藤本の日記(@Kentaro_Fujimo)

大学生の男です

「未来に先回りする思考法:佐藤航陽」

こんにちは、「未来に先回りする思考法」を身につけてしまった男です。

 

出落ちです。本のレビューです。

 

未来に先回りする思考法
 

 

著者の佐藤航陽さんを知らない人にとっては、タイトルからものすごく胡散臭さを感じるかもしれませんが、本当にめちゃくちゃスゴい人です。

 

  • 早稲田大学在学中の2007年に株式会社メタップスを設立し代表取締役に就任。
  • 2011年にアプリ収益化プラットフォーム「Metaps」を開始。
  • 世界8拠点に事業を拡大。
  • 2013年より決済サービス「SPIKE」を立ち上げ。
  • 2015年に東証マザーズに上場。
  • フォーブス「日本を救う起業家ベスト10」に選出。
  • AERA「日本を突破する100人」に選出。
  • 30歳未満のアジアを代表する30人「Under 30 Asia」に選出。

 

どうですか?経歴だけでも十分タイトルに説得力が出てきたと思うので、早速ここから中身を見ていきましょう。

 

1.シビレる名言編

 

2作品がエントリーしています。

 

いつも社員には競合のことを意識しすぎる必要はないという話をしています。同じ場所を目指して登っていれば、意識しようがしまいが、いつかは競争することになるからです。

 

GoogleAmazonFacebookなどの巨大IT企業が考える未来像は驚くほど酷似しています。彼らは「いつ」それに取りかかるかのタイミングの読み合いをしているだけです。

 

カッコよすぎます。見据えている世界のスケールがでかすぎる。資本主義なんか眼中にないよって感じが、カッコよすぎる。。

 

この2つの言葉、根本的には同じことを言っています。実際、最近の彼らが「宇宙」「自動運転」「VR」「AI」「音声」などの似たような分野で、似たようにニュースになっていることを思い浮かべれば、それは理解できると思います。言い換えれば、彼らはこれらのキーワードに関しては「今」取りかかるべきであると、判断したということです。

 

そうすると、昔に自分が失敗したサービスやプロダクトが、今の時代に似たようなものが成功した際に、先に失敗した起業家なんかがたまに口にする「自分は時代を先取りしすぎたなー」というコメントは、あまりカッコよくないということがわかります。

 

GoogleAmazonFacebookの偉い人たちだって、ずっと前からいま成功しているサービスを思いついていたはずです。そこから然るべきタイミングまで待って、適切なタイミングで投下したのです。だから「時代を先取りしすぎた」というのは、「自分は適切なタイミングを見極められなかった」と、白旗を揚げている発言に等しいということなんです。

 

2.一番印象に残ったこと編

 

一言でざっくり言うと、「佐藤さん、思ったよりも国家や政府というものに対して寛容なのかな」、ということです。これは意外でした。佐藤さんのようなITを駆使した新進気鋭の経営者って、だいたい国家や政府を嫌悪しているという僕の偏見があったので。

 

著書からの引用を元に、詳しく見ていきます。

 

Googleの影響力は、すでに各国政府の懸念事項になるほどに高まっています。この点において、実は先見の明があったのが中国です。中国では、Facebookは上海などの一部の地域を除いて利用できません。

 

以前は、こういった閉鎖的な中国の戦略に、国際世論は冷ややかな目を向けていました。しかし、各国の産業がシリコンバレーの企業に骨抜きにされていくにつれ、各国政府は中国と同様の戦略をとり始めています。

 

外資を規制し、国内の企業を大事に育ててきた中国は、今やインターネット産業において、米国と唯一競争できる可能性を秘めた国です。

 

どちらかと言えば、国家や政府による規制を「容認」しているとも受け取れる発言です。この本が出版される1年半ほど前に堀江さんと対談したときの感じだと、「テクノロジーの力で既存の通貨や政治の枠組みを破壊する」的な意気込みを感じたのですが。

 

タップス佐藤航陽が考える”通過の未来”とは?

http://horiemon.com/talk/3158/

 

単純に僕の読み方が的外れの可能性も大いにあります。ただ、もしかしたらこの1年ちょっとの間に、グローバル企業として、将又インターネットを扱う企業として国からの規制を肌で感じる中で、多少なりとも考え方が変わった部分があったのかもしれません。

 

外から口で「政府が既得権益のために企業活動を規制してはならない」と言うのは簡単ですけどね。当事者として中で実際にやってみて、「国側も自らが生存するために必死なんだな」と諦念に似たような感情が出てきた可能性もあります。

 

そして、類似の議論として「融合する国家と企業」という項目も大変興味深かったです。

 

NASAが国家安全保障の目的でインターネット上の情報を収集する国家の「裏」の組織だとすれば、Googleは人々の生活をよりよくするという看板を掲げ情報を収集する「表」の組織ともいえます。

 

僕は今まで、国がグローバル企業が外からやって来ることを嫌がるのは、単純に自国産業が影響を被ることを嫌っているからだと思っていました。でも、そうではなかったようです。各国政府が警戒しているのは、GoogleAmazonという単体の企業そのものではなく、背後に存在するアメリカだったのです。

 

また、つまりこのことはグローバル企業と国家というのは決して犬猿の仲ではないという事実も、同時に示唆しています。これも僕は今までは単純にアメリカとGoogleは、Googleがめっちゃ儲けてるくせにアメリカに全然税金を納めないから、対立構造にあると思いこんでいました。そうではなかったんですね。勿論、そういった面もあるとは思いますが、逆にそういった面だけではないということで、なかなか奥が深いです。

 

「国家」に関する本書での見解を僕なりにまとめると、「多国籍企業の台頭は国家の存在そのものを消滅させる可能性もあるが、実際には手を変え品を変えノラリクラリと結構長生きするのではないか」です。

 

少なくとも、国家というシステムは「形式的には」かなりの間残ると思います。なぜなら、国家は権力という強力な武器を持っているからです。

 

国家が形式的には残るだろうと考えられるのは、時代が変わり「必要性」が変わったとしても、国家は法律や規制を制定することで、世の中の流れを多少遅くすることができるからです。

 

今、国家と企業はそれぞれの得意な領域で協力関係を築きつつあります。国家は権力を、企業は活動領域の拡張性と機動性をそれぞれ持っています 。このふたつが補完し合えば、さらにその脅威は増すでしょう。

 

政府が得意な分野は政府がやり、企業が得意な分野は企業に任せる。国家と企業は競合になる一方で、互いの境界線はいまや融解し、共生関係を構築するようになりつつあります。

 

国家とやらは、なかなかしぶとそうですね。

 

3.日本の巷でよく行われている議論を、佐藤流にぶった斬る編

 

2議論がエントリーしています。

①日本ではなかなかイノベーションが起きないなあ。

②日本の選挙の投票率は低すぎるだろ!

 

順番に見ていきましょう。まずは1つ目。

 

①日本ではなかなかイノベーションが起きないなあ。

 

この議論を、佐藤流に斬るとこうなる。

 

要は、今の日本社会には、イノベーションが起きるだけの「必要性」がないのです。

 

佐藤さんは、「第二のシリコンバレー」とも呼ばれているイスラエルを訪問した際に、現地のベンチャーキャピタリスト

 

「どうして人口800万人の国が、こんなにうまく、継続的にイノベーションを生み出せるのか?」

 

と聞いてみたそうです。すると、その返事は至ってシンプルでした。

 

「Necessity(必要性)。」

 

中東は政治的な緊張関係があり、周辺国とも争いが絶えません。そのため政府・民間・大学・軍など全員が協力して収入を確保し、アメリカをはじめとする諸外国への影響力を保ち続けなければ、国として危機に陥ってしまいます。つまり、イノベ ーションを起こすための「必要性」が、どこより切実に存在しているのです。

 

そういう意味では、今の日本にはそういった「必要性」は存在しません。戦争をしているわけでもない、政治は非常に安定していて、現状を維持しても生活ができる。治安は抜群によく、テロなども滅多に起こらない。

 

イノベーションが無くても明日があるというのは、国としてはとても幸せなことです。もしかしたら、この議論自体が非常に「贅沢な悩み」なのかもしれませんね。

 

では次に行きましょう。2つ目のお題はこちら。

 

②日本の選挙の投票率は低すぎるだろ!

 

この議論を、佐藤流に斬るとこうなる。

  

今考えるべきは投票率を上げる方法ではなく、時代に合致しなくなったシステムに代わる新しい仕組みの方でしょう。

 

佐藤さん曰く、投票率が低下しているのは若者が怠慢になっているからではないようです。

 

日本で選挙システムが導入されたのは明治時代の頃。もう、100年以上も前のことです 。ネットが情報収集と発信のベースになっている現代の若い人たちにとっては、特定の時間に特定の場所へ紙の投票用紙に名前を書きに行く行為に、疑問を感じないほうが難しいのです。

 

最後に、もう一回ぶった斬っときます。

 

既存のプロセスを通さなくても従来の政治の目的は達成可能な時代になりつつある時代に「投票率を上げよう!」と叫び、他の選択肢を検討しないのは、ある種の思考停止とさえいえるでしょう。 

 

4.「未来に先回りする思考法」編

 

最後、遂に本題です。これで最後まで読めば、みなさんも晴れて「未来に先回りする思考法」を身につけることができます。

 

表題の「未来に先回りする思考法」を習得するにあたり、佐藤さんが終始一貫して主張していたのは、『歴史からなぜ(起源)を突き詰め、規則性を見出すこと』の重要性でした。

 

例えば、あらゆるテクノロジ ーをマクロに見れば、その本質的な特徴は3つに絞られます。

 

①人間を拡張するものであること。

②いずれ人間を教育しはじめること

③掌からはじまり、宇宙へと広がっていくこと。

 

まず①について。石器にはじまりインターネットに至るまで、すべてのテクノロジーは、何らかの形で人間の持つ機能を拡張してきました。斧や弓は手の持つ機能をそのまま拡張し、蒸気や電力は人間の手足の動力そのものを何万倍にまで拡張させました。そして、コンピュータやインターネットは人間の知性を拡張させます。

 

次に②について。教育といっても頭をナデナデする感じの教育ではなく、新しいテクノロジーが社会に普及するに連れてその主従関係が逆転する有様を、佐藤さんは「教育」と表現したようです。

 

例えば、「貨幣」というのは元々はあらゆる物々交換の非効率を解決するために生み出されたテクノロジーでした。しかし、それまで漠然としていた「価値」という概念が、貨幣によって数値化され比較可能になったため、貨幣を中心に損得の判断を計算する方が、効率的になっていきました。現代の人々にとっては、価値判断基準の中心には、必ず貨幣が存在しています。

 

だからこそ、現代の人々は、それ自体はただの紙切れに過ぎない1万円札をあれほどまでにありがたがり、かつそれを手に入れるために汗水垂らして働きます。その様子は、まさにテクノロジーが人間を教育しているようですね。

 

最後に③について。①で述べた「人間の拡張」というのは、実は常に「身体の近く」から始まります。

 

最初は手足の拡張です。斧、弓などの武器は手を拡張し、草履は足を拡張しました。次に身体から離れ、物理的に離れた空間において人間の機能を拡張していきます。掌の上にあった道具は、身体を離れ器具として室内に配置され、さらに室外へ飛び出し、汽車や自動車のような移動手段になって距離を克服しました。最後は重力すら克服し飛行機として空へ、そして遂には地球を飛び出し宇宙へと向かっていきました。 

 

このように、テクノロジーは一定の順番を経て物理的に遠くへと浸透し、そして浸透すればするほど日常の風景となり、その存在感を消していきます。

 

「未来に先回りする思考法」について、「テクノロジー」を例にとって紹介しましたが、ここで大事なことは『歴史から「なぜ(起源)」を突き詰め、「規則性」を見出すこと』です。

 

佐藤さんは別の言い方として、『ものごとを「点」ではなく「線」として捉える』という表現もされています。「点」とは現在の景色、「線」とは歴史のことです。

 

実際、佐藤さんも著書の中で自身の事業の際に、「未来に先回りする思考法」を実践した経験を吐露していました。

 

現在、佐藤さんが自社で展開しているアプリの収益化ビジネスは、開始当初はAndroidに特化していました。しかし、当時のスマートフォンにおけるiPhoneのシェアは圧倒的でした。アプリの市場で見ても、2009〜2011年は実に9割がiPhoneで占められていました。

 

佐藤さん自身も、Androidに特化するという決断に納得していたわけではなかったようです。ただ、そんな個人の感覚よりも過去からの「規則性」、今回だとApple垂直統合型とAndroidの水平分業型という、双方のビジネスモデルの顛末から導出された「規則性」を優先した結果、Anroidに賭けることにけ決めたそうです。

 

そして、iPhoneAndroidのシェア争いは皆さんご存知の通り。佐藤さんのサービスも見事成功されたようです。

 

最後に、では僕たちはどうして「未来に先回りする」必要があるのでしょうか?大儲けするため?それは結果としての対価です。では一体何なのでしょう。佐藤さんは、次のように答えて本著を締めくくっています。

 

これまで述べてきたように、社会が進化する方向性には、大きな「流れ」があります。

 

そして、社会の進化に流れがあるという事実は、実は寂しいことでもあります。流れが一人の人間に覆せるようなものではないならば、個々人が存在する意味は小さいからです。

 

ただ、それでもしいて自分が存在している意味を求めるとすれば、それは「来るべき未来の到来をできるかぎり早めること」にあるのではないかと、私は思っています。

 

私たちにできることは、顕在化している課題をできるだけ早く解決する方法を見つけ、ひとつでも多くの不幸をなくすことぐらいでしょう。

 

自分という存在に意味を与え続けるためにも、私は少し先の未来に先回りし続けようと思います。

 

もう涙が止まりません。皆さん、どんどん「未来に先回り」していきましょう。

 

未来に先回りする思考法