藤本の日記(@Kentaro_Fujimo)

大学生の男です

「polca(ポルカ)」で支援する際のスムーズな導線設計が、逆にレイトマジョリティへの浸透を妨げるかもしれないという話。

 

こんちには、藤本(@Kentaro_Fujimo)と申します。

 

 

前回は、polcaの基本的なところを書いた。そして今回は予告通り、polca普及の前に立ちはだかるであろう、意外な敵について書いていく。

 

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最初、春先にこのアプリのプレスリリースを見た時、

 

 

レダ

 

 

と思った。

 

ちょうどその頃、とある件で、僕はクラウドファンディングをしようかなと考えていた。だけど、ツイッターのフォロワー数300人弱の僕がSNSで宣伝したところで、拡散力は全く見込めない。

 

当時やろうと思っていたリターンの内容的にも、やったとして、もし支援をもらえるなら周りの知人や友人からが一番可能性が高いかなとか考えていた。(そのクラファンの件については、支援を募ろうと思っていた案件自体の進捗状況があまり芳しくなく、とりあえず保留中)

 

そんな時、「polca(ポルカ)」の存在を知った。これなら、僕みたいな一般ピーポーでも、別にインフルエンサーでなくても、支援を募れるのではないか?もっとゆるくて優しいファンディングができるのではないか?と告知動画を見ただけで伝わってきた。

 


フレンドファンディングアプリ「polca(ポルカ)」 ~誕生日会編~

 

クラファンをできてないフラストレーションが多少溜まっていたこともあり、ポルカはとりあえず何かやろうと思った。多少本来の使い方とはズレていても、新しい経済のあり方を少しでも感じたかった。

 

ちょうど、僕が幹事というか、仕切る予定(サンドウィッチマンのライブに行く)があったので、半ば強引にポルカを活用することにした。立てたイベントの名前は「サンドウィッチマンのライブに行きたい!」と、それっぽくしてみた。目的は「チケット代の徴収」。

 

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この時、一瞬めちゃくちゃ葛藤した。僕の悪い癖「必要以上に気遣いして、自分が気疲れする」がここで発動しかけた。

 

「そんなの当日現金でええやん」と言われるのではないか
「何イキってんねん」とか思われるのではないか
支援誘導画面のURLを貼って、お金払ってくれなかったら気まずくなるなー

 

とか、色んなことが頭をよぎった。けどもう、やると決めたらやる。別にこれを使うことは良いことなんだから、躊躇(ちゅうちょ)する理由はない。なんならむしろ、当日現金を払う手間を省いてくれてありがとうと、感謝して欲しいくらいだ。

 

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最初の反応はまずまず良好だった。ありがとう!とかっていう反応がすぐに返ってきて、なんだ、案外いけるんじゃないか、と思っていた。ただ、ありがとうというのは単に色々と段取りしてくれたことに対する労いで、別にポルカを紹介してくれたことに対する感謝ではなかったのだろうか。そこから2~3日、待てど暮らせど支援の通知が来ない。1人、すぐにアカウントを作ってくれた友人がいたけど、ウォッチだけで支援まではしてくれていなかった。やはり、ダメなのか。。

 

一旦、遠回しにリマインド作戦を実行するため、概要メールを貼り付けてグループを稼働させた。これで1人か2人でも払ってくれれば御の字だ。と思っていたら、トントン拍子に支援は進み、あっという間に全員がライブのチケット代を払ってくれた。

 

ヤッターー!!

 

なんだ、案外やってみるもんだな、とか月並みな感想が浮かんできた。

 

当日、友人たちにポルカについての率直な感想を聞いてみた。「登録などの手間は煩わしくなかったか」と。

 

すると「おう、大丈夫やったよ」と嬉しい返答が。別に僕が作った訳ではないけど。というのもpolca(ポルカ)、僕自身が実際にユーザー登録やイベント企画している時に思ったけど、非常に楽だ。

 

入力する情報が本当に少ない。最初は携帯番号入れてSMSで確認コードもらえば、それがパスワード代わりになるし、ユーザー名さえ登録すれば、他の生年月日や性別も入力しなくていい。プロフィール欄を充実させなくていい。「フレンドファンディング」という、そもそもお互いを知っている知人・友人間のみでの支援を想定しているからだろう。これは、クラウドファンディングやVALUとの大きな違いだ。

 

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カード登録も、超楽ちん

 

あとはクレジットカードも、「カメラで読み取る」を選択すれば、カメラで撮った後、カードの使用期限を入力すれば終わり。めんどくさい何桁もの数字を打たなくていい。因みにイベントを立案するのも、タイトルと写真だけでいいから、慣れれば10分程度で完成する。本当に楽。

 

これだけ簡単なら、めんどくさくて途中離脱などの心配をしなくていい。多分だけど、ポルカの設計に関して、エンジニアの方々やサービス設計者の方は、非常にここら辺は配慮されたと思う。ポルカスタッフの方々、本当に素晴らしいサービスをリリースしてくださり、ありがとうございます。

 

僕は調子に乗って、その日の夜の焼肉もポルカを使った。支払いの際、割り勘にして皆から小銭をジャラジャラともらうのが嫌だったし、ここで僕がカードで払えば、めちゃくちゃカッコいいと思ったからだ。そしたらその店、カード払いがNGで、僕の財布から大量の現金が吹っ飛んだだけだった。。

 

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店を出た後、早速イベントを立てた。タイトルは「焼肉の値段を割り勘したい!」。これに至っては「焼肉に行きたい!」ではなく、もう事後だ。

 

僕はみんなに前回のサンドウィッチマンの支払いの時に、必要な情報は登録してるから、あとは「支援する」ボタンを押すだけだよ。ねっ、楽でしょ!?と、殊更に手軽さを強調しながら支払いを促した。僕が少しでも早く集金するためではなく、ポルカの良さをアピールするためにだ。そしたら、意外な答えが返ってきた。

 

 

 

そんな簡単に支払いできたら、お金払う感覚がなくなって怖いなー

 

 

 

???

 

 

 

なるほど、そう来たか。そうか、ポルカ一般ピーポー普及への障壁は、こんなところに潜んでやがったか。

 

僕は最初、クラウドファンディング、特にフレンドファンディングで知人・友人に支援をしてもらおうと思ったならば、アプリダウンロードからユーザー情報登録、カード登録情報までの手間を超えるメリット、リターンを用意するのがカギだなと考えていた。

 

いや確かに、もちろんそれが基本的な一つの境界にはなると思う。

 

ただ逆に、導線設計が簡単過ぎれば過ぎるほど、ユーザーが抵抗を感じてしまう場合もあるんだということに気づいた。ポルカは特に、クラウドファンディングと違って支援金額が予め決められているから、「支援する」ボタンを押した瞬間に、支援が完了してしまう。僕はこのUXに非常に好感を抱いていた。というか、この「なめらかさ」こそが、家入一真さん、というかcampfireやpolcaの理念の根底にある。

 

 

 

 

この多くの日本人に未だ根強く残るの現金信仰、どっから来てるんだろ。マジで卒論のテーマにしたいくらい。

 

最近も、現状が顕著に出ている記事が出ていた。

 

コンビニの支払い、4割が現金派 - 電子マネーやクレカを使わない理由は?
https://buff.ly/2wU47G4

 

この記事にも出てくる、よく現金主義者が言う「カードだと使いすぎそうで怖い」理論、「部屋にテレビがあると勉強できない」理論くらい、本質からズレてる気がするだけど。。いや、それは自分の意思の問題だろ、と。

 

というか、支払いのタイミング(現金orカード)って、その商品なりサービスなりの購入を決断した後なんだから、購入を迷うタイミングで現金かカードとかってチラついてるの?って不思議なんだが。今財布に2000円しかないから、この服は買えないとか、そういう感じなのかな。本当に欲しい服なら、カードで払ってもそれは「使いすぎ」とは言わないんじゃないか?管理のしやすさで言うなら、使用記録が全部残ってるクレジットの方がいいのではないか?それで毎回、無駄なことに使ったなとかっていう反省がもしあるなら、それを翌月以降に活かせばいいのではないか?

 

なんとか「使いすぎそう」理論を論破しようと思ってたまに考えるんだけど、1分くらい考えると、毎回「それは個々人の勝手か」という結論に達してしまい、彼らのために自分の思考リソースと時間を割くのが勿体無くなってくる。

 

でも、僕の勝手なイメージだけど、自己破産とか借金する人ほど現金主義者っぽいし、高所得者ほどカード支払いしてる気がするだけど。地下経済の人以外は。メルカリとか最近話題の「CASH」ってアプリとか見てても、お金に困っている人ほど、データ上のお金から物理的なお金へ近づいていっている傾向があるような気がする。

 

「それは高所得者で大きい金額払ってるから、カード使ってるんだろ」と反論あるかもしれないけど、それに関しては僕は順番が逆だと思う。現金よりもカード優先して使うマネーリテラシーあるから、高所得者になってる。というか、少額支払いにこそ、カードなり電子マネーを使うべき。だって、小銭ジャラジャラするの、めんどくさい。

 

お金は、貯めるためじゃなくて使うためにある。どんどん使ってグルグル回した方が、みんなが幸せになる。そのためのクラウドファンディングなり、フレンドファンディング。

 

後半はよく分からん、まとまりのない愚痴の羅列みたいな感じになってしまったけど、とりあえず僕が言いたいことは一つ、

 

 

 

ポルカ、ダウンロードしよう」

 

 

 

これだけ。みんな、やさしいお金を感じよう。

 

 

ポルカ」ダウンロードはこちらから↓

 

 

 

関連記事

クラウドファンディングポルカで支援を募ろうと思った時、何が必要なのかについて考えて書いた記事!

これからの時代、「評価経済」「信用経済」の世界で生きてくなら、「教養」という名の保険はいらない。

 

こんにちは、藤本(@Kentaro_Fujimo)と申します。

 

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*連投ツイートをブログへ転載*

 

貨幣経済」から「評価経済」「信用経済」へのシフトみたいな話は最近よく聞くけれど、じゃあどうすれば評価や信用を獲得できるのかってことについて、「嘘をつかない」「約束を守る」ことはもちろん大事。

 

だけど、そういった大前提に加えて、これからの世界で生きやすくなるためには「最低1つ、人より抜きん出たスキルを身につける」ことが大事だと思う。人は結局、自分に利益をもたらしてくれる人を評価するし信用する。その時、やはり他人にギブできるくらいのスキルを持っていると、強い。

 

AirbnbUberなら、最悪、表面上取りつくろっているだけでも、良い評価を得られる。でも、クラウドファンディングをしようと思ったら「全力で感謝します!」より「あなたの似顔絵を書きます!」の方が、プロジェクトにも賛同してもらいやすい。

 

つまり、「オール3」よりも「他はオール1でも1科目だけ成績5」の方が、良い。良いというか、そういう人も快適に過ごせる世界になった。1の科目は、他の人に助けてもらえばいい。その代わり、自分は5の科目を教えるなり披露する。3の成績だと、5の人に負けるから有用性が小さくなってしまう。

 

好きなこと、得意なことを、思いっきりやろう。「教養」という名の、保険はいらない。

広陵高校野球部では、携帯電話もテレビも使えないらしい。 〜中村奨成選手は最近「ブルゾンちえみ」を知った〜

 

こんにちは、藤本(@Kentaro_Fujimo)と申します。

 

 

広陵の中村君が一大旋風を巻き起こしている。めちゃくちゃ打ってて、そりゃもちろんスゴイんだけど、僕は違うところに思いを馳せてしまったので、その連投ツイートをここにまとめておこうと思う。セルフTogetter。

 

2017/08/25【加筆修正】 ツイート埋め込み形式が引くぐらい見にくかったので、ブログ形式に修正した後、字数制限に配慮しなくて良くなったので、数カ所表現をかみ砕きました。

 

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今年も甲子園は盛り上がった

 

広陵野球部の寮生活では、携帯電話とテレビは禁止、主な情報源が新聞。中村君は最近まで、「ブルゾンちえみ」を知らなかったらしい。別に、僕も最近テレビはあまり見ないし、35億もできなくていいけど、体力も吸収力も破格な10代後半の時間を、スマホなしで世間と隔離するのはどうかなーと思う。

 

中村君みたいに、この先も野球一本で少なくとももう少し先まではやっていける選手はいいけど、そういう選手ばっかりじゃない。これで野球は終わりって子もいる。そうなった時、「体力と根性には自信あります!」より「体力と根性には自信あります!polcaで部費を調達しました」の方が、魅力ある。

 

別にスマホって、ツムツムやモンストする為だけのものじゃないからね。情報収集したり、高校球児ならフォーム撮影したり、より生活を豊かに、便利にするためにある。体力や吸収力あるからこその、他のものにのめり込んでしまわないための、監督なり寮長なりのリスク回避としての施策だろうけど。

 

まあ、全員が世の中にネットを通じて常時接続されている必要はないし、3年間一つのことに徹底的に打ち込んだっていう経験は、それはまた別で大きな財産や他者との差別要因になるから、一概に悪いとは言えない。別に広陵の野球部だけじゃなくて、そういう高校や部活、他にもたくさんありそうだし。

 

それに携帯やテレビ禁止だけでなく、全員丸坊主や夏の炎天下での全力プレーなど、時代錯誤的な面が高校野球人気の一つの理由でもあると思うから、そこは難しい。とりあえずサザエさん的なジレンマにだけは陥らないように気をつけてほしい。陥らないと思うけど。

 

こういうの、元高校球児から言うと、こういう批判的思考というか、客観的に「高校野球」を考える機会すら無かった。グラウンド以外で過ごす時間も、得る情報もほとんどなかったから。普通の公立高校ですらこれだから、最初に挙げた広陵の子はホント野球以外、何も知らないと思うよ。知らんけど。

 

別に今回例に挙げたような、広陵野球部のやり方が悪いっていうことではなくて、それぞれのやり方があっていいいし、選手たちもそこに自ら飛び込むならそれはもちろん頑張って欲しい。けどその一方で、外界との情報を遮断することは、上に書いたような懸念があることは理解した上で、のめり込むならのめり込んだほうがいいと思う。

 

僕が高校球児の時、本当に何も知らなかったし、何も考えてなかったから。

 

もし少しでも知ってたら考えてたら、何か違うかなと思うから。

話題沸騰の新サービス、「polca」の始め方・支援のされ方・仕方

 

こんにちは、藤本(@Kentaro_Fujimo)と申します。

 

 

ちょっと一段楽ついて、指南書を書くタイミングとしては完全に気を逸した。だけどその分、わかりやすいように写真満載にしたし、実際にイベント作って成功もした話も掲載してるから、どうかよろしく。

 

目次

 

 

①polcaの始め方 

 

最初にアプリを開くと、こんな感じ。

 

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「はじめる」を押すと、電話番号の入力を要求される。今回、パスワードがない代わりにこの電話番号を利用したSMSが、アカウント認証となる。

 

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あとはユーザー名を入れるだけ。これで、初期登録はすべて終了。ラク!

 

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下の画像は、ホーム画面。一番左の「アクティビティ」のところに、自分や友人のイベントに関する情報が、タイムライン形式で流れる

 

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では次は、「polca支援のもらい方」。

 

②polca支援のされ方

 

ホーム画面真ん中の「はじめる」を押すと、下のような画面に移る。「タイトル」と「詳細」が分かれてないから、タイトルに全情報を注ぎ込むことになる。しかし、あまり長すぎても皆に興味を持ってもらえないから、コンパクトに要旨を伝える必要がある。

 

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今回、僕が立てたイベントは「サンドウィッチマンのライブに行きたい!」。

 

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これ実は、もう既に行くメンバーは決まってた。僕がチケットをまとめ買いしたから、それぞれのチケット代を僕に払ってもらおうと、今回のイベントを立てた。だから、厳密に言うと「共感した人は、支援してほしいなー」じゃなくて、

 

 

 

「イベント参加者は、絶対に払え」である。ちなみにここで、

 

 

 

①そんなの、当日に現金手渡しでいいじゃないか。
②その使い方は、本来のpolcaの理念とは違うのではないか。

という批判コメは、一切受け付けない。

 

タイトルと写真を決めたら、その後の詳細部分に移る。ちなみにライブは1人5000円で、一緒に行く友達は僕入れて4人。それに合わせて金額の箇所を設定した。

 

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詳細の3項目を埋めると、ついに……

 

 

 

カンセーイ!!

 

 

 

campfireとは比較にならない手軽さだ。campfire、プロジェクトやったことないけど。あとはこのURLを、一緒に行く友達に知らせるだけ。

 

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ちなみに、ウォッチした人に対して、「お願い」でプッシュ通知をして、最後の一押しをすることもできる。

 

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無事に「集金」後、支援を締め切った。チケットを4枚しか買ってないから、むしろこれ以上支援されても困る。僕は今回締め切ったけど、必要金額が集まっても、時限ギリギリまで継続することもできる。多分、期限は「1ヶ月」に自動設定されてるのかな?

 

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支援してもらったお金は、polcaのアカウントに貯蓄される。現金化して引き出したいときは、口座を登録すればOK。

 

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最後に、「polca支援の仕方」。

③polca支援の仕方

 

とりあえず何か支援したかったので、家入さんがイベントをやっていたのを思い出し、TwitterからURLを拾ってきた。

 

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「支援する」を押すと、支払い方法の設定画面に移る。

 

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これ毎回、クレジットカードの番号を打つのが面倒くさいんだけど、「カメラで読み取る」を選択すると、カードを撮影した後、有効期限を入力するだけでよかった。ラク!

 

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支援を完了すると…

 

 

 

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イベント立案者からメッセージが!家入さん!!

 

 

 

ということで、polcaの始め方と支援のされ方と仕方。次回、少し違う観点からpolcaにについて書く。テーマは日本で未だ根強く信仰される、「現金教」について。個人的に、polca最大の敵は、コイツなんじゃないかと思っている。

 

この記事!!!↓↓↓

最近「世界の果てまでイッテQ!」の視聴率が高いのは、YouTuberのおかげだと思う。

 

こんにちは、藤本(@Kentaro_Fujimo)と申します。

 


「世界の果てまで行ってQ!」の勢いが止まらない。2007年2月の番組スタートから今年で丸10年。ここに来てのさらなる躍進とは、頭が下がる。

 

しかし、こう言ってはなんだけど、別に何かが急に変わったわけではない。何ならむしろ、「ベッキー」という看板娘を欠いて、戦力的にはダウンしたはずだ。

 

なのに、視聴率は右肩上がり。だから僕は、視聴率がここに来て上昇してきた要因は、外部的要因、具体的に言うなら「視聴者がイッテQ!のスゴさに改めて気づき始めた」ことだと思う。

 

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引用/同番組HPより

 

ではなぜ、皆が「イッテQ!のスゴさ」を改めて認識し始めたのか?これについて僕は、「YouTuberの盛り上がり」が最も大きな理由だと考えている。

 

YouTubeで若者に特に人気なのが、「やってみた系」YouTuber。みんながやりそうでやらなかったことを、実際にやってみて動画にまとめる。

 

人気YouTuberの一人、「はじめしゃちょー」。

 

僕もスキマ時間などに楽しく見させてもらっているが、そんな時、皆ふと気づいたに違いない。

 

 

 

「あれこれって、もっと大きい予算で、もっと大きい規模で、どっかでやってなかったっけ?」

 

 

 

そう、それこそがテレビだ。テレビなら、YouTuberのやっている何倍何十倍の規模・予算で、企画を組むことができる。そして、ノイジーマイノリティに負けず、テレビの中でも攻めた企画をし続けていた「イッテQ!」が、ここにきて再評価されているのだと思う。

 

僕も含めた多くの人は、ようやくこの事に気付いたけど、社会派ブロガーことちきりんさんは、3年も前にこのことを指摘していた。

 

 

要はテレビの低迷について考える時、「コンテンツ」と「フォーマット」は分けて考えなければならない。今のテレビ低迷の大きな要因は、利便性に欠ける「フォーマット」の方にあって、「コンテンツ」自体はネットと比較して格段にクオリティが高い。

 

現状、問題アリアリのテレビの「フォーマット」だけど、そこは「録画」で対応できないわけでもない。

 

つまり、これから「一視聴者」として面白い「コンテンツ」を探す場合、僕たちはテレビを「オワコン」だなんて揶揄してそのままなのは勿体無い。一番美味しいのは、ネット、テレビといった「フォーマット」にこだわることなく、純粋に「コンテンツ」だけをフラットな目で比較することだと思う。そう考えると、テレビもまだまだ捨てたもんじゃない。

 

 

 

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今、「有料」という名の情報の壁が築かれつつある〜ことばを使いこなして人生を変える〜

 

こんちには、藤本(@Kentaro_Fujimo)と申します。

 

言葉を使いこなして人生を変える

言葉を使いこなして人生を変える

 

 
はあちゅうさん、めちゃくちゃ彼氏といちゃいちゃしていた。のが十分くらい伝わってくる、ノロケ話が満載の1冊だった。

 

普段、ツイッターや恋愛に関する記事でも、全くと言っていいほどパートナーの存在を匂わせていなかったから、その表情のギャップに驚いた。

 

多分、ツイッターやネット記事などで彼氏に関する発言をしたら、「リア充自慢するな」と暇人アンチから怒られたり、そのパートナーの方にも迷惑がかかるかもしれないと危惧したり、いちいち付き合っただ別れただのを世間に晒すのは面倒くさかったりしたからだと思う。

 

書籍の中で爆発する、はあちゅうさんのノロケ話を読みながら思った。「本当に大事な情報や意見は、どんどん無料では入手できなくなりつつあるんだな」と。

 

みんながすぐに燃やして議論どころじゃなくなるから、大事な情報や意見は、どんどんとクローズドなコミュニティ内だけで共有されるようになってきていると感じる。その際、そのコミュニティの内外を隔てるものは「お金」であることが多い。それが手っ取り早いし、分かりやすいからだと思う。

 

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「お金」で隔てるコミュティ

 

昔からある形態でいうと「講演会」がそれに当たるけど、いちいち同じ場所に集まってかつライブでやるのは大変。今なら、有料noteや有料メルマガ、オンラインサロンなどが主流になっている。

 

「書籍」も昔からあって今も有力な情報入手手段だけど、著者や読者同士の継続的な関係が築きにくいのが、少し難点。

 

はあちゅうさんも堀江貴文さんも西野亮廣さんも、みんな「本音」を吐き出すホームタウンを、しっかり確保している。「炎上芸人」などと揶揄している場合じゃない。彼女彼らはみんな、本当に大事なことはオンラインサロンでしゃべっている、に違いない。誰のにも入っていないけど。

 

少なくとも、それくらいの気構えは必要だということだ。「無料で」手に入る情報が、すべてじゃない。そして、本当に大事な情報、ないしはそこの主催者や他のメンバーとの濃密なコミュニケーションを求めるなら、その対価(主にはお金)を支払うんだという心づもりをしておくべき。

 

ちょー前置きが長くなったけど、ようやくここからが本題。ノロケ話以外、ここまで全く本の内容に触れていなかった。

 

この本は、1冊を通じて何か特定の一つことを訴えるという感じの本じゃない。月刊はあちゅうツイッターから、エッセイ&コメントを抜粋して加筆修正し、そこから書き下ろしも加えられて完成した本。「言葉」というテーマの一貫性はありつつも、2~3ページ毎にどんどんと内容が変わっていく。

 

さすがにタイトルが「言葉を使いこなして人生を変える」とだけあって、僕の琴線に触れた「言葉」が幾多もあった。多すぎて、「ほぉ~」と唸った文章にマーカー引いていたら、マーカーだらけになりすぎて、勉強できない中学生の教科書みたいな感じになった。今回は、その中でも特に印象に残った話を3つ紹介しようと思う。

 

①「時間の有効活用」病にかかってしまうと。。

 

時間を有効活用しなければ、というのが強迫観念になると、生きる気力がどんどんそがれていく。

(中略)

小説を読む時間。映画を見る時間。恋愛で悩む時間。ご飯をつくる時間。花をめでる時間。友人と過ごす時間。家族との時間。……

こういうことが無駄になるのなら、別にコンピューターか何かと変わらないわけで。感情もいらないわけで。全部サビの歌がないように、全部サビの人生もないはず。

緩急あるからサビが盛り上がって、何度も繰り返し聴くうちに、サビ以外のメロディーの美しさに気づける。

 

今は物理的には会社員のときほどに忙しくはないのだけど、その分、誰も管理してくれないから、なんとなく時間を節約して、余裕を残そうとしてしまうあまりに時間貧乏になってしまうところがあって、思い通りにならないときはイライラしてしまうし、電車を逃したり、タクシーが道を間違えたりするとついつい時間を奪われた気になってしまって、

 

今の時代、何か目的を成し遂げるのに一番足りないのは技術でも、お金でもない。

 

”時間”だ。「Time is money」ではなく、「Time is more important than moeny」。

 

堀江さんなんかは、普段からも口酸っぱく「時間の有限性」を訴えているけど、僕ももっと人生の残り時間に敏感になろうなろうとしている真っ最中。

 

でも、このはあちゅうさんの文章を読んで、突き詰めすぎるのも考えもんだなと思った。僕自身はまだまだAメロを過ごしている時間が長いし、時間リッチだしで、もっともっと時間の過ごし方を洗練させていかければいけない。

 

けどこれから先、どれだけ時間を突き詰めることがあっても、時間に追い詰められるような人生だけは良くないなと思った。

 

②「書くこと」に惚れられた、はあちゅうさん

 

「書くために生きてるんだろうか」という思いと、「生きるために書いているんだろうか」がぐるぐると頭でいつも回っていて、書くことで誰かを傷つけることがあるとして、それによってまた、自分が傷ついても、それでもまだ書こうと思う人。

 

生きることと書くことがどうやっても切り離せない。

書くことで生かされ、書くことで傷つく。

希望と絶望が交互にやってくる日々。

書くことに呪われたというよりは、見込まれた一生だと思って、この人生をやり切りたい。

 

 はあちゅうさん、普段からバンバン燃やされてるから、それに負けない鋼の心を持つ強い女性なのかと思っていたら、そうではなかった。とても繊細な心の持ち主で、紙一重のギリギリでいつも生きている方だった。

 


Real Face

 

叩かれては落ち込み、書けなくなっては落ち込み、死にたいと思うこともあるけど、どうせ死ぬならその前に何か成し遂げてから死んでやると思って、再びキーボードを叩く。

 

僕は普段、全く小説やエッセイを読まないのでその界隈の著者に詳しくないのだけど、みんなこんな感じなのだろうかと思った。例えるなら、止まらない感情のジェットコースター。たまに危うく墜落事故で帰らぬ人になってしまいそうになりながらも、グラグラ揺れる今の感情を、忘れないうちに書き留める。そして吐き出す。

 

本当にはあちゅうさんは、ずっと書き続けている。大学生の頃からブログで著名になり、ツイッターでも毎日つぶやいていて、著書もこれまでに50冊以上出している。noteも販売している。多分、これからもずっと書き続けるのだろうなあ。「書くことに見込まれた一生」は、言い得て妙だなと思った。

 

③「本当に好きなこと」の見つけ方

 

何事にだって、「過剰」のラインがある。

ここ数日は、「ゴシップガール」にはまっていたのだけど、シーズン1を2日間で見終えて、さすがに疲れた。

でも会社員時代は、こういうときに、「飽きるまでやる」ってことがなかなかできなかったから、嫌になるまで何かをやると幸せを噛みしめている。

どんなに好きなものも、飽きるまで徹底的に付き合うとあきらめがつくから、「飽きるまでやる」環境整えて習慣にすると、本当にストレスが減っていく。

 

今、時間がない中で、やっていないなら、たいして好きなことじゃないから、きっとやらないほうがいいと思う。

それから、「あんなことやりたい」「こんなことやりたい」という夢は意外にも、1週間くらい休みをとって徹底的にやってみれば、自分の中で消化されたりする。

映画死ぬほど見たい、漫画死ぬほど読みたい、話題の店食べ歩きたい……、会社辞めてでもそういうことがしたいと思ったら、まず1週間、それでも足りなかったら1ヵ月、有給取ってやり倒してみたらいいと思う。

1ヵ月もやり倒せば、たいていのことには飽きるのだけれど、飽きなければそれは本当に、自分が情熱をかけられるものだと思う。

「好きな気持ち」だけあって、今残念ながら形になっていないことでも、今日から始めれば、土台ができる。

どんなことにも最初があるから、好きなことはまずやってみて、やりながら、仕事にする方法を考えたらいい。

 

 今、「好きなことを仕事にする」という言説が流行っている。今は流行っているだけだけど、これからはそれが普通になっていくような気がする。でも、それはそれで多くの人が困ってしまう。やりたいこと、好きなことってなんだ?

 

 

そんな時、このはあちゅうさんが紹介していた方法はスゴくいいと思う。ウジウジしてないで、とにかくやってみる。短期間で、徹底的にやってみる。満足したならしたで、それでいいし、まだし足りないなら、それがもしかしたら自分が「本当に」好きなことの有力候補になる。飽きても飽きなくても、どっちでもハッピー。これ、すごくいい方法だと思う。

 

 

 

 


僕もこれから、「言葉」を使いこなして人生を変えていきたいと思う。

 

言葉を使いこなして人生を変える

言葉を使いこなして人生を変える

 

 

金儲けして億万長者になりたいなら、ポジティブシンキング野郎より、不平不満ビンビンに感じる奴の方が都合いい。

 

こんちには、藤本(@Kentaro_Fujimo)と申します。

 

 

突然だけど、これは僕の記念すべきブログ第1号のエントリだ。半年以上前に書いた。

 

タイトルは、「富と名声を得るには、武藤遊戯になる必要があると思う。」。ブログはタイトルが大事とか聞いたから、一発目ということで気合い入れすぎて、ひねり過ぎた。我ながら、タイトルだけではどんな内容なのか、さっぱり分からない。

 

簡単にいうと、精神状態の理想的なバランスというのは、「驕り高ぶっている」状態と「卑屈」の状態を、シーソーのように揺られながら、その間を行き来するのが良いという話だ。当時は頭の中の考えを言語化できるほどには整理できておらず、書き始めてから完成させるまでに2ヶ月ほどかかった。

 

最近、世間は何にでも白黒はっきりつけたがるけど、世の中、そんなにわかりやすく着色できる話はない。たいていの物事はグレーで、あるのは濃淡の違いだけだ。

 

哲学においても、僕が先述の処女作で書いたように、常に相反する概念を「両方」身にまとう必要がある。どちらか片方ではなく。例えば先日、堀江貴文さんは「儲け話のリスクを最小限に抑える工夫とは?」というテーマに関する記事で、下記のような心構えの仕方を述べている。

 

身に降りかかりそうな危険の回避と、リスクの向こうにあるチャンスを取りに行く勇気。この相反する決断を繰り返していけば、本当に「ヤバい」ものを嗅ぎわける嗅覚が身につくはずだ。

 堀江貴文氏 儲け話のリスクを最小限に抑える工夫とは?│NEWSポストセブン より引用

 

前置きが長くなったけど、つまり、今回僕はまた最近新しい哲学を閃いたということだ。ちなみに、連続してあと2つくらい思いついたけど、今回は現時点で1番言語化できそうな話を、ブログに残す。

 

その哲学とは、「金儲けして億万長者になりたいなら、ポジティブシンキング野郎より、不平不満ビンビンに感じる奴の方が都合いい。」である。

 

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そもそもの前提として、僕は長らくの間(約10年)、ポジティブシンキング男としてやってきた。その大きなきっかけというのは、今でも覚えているのだけど、日曜夕方のお茶の間の主役の夫だ。つまり、マスオさん。

 

どういうことかというと、多分、その回のテーマが「物は考えようだ」みたいな感じだった。それで、ある日の朝ノリスケさんか誰が一本電車に乗り損ねて、悔しがっていたところ、隣にいたマスオさんがノリスケさんに「君が今乗り損ねた電車、少し先で事故を起こしたみたいだよ」と言う。ノリスケさんが驚きと同時に少しホッとしたような表情を見せると、マスオさんは「嘘だよ」と言い「物は考えようだよ」といったような台詞を残す。

 

マスオさんの嘘が、今の炎上時代にはすぐ不謹慎だと叩かれそうなことだけが少し心配だけど、なんせ僕はあの時、あのマスオさんの考え方が妙に印象に残った。そして、マスオさんの言う通り、「あっ、物事は考えようなんだな。なんでもポジティブシンキングでいかなくちゃ」という僕が芽生えたのである。

 

この考え方を一度身につけてしまえば、精神的な負担はかなり楽になる。なんてったって、自分の身に降りかかること、なんでも自分にとってプラスのことなんだから。一見、どんなに悪いことが起ころうとも、「神様が僕に与えてくれた試練だ」「人生経験としてこれは貴重なものだ」とか思えば、なんでも有り難くなってくる。

 

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「ポジティブシンキング、最高だな!」とか思っていながら呑気に過ごしていたのだけれど、最近「いや、ポジティブシンキングも諸刃の剣だな」という考え方に変わってきた。理由は、僕が就職、というか、「儲けること」を考え始めたからだ。

 

バイトで駒の一部となって働くのではなく、実際にアイデアを企画提案をしてお金を稼いでいくことを考えた時、「不満がない」というのは致命的な問題になる。多くの発明は、人々の不満から生まれる。何か不便なことや不満なことがあってそれを解決しようとする時、ビジネスチャンスは生まれるのだ。しかし、ポジティブシンキングの名の下にのほほんと暮らしいていると、そこの「気づき」を見過ごしてしまう。

 

じゃあどうすればいいのか。僕はこれから、一旦は素直に「不満」を認識しようと思う。「今、おれは不満を感じている」と。それで、それは今すぐに対処して解決できるものなのかどうかを考える。できるなら、それでおわり。できないなら、そこに「ビジネス」の種が隠されているかもしれない。

 

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多分、今までの僕はここで「今すぐには解決できない」と感じたら、無意識にポジティブシンキングに切り替えていたんだと思う。自分を不快感から守るために。

 

そうではなくて、「今すぐには解決できなくても、何か新しい手段や工夫を講じることによって、解決できるのではないか」という思考回路に転換する。

 

その上で、もうどうにもならない不満、例えばもう終わってしまったことや不可抗力などは、十八番のポジティブシンキングで乗り切る。今考えた限りでは、この処理の仕方が一番いいのではないかと思う。

 

目の前の不快不満から逃れるために、これまでの僕は知らない間に多くのビジネスチャンスを逃していたかもしれない。これからは、一旦その「不満」を受け入れようと思う。そこに僕と同じようなことで困っている人がいて、それを助けることによって少しでも暮らしやすい社会になるのなら。

 

いや、そうなると仮に不満を感じるような出来事に出会っても「よし、この不満はビジネスに繋がるかもしれないぞ!」と喜んでしまうかもしれない。一度染み付いたポジティブシンキングは、なかなか抜けないなあ。