「個人が声あげられる」時代にこそ求められる、「声上げられない」人に思いを馳せる力。
こんにちは、藤本と申します。
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「電車で制汗シートを使わないで…」近くで揮発するだけでも呼吸困難になるアルコールアレルギーの恐怖
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同僚の体臭で頭痛や吐き気…通院費用の請求はできる?
先日たまたま、上記2つのツイートと記事を同日に見つけた。最近、1つ目のような悲痛な心の叫びツイートのようなものをしばし見かける。そして、よくリツイートされている。
よくリツイートされてるからこそ、僕のタイムラインにも回ってきているのだけど、その際、僕自身は読むぶんには読むけど、あまりそれをリツイートする機会はない。なんかこう、「今まで可視化されなかったマイノリティーの声=正義!」みたいな感じがツイートからプンプンと漂っているのが少し苦手だ。
汗拭きシートに含まれているアルコールを体が受け付けないという前者のよう方がいれば、後者の方のように同僚の体臭に悩んでいる人もいる。
ネットとSNSによって、個人が声をあげやすくなった。これ自体は、良いことだと思う。組織や企業に頼らなくても、意欲や能力のある人が力を発揮しやすくなった。
ただ、声をあげたもん勝ちみたいになるのは、あんまり好きじゃない。汗拭かれて困る人がいる一方で、汗拭かれなくて困ってる人もいる。
じゃあ、どうすればいいのかなんて答えは、僕にはわからない。ただ、それなら両方とも黙っとけばいいのかと言えばそれは寧ろ逆で、困ったり悩んでることがあるなら、一旦は両方とも声に出してみるのがいいんじゃないだろうかと思う。とりあえず声に出してみて、皆に聞いてもらって、そこから考えればいいと思う。それでもし、取るに足らない話ならそのままでいいし、重要な問題なら皆で考えればいい。例えば最初の汗拭きシートの話なら、駅のホームで待っている間に済ませてもらうとか。
結局、僕は前者と後者、どっちの味方なんだとかそういう話ではなくて、つまり、僕が言いたいことは世の中には色んな人がいるってことだ。それは、汗拭きシートを使ってほしくない人がいたんだ!じゃなくて、使ってほしい人も使ってほしくない人もいるんだ!ってこと。
だから僕は、これからも個人が声あげてバズったツイートが流れてきても、なかなか気軽にはリツイートしないと思う。他にしてくれる人は山ほどいるし。ただ、もし仮にそのリツイートのボタンを押すときも、その背後に隠れている、「まだ見ぬ困っている人」の姿も想像しながら、慎重にポチりたいと思う。
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