては、以下の3つです。

  1. 情報量が多くなりすぎて、人間の思考力では課題を認識しきれなくなった。
  2. 消費性プロダクトに求めるものが、「機能」から「物語・ビジョン」に変わった。
  3. 世の中の変化が早くなりすぎて、ロジカルシンキングの長である法律が、実情を反映しなくなった。

 

※ここから話すことは、著者である山口周さんの意見ではなく、本を読んだ僕なりの解釈です。

 

① 情報量が多くなりすぎて、人間の思考力では課題を認識しきれなくなった。

 

まず上記の内容について読んだ時、真っ先に思い浮かんだのは、2年ほど前に読んだメタップス佐藤航陽さんのブログでした。

 

ロジカルシンキングの弱点を考えてみた:ロジックを超えたロジックの話 | 佐藤航陽のブログ

 

読んだ当時は、まだ僕が大学生になったばかりの頃でした。

 

大学が新入生へ行う就活セミナーを聞いていると、企業が学生に求めるもの第1位に「コミュニケーション能力」、そして第2位が「ロジカルシンキング」、(ちなみに第3位「主体性」)みたいな感じでした。

 

つまり、当時は頭の中に「コミュニケーション能力」「ロジカルシンキング」のことしかありませんでした。

 

なので佐藤さんのブログを読んだ時も、内容自体を理解はできたものの、心の中では「そんなの一部だけの話でしょ...」と完全には受け入れていませんでした。

 

それから2年ほど経ち、世の中や僕自身の考え方の変化もあって、ようやく自分なりに落とし込むことができつつあります。

 

①の内容をもう少し細かく説明すると、「今の世の中は情報量が多くなりすぎて、もはや人間の思考力では、課題やその解決策が見えなくなった」ということです。   

 

あとは、③の項目で詳述しますが、世の中の情報量が多くなるとと同時に、世の中の変化も早くなりまくっています。

 

なので、いちいちロジカルに説明できるだけの材料がそろうのを待っていたら、世の中に置いていかれてしまいます。

 

あと、ロジカルシンキングへの偏重は、「天才」をつぶします。情報量が多くなりすぎて思考が追いつかいないのは僕たち「凡人」の話で、「天才」は肌感でその解決策を持っています。

 

そんなとき「そんな直感はけしからん」としてしまうと、せっかくの天才の解決策を台無しにします。

 

ただそこで絶対に履き違えるとダメなのが、「非論理」と「超論理」は似て非なるものだということです。

 

論理的に考えると明らかにおかしいものを、「直感だ!」といって突き通すのは単なる「非論理」です。

 

そうではなくて、論理立てて考えてもどうしても解決策が出ないところで、最後の一手として出すものこそが「超論理」です。

 

無論、本著の内容が指し示しているのは後者です。

 

つまり、「論理」と「感性」は二元論で捉えるのではなく、両輪で走らせるものです。

 

その走らせ方としてもう少し具体的に見ていくと、先ほど挙げたような「論理」ではどうしようもないところで、最後の決定打として「感性」を用いるのがあります。

 

あと逆に、最初に浮かんだ「感性」ベースのアイデアを、「論理」で再検証するやり方もアリです。

 

とにかく、どちらかではなく「どちらも」大事にしようという話でした。

 

② 消費性プロダクトに求めるものが、「機能」から「物語・ビジョン」に変わった。

 

すごく手垢のついた言い方だと、「モノ消費からコト消費へ」です。

 

ぶっちゃけ、これだけテクノロジーと情報が行き渡っている時代に「純粋な機能」で差別化を図るのは、とても難しいです。

 

あと、ロジカルシンキングも世の中に普及しすぎて、そこから導き出される解答がみんな似たり寄ったりになっています。(同じ情報持ってて、同じ考え方だったら、そりゃ同じ答えが出てくるよねということ)

 

結果として会社経営にしてもサービス開発にしても、差別化が図りにくくなってきています。

 

じゃあ、いわば「全く同じ」商品ばかりが棚に並んでいるなかで、消費者が何をもとに選択するかというと「その背後にあるストーリーやビジョン」です。

 

消費者はその「ストーリーやビジョン」を購入することで、自己表現をしています。

 

では、その「ストーリーやビジョン」は何から生まれるのかというと「感性」です。

 

ストーリーやビジョンはその人オリジナルのもので、それが生み出された過程も、また選ぶ消費者の選択にも、論理的な都合は一切含まれていません。

 

「論理的」に作られたプロダクトを、最後に差別化するのは「感性」です。

 

③世の中の変化が早くなりすぎて、ロジカルシンキングの長である法律が、実情を反映しなくなった。

 

現状、世の中の一般的な良い悪いの基準は「法律」に依っています。

 

ただ実は、僕たちは自分の中にもう一つの基準を持っていて、それは「感情」です。

 

ここでは、ロジカルシンキングが法律、感性が感情とリンクしており、もしロジカルシンキングだけに偏重してしまうと、極端な話「法律は破ってないんだから(何やっても)いいだろ」という話になってしまいます。

 

ただ実際、世の中で受け入れられるためには、法律だけでなく「(ユーザーの)感情」もマークしておかなければなりません。

  

具体的な例はUberです。まだ法律が整備されてないタイミングで各国に進出し、どんどん普及させていきました。「法律」上では、一応グレーです。

 

ただ、そんな強引な進出の仕方をしたために、現地のタクシー会社と真正面から激突し、結局強い規制を敷かれてしまいました。タクシー会社の「感情」を、掴みきれなかったのです。

 

そして、ここからの変化っぷりもいい感じに教科書になっていて、最近のUberは、現地のタクシー会社や、日本だと地方の役所と組み始めています。

 

まずはシステムだけでも提供したり、小さなエリアからスタートしたりと、徐々に浸透させていくことによって、「感情」の反発も起きないようにしています。

 

この項の話に関しては、それ自体(法律だけでなく感情にも左右される)が良いとか悪いとかっていう話ではないのかなと感じています。

 

実際問題として、「感情」もセットで遵守しないといけないんだから、そうした方が結果的に世の中を早く変えられるよねという話です。急がば回れ

 

本の内容はここまでです。

 

僕の変わった「習慣」

 

ここから先は、本著を読んで僕が実際に始めた「美意識」の磨き方を2つ紹介します。

 

①カメラを買った

「美意識の鍛え方」として、本著内では美術鑑賞が推奨されていたのですが、なんか見るだけよりも、こちらから能動的にアクションを起こすやり方のほうがいいなと思いました。

 

あとは、美術館に行くよりも写真を撮る方が気軽にできるし、ライティングとのシナジーも大きいなと思って、canonのカメラを買いました。

 

②文学、詩、哲学書なども読み始める

雑に言うと「教養」 を身につけます。今までは、ほぼビジネス書しか読んでこなかったんですが、これからはこういった「すぐには役に立たない知識」も身につけていきます。

 

読書のジャンルを広げた目的は、大きく2つあります。

 

a.人の「感性」を揺さぶる

僕は、今まではプレゼンや演説、士気などを軽視してる節がありました。結局「実」が大事だろ!と。

 

大事なのは確かに大事なんですが、それと並行して、それらを的確に伝える術も必要だなと考えを改めつつあります。

 

今、『キングダム』にめちゃくちゃハマってるんですが、けっこう将軍の檄(げき)で士気が上がるシーンを見かけます。実際にそうだったのかは分かりませんが、それを見ながら「ああ、人に伝えるっていうのも大事だな」と思うようになりました。

 

つまり「言葉や伝え方のセンス」を磨くために、文学、詩やそして哲学書を読みます。

 

b.思想を身につける

これは宗教とかそういう話ではなくで、「情報過多」「機能ではなくストーリーやビジョンで差別化する」話と関連するものです。

 

まず「情報過多」の現代において、今日の常識は明日の非常識です。つまり、小手先のテクニックを身につけても、あまり役に立ちません。

 

それよりも重要なのは、何年経っても廃れない「思考の根幹」です。ここの土台さえしっかり作っておけば、どれだけ変化の早い時代にあっても、指針を見失うことはありません。

 

また、ストーりーやビジョンの話に関しては、結局僕たちの「思考の根幹=思想」こそが、そのままストーリーになり、ビジョンになります。

 

つまり、いかに揺るぎない思想を持つかが、そのまま他者との差別化につながるのです。

 

だから僕は、小説も読むし、詩も読むし、哲学書も読みます。

 

早速、劇団ひとりさんの「陰日向に咲く」という、小説をよんだのですが、面白かったですね。

 

 

こんな感じで、「習慣」まで変わってしまう本こそが、僕の「いい本」の定義です。

 

最近ぼくの中でモヤモヤとしていたことが、わかりやすく言語化されてハッとなりました。