藤本の日記(@Kentaro_Fujimo)

大学生の男です

有料アプリ使用して広告ブロックする時代に際立つ、「Amazon Dash Button」の異様さ。

早稲田の清宮君を筆頭に、今秋のプロ野球ドラフトでは「野手大豊作」が噂されている。一方、ビジネスパーソンにとって2017年5月15日は、直近3ヶ月では間違いなく5本の指に入る「記事大豊作」の日だったに違いない。

 

「地方のパン屋とAI」という、「叶姉妹すき家」くらい遠い関係だと思っていた二者が出会ってしまった話や、メタップス佐藤さん渾身のエントリなど、最高にバズってるはずだ。

  

 「すごすぎる」――地方のパン屋が“AIレジ”で超絶進化 足かけ10年、たった20人の開発会社の苦労の物語
http://bit.ly/2qpTK9a
「持続的に発展する経済システムの作り方を考えてみる」
http://bit.ly/2pInteG

 

そんな粒ぞろいの「2017年5月15日記事」の中で、今回僕が取り上げたいのは、LINE田端さんの記事。

 

「オーケー、認めよう。広告はもはや「嫌われもの」なのだ — LINE 田端信太郎」
http://bit.ly/2qpFMUR

 

記事の内容を要約するとこうだ。

「これからの広告は、企業が一方的に投げかけて消費者の欲望を喚起するものではなく、消費者の欲望を充足させるためにあるべきで、そしてその欲望自体は消費者自身が主体的に感じるのだ!」

 

この記事、そのまま「広告の未来」として読んでもスゴく面白いのだけど、僕にとっては少し違った「お金の未来」の記事としても、示唆に富む記事だと思った。まずは、僕がそう感じた記事中の一節を引用する。

 

有料アプリを買い、金を払ってまで、「お前の顔なんか見たくねーよ、バーカ!」と思われている広告がある。かたや、お金を払いわざわざ注文をしてまで、消費者が喜々として、炭酸水の生産者である企業にとって需要の最前線である冷蔵庫の上に貼り付けられる広告もある。 

 

有料アプリとは広告ブロッカーのことで、冷蔵庫に貼り付けられているものは「Amazon Dash Button」のこと。つまり、同じ「広告」に対して一方は出会わないためにお金が支払われ、一方は出会うためにお金が支払われている。この両者の対極的な相違から、僕は「お金の未来」を垣間見た。

 

結論から言っておこう。僕に見えた「お金の未来」とは、「従来の慣習にあった何となくのお金の流れは無効化され、ただ単純に魅力ある人やモノにお金が集まり続ける」だ。そんなこと、右足を出して左足を出せば歩けることと同じくらいくらい、当たり前じゃないか!と思う人もいるかもしれない。

 


COWCOW「あたりまえ体操#1」

 

だが案外そうでもない。世の中には何となくというか、ただこれまでの慣習に沿ってお金が流れていたというケースだってあるのだ。

 

僕にとって印象的なのは、堀江さんが運営している「堀江イノベーション大学」。「大学」と謳ってはいるものの、中身として実際に行われているのは授業ではなく事業だ。とどのつまり会社。ならばこれまでの慣習に従う場合、堀江さんは会員にお金を払う立場のはず。しかし実際は、逆に会員が堀江さんに月1万円払っている。ちなみに名前を「大学」としたのは、この構図を世間的にも納得させるためだというのが、僕の邪推だ。

 

ただ誤解しないでほしいのだが、僕はこの例を悪い例ではなく、良い例として用いるために出した。このお金の流れの逆転について、以前堀江さんがどこかで言っていたことが実に興味深かった。ソースを探したけど見つけられなかったから、僕の記憶の範囲でまとめる。

 

「大学時代は高い学費を大学に払っていたのに、卒業して会社に入った途端に月20万とかもらう。別にその人が急に生まれ変わったわけでもないのに、このギャップはおかしい。」

 

要は学生は大学にお金を払い、会社が社員にお金を払うという行為を一旦考え直そうということだ。特に新卒なんかは、入って数年の間は役に立たない。それならば逆に、経験量として会社側がお金をもらいたいくらいだということだろう。

 

ただ堀江イノベーション大学の場合、経験に加えてその過程での堀江さんからのフィードバックや、同志とのコミュニティ、豪華ゲストとの定例トークなど、様々な付加価値がある。そのため一概には「会社」とも言えないけれども、少なくとも「事業をしている」という観点からは、既存の価値観に照らし合わせると、堀江イノベーション大学は「会社」だ。にも関わらず、堀江さんはその「柔軟な発想力」と「自身の魅力」で、従来とは真逆のお金の流れを起こした。

 

田端さんの記事に戻る。広告も従来の常識だと、基本的には「お金を払ってでも避けるもの」だった。スマホ内のただでさえ小さい画面に張り巡らされた広告は、僕たちが本来楽しみたいコンテンツを、さらに小さくした。邪魔で仕方なかった。しかし今「Amazon Dash Button」は、お金を払った上で、消費者たちに喜々として貼り付けられている。しかも「冷蔵庫の上」という、「我々が家の中で見る場所ランキングベスト10」に、絶対ランクインしているであろう目立つ場所に。それは、「Amazon Dash Button」が魅力あるモノだからこそ成せる所業だ。

 

もう嫌われものにお金は集まらない。誰が何にお金を払うべきかなんて、そんなのいつ決まったんだ。消費者だってバカじゃない。これまでのしきたりにあぐらかいて偉そうにしてると、気付いたら周りに誰もいなくなってる。これからの時代、「魅力ある人やモノ」へのお金の流れはどんどん加速していくだろう。

 

 

 

なんてことを、一秒たりともビジネスパーソンになったことがない大学生が考えてました。

 

Twitterもやってます。普段は主に、時事や野球ニュースのキュレーションをしてます。よければフォローしてください。

巨人・阿部慎之助が補欠になる日。

日本キャッチャー史に名を残すであろう、名捕手「阿部慎之助」。

 

2000年代最強の「打てる捕手」の称号を彼に捧げることに、誰も異論はないだろう。

 

そんな彼は今、プロテクターをそっと外し、左手はファーストミットに持ちかえて、「4番・一塁」としてチームを支えている。2017年5月9日の試合終了時点で、5本塁打25打点は共にチームトップだ。

 

しかしそんな彼も、今季で38歳。ここ数年、同世代が次々とユニフォームを脱ぐ中で、彼自身も「引退」の2文字が頭の中をよぎっているはず。恐らく5年、3年、いや、もっと言うなら、明日の試合でダイビングキャッチなんかした時に、持病の首痛を悪化させてそのまま...という可能性だって0ではない。

 

ただ、今季のここまでの打棒の健在ぶりを見ると、余程の大怪我や不振がない限り、まだもう数年は十分にやれそうだ。ただしそれは、「スタメン」とは限らない。

 

阿部の一塁守備、お世辞にも「上手」とは言えない。今季も既に何回かポカをやらかしてるし、記録に表れないミスもちょこちょこしてる。今の阿部の起用法を言葉で表現するなら、「守備にはある程度目をつむるから、その分打ってくれ!」である。

 

つまり阿部は、打ちまくらなければならない。逆に言うと「ほどほど」の成績ならば、それは「スタメン」から「補欠」への降格を意味する。まあ、阿部ならば「代打の神様」あたりが妥当だろう。

 

今のところの成績ならまあ一応、あのお粗末な守備にも目をつむれる。しかし今季の残り試合、はたまた来年以降で「ほどほど」に打撃成績が下降していくようだと、首脳陣は目をパッチリ見開いて、彼の一塁守備の粗探しを始めてしまう。

 

ただ僕たち巨人ファンは、「スタメンの阿部」しか知らない。だから、首脳陣としては「ほどほどしか打てなくなったから、そろそろ控えに回したい」と思っていても、僕たちはそんな急には「控えの阿部」を受け入れられない。

 

そこで今回は、僕も含めて「阿部が補欠になる日」が訪れても、ショック死で倒れてしまわないように、現時点の予測できる範囲で、首脳陣の立場からの「阿部補欠化ストーリー」の候補をいくつか作っておこうと思う。

 

「阿部が補欠なんて考えられないー!」という人は、この先を読まず、そっとページを閉じてもらいたい。

 

まず最初に、このストーリーにおいて最も重要なのは、「なめらか」であることだ。つまり、ファンが受け入れやすく、かつ阿部本人のプライドも出来る限り傷つけないようにする必要がある。

 

世の中、探しているものというのは、大概近くにあるものだ。灯台下暗し。今回ストーリーを考えるにあたり、最も参考になる事例は「村田修一」だ。彼もまた、通算本塁打数は300本を超え、本塁打王のタイトルも2度獲得している、阿部と同じ大打者だ。しかし彼は今、補欠である。

 

昨シーズン終了時、誰が今季の村田を想像できただろうか。2016年、彼は全試合出場に3年ぶりの3割。25本塁打81打点はチームトップで、おまけにゴールデングラブ賞ベストナインだ。彼は2016年、出来杉君以上に出来すぎなシーズンを過ごした。

 

ところがどっこい、そのバラ色のオフの間に巨人にやって来たのは、少しぽっちゃりして帰ってきた、2013年楽天日本一の立役者「ケーシー・マギー」である。

 

オープン戦は良かった、なぜなら「DH」があるからだ。僕が思うに、オープン戦におけるセ・リーグのDHというのは、結構罪深い奴である。シーズン中よりも一人スタメン野手が多いから、首脳陣はレギュラー当落戦場の選手にも、暫定ながら「スタメン」のイスを与えてしまう。ところがシーズンが開幕した途端、その選手が座っていたはずのイスは、どこかへ消えてしまう。厳密に言うと、ラスト3試合くらいからDHを外して、先発投手を打席に立たせるが。そして気付いたときには、「補欠」なのだ。村田も、このパターン。

 

以上、この事例からは「大物外国人選手」、「オープン戦DHからのシーズン補欠」あたりが、参考になりそうなキーワードだ。

 

しかし、村田が補欠に危機に晒されたのは今季だけではない。結果的に村田がレギュラーになったから、今ではそれほど覚えられていないかもしれないが、実は昨年も、村田は開幕ギリギリまで補欠だった。

 

そう、昨年のオープン戦期間中、三塁のスタメンはほとんどが岡本だった。結局、岡本が全く打たなかったから開幕直前に2軍落ちして、事なきを得たが、もしあのまま岡本が成績を残していれば。。恐らく村田は補欠だった。

 

ああ恐ろしや。昨年の事例からは、「期待の大型新人」というワードが浮かんでくる。

 

あと村田修一以外に、「大打者の静かなる補欠化」として参考になりそうな選手が、「新井貴浩」だ。去年の広島カープの4番兼セ・リーグMVP男の、今季の立ち位置は5,6番兼ベンチ。打率自体は3割を超えてるし、HRも5本打っているが、立ち位置的には降格だ。緒方監督としては、世代交代や鈴木誠也を4番として育成したいといった魂胆があるのかもしれないが、それだけで今季いきなり新井を降格させるのは、ファンも本人も受け入れがたいはずだ。

 

そこで緒方監督が用いたウルトラCは、「休養からのこっそりそのまま4番交代作戦」。今季、広島は「4番新井」で開幕した。鈴木誠也は6番だ。と思っていたら、気付けば鈴木誠也が4番に定着していた。最初は新井の休養日だけだったのだが、いつの間にか新井スタメン出場時にも、鈴木が4番で出るようになっていたのだ。とても静かな交代劇だった。僕がこの前散歩した、深夜の公園くらい。緒方監督のこの作戦、「4番」のところを「スタメン」に変えてもなかなか使えそうだ。

 

とまあこんな感じで、阿部が控えになる幾つかのパターンをシミュレーションしてみた。最後にまとめると、代替選手候補としては「大物外国人」、「期待の大型新人」。補欠ストーリーについては、オープン戦DHからのシーズン補欠」、「休養からのこっそりそのままスタメン交代作戦」あたりが有力。これらを上手に組み合わせれば、ファンは出来る限り穏やかな気持で「阿部の補欠」を受け入れ、本人のプライドへの傷も、出来る限り最小限に留められるのではないだろうか。

 

個人的には、岡本に「期待の大型新人」枠を活用してほしいなー。

 

 

 

Twitterもやってます!毎日気になった野球記事を紹介したりしてます。よければフォローしてください!

「ザ・ラストエンペラー:見城徹」

 

ザ・ラストエンペラー (幻冬舎plus+)

ザ・ラストエンペラー (幻冬舎plus+)

 

 

見城徹さん、名前自体は1年くらい前から知っていたのだけれど、 ここ2〜3ヶ月で急に興味が湧いてきた。理由は、自分でもよくわからない。

 

ただ、「感想こそ人間関係の第一歩」という、見城さんがメディアに出た際にしばしば口にしていたこの言葉が、最近ようやく自分の中で腑に落ちてきた。あ、というかこれが理由か。

 

その人を深く知るには本が良いだろうと思い、「たった一人の熱狂」と今回購入した「ザ・ラストエンペラー」で2択で迷ったのだけれど、前者は少し自己啓発っぽいニオイがしたのと、後者に収録されている対談相手がみな面白そうな人ばかりだったので、結局「ザ・ラストエンペラー」の方を購読。

 

たった一人の熱狂 (幻冬舎文庫)

たった一人の熱狂 (幻冬舎文庫)

 

 

で思ったのは、このクラスの人に人生観には、当たり前のように「死への恐怖」っていう話が登場する。登場の当たり前さで言うと、「紅白歌合戦和田アキ子」くらい。あれ、それは去年で記録途切れたんだっけ。

 

僕がこの本の前に読んだ「ぼくらの仮説が世界をつくる」でも、佐渡島さんは最後に「死」についての話をしてた。

 

 

他に有名どころなのは、堀江貴文さんやスティーブ・ジョブズ。あと、僕は直接記事や本を読んだりしたわけじゃないけど、楽天の三木谷さんやソフトバンクの孫さんなんかも、「死への強烈な恐怖」が凄まじい行動力の源泉になっているらしい。

 

どうやら彼らはほとんどの場合、ふとした時にそういった感覚に突如目覚めるようだ。そしてこの感覚を会得すると、「時間の有限感」みたいなのを全身でビンビンに感じて、焦燥感が振り募らせることができる。

 

今の僕にはこの感覚、頭では理解できても心の底から本当には感じることができない。でも、もしこの「死へ恐怖」や「時間の有限感」みたいな感覚を手に入れることができたら、もっと自分の人生を高速で駆け抜けられて、もっと人生の本質みたいなものに近づけるような気がする。だから、僕も入手したい。

 

今でこそこんなカッコつけたこと言える大学生になったけど、それこそ僕も小学生の頃は暇さえあればポケモンやってる鼻垂し坊主だった。あの頃の僕が欲しかったのは、「時間の有限感」ではなく「マスターボール」。図鑑コンプリートに夢中だった。

 

マスターボールは、友達に教えてもらった裏技で999個すぐにゲットできた。だけど、今の僕が欲しいものの入手方法に、そんな小細工は通用しない。もしかしたら、先天的な才能だけがイベントの発生条件なのかもと諦めていた時期もあったんだけど、やっぱり欲しい。

 

直感でピーンと来ないなら、地道に染み込ませていくしかない、後天的に。多分、カギは「時間の可視化」。この本の前の前の前に読んだ佐藤航陽さんは、紙のカレンダーに毎日「☓」を入れたり、アップルウォッチで「次の誕生日まであと◯◯日」みたいなリマインド機能を設定しているそうだ。今思えば、祖父母の家のトイレのカレンダーにも、同じように日付にチェックが入ってた。いや、あれはただの「ボケ防止」か。じっちゃんとばっちゃんは、そんなことしなくても、リアルに肌身で「死の恐怖」を感じているはず。少しでも健康に長生きしてほしい。

 

 

「死の恐怖」に襲われたら襲われたで、それも大変なのかもしれない。けど、良くも悪くもそんな不安に苛まれることなく、毎日を平和に生きてる僕にとって、その感覚はある意味ものすごくうらやましい。つまるところ、「死の恐怖」とは「アンジャッシュ・渡部」なのである。結婚おめでとう、渡部。

 

僕もどうにかこうにかして、パートナー「時間の有限感」を見つける身につける。

 

 

Twitterもやってます。時事ネタや野球ネタについて、ちょこちょこつぶやいてます。よければフォロー、お願いします!

 

「ぼくらの仮説が世界をつくる:佐渡島庸平」

 

 

結局、いわゆる「優秀な」人というのは、言葉の言い回しや表面上の理論が多少は異なれど、思考回路は同じところに行き着くんだなと思った。

 

今回の佐渡島庸平さん、著書の題名からも察しのつく通り、物事を考える際の思考回路の順番は、

 

仮説→情報→仮説の再構築→実行→検証」

 

となってるそうだ。因みに比較対象として、一般的な思考回路の順番は、

 

情報→仮説→実行→検証」

 

と本著では記述されてた。

 

肝は赤く着色した最初の2ステップで、要は「先に情報を収集しすぎると、固定概念に囚われて前例主義になってしまうから、最初に仮説を立てて、情報はその仮説を補強するために利用する」というのが、佐渡島さんの主張。

 

僕は最初にこれを読んだ時、「えっ、佐藤航陽さんと全く逆じゃん!」と衝撃を受けた。

 

 

僕も以前のレビューで紹介した、「未来に先回りする思考法」の著者である佐藤航陽さんは、その著書の中で未来に先回りするための思考法として、

 

『歴史から「なぜ(起源)」を突き詰め、「規則性」を見出すこと』 

 

の重要性を述べていた。 言うならばこの思考回路は、

 

情報→仮説→実行→検証」

 

という、一般的な思考回路の典型例だ。

 

だから僕は、「ああ、こんなにすごい結果を残してる人たちでも、そのアプローチは千差万別なんだなあ。人それぞれなんだなあ。」と妙に嬉しくなっていた。

 

ただ、読み進めていくと少し事情が違うことに気付いた。佐渡島さんは隠し持っていた。「仮説」という第1段階に入る前にある、「第0段階」の存在を。

 

キーワードは「宇宙人視点」

 

この単語を聞いただけだと全く意味がわからないと思うけど、佐渡島さんは「仮説」を立てる際に「宇宙人視点」で物事を考えるようにしているそうだ。

 

要は物事の本質を捉えるために、出来る限り慣習や表面的な事象を排除するということ。そうすれば、過去の常識にとらわれない大胆な「仮説」が立てられる。つまり、佐渡島さんと佐藤さんは、「言ってることは違うけど、やってることは同じ」だった。

 

最初、僕がスゴイと思う人がそれぞれ逆の思考法で、同じように結果を残していることに、ワクワクしながら読み進めていたのだけれど、結局同じかい!って気付いて一瞬だけ落胆した。

 

ただ、すぐに切り替えた。というか、僕にとっては同じだった方が都合が良い。なぜなら、つまりこの思考法こそが、未来を切り開くには「最強」ということが判明したからだ。

 

道具は手に入れた。あとは自分次第。

 

僕も、自分自身の「仮説」で、世界をつくっていく。

 

 

ツイッターもやってます。時事や野球なんかについて、ボソボソつぶやいてます。よければフォロー、お願いします!

 

 

2020年東京五輪、「最強の侍ジャパン」を結成するにはどうしたらいいか?

 

「075」

 

この数字、なにか分かる?

 

アイドルとも話せる新世代トークアプリ(755)でも、ある時とない時で全然違うやつ(551)でもない。ちなみにだけど「755」の名前の由来は、開発に参加した堀江貴文さんの、刑務所時代の囚人番号だそうだ。どっかで使えるかも。

 

 正解は、WBCで一躍脚光を浴びた「バントのコバちゃん」こと小林誠司の、シーズンでの打率だ。40打数3安打。。

 

勘弁してくれ。一瞬、「鬼肩」とも呼ばれるその強肩を活かすために、投手に転向しちゃったのかと思ったよ。防御率じゃなかったのね、その数字。

 

「疑惑の代表選出」から一気に正捕手まで昇りつめ、「打率.450、1本塁打、6打点」という驚異的な成績を残したWBCの時の小林はどこに行った。.450とは言わないから、せめて.250は打ってくれ!・・・

 

 

ということでWBCだ。小林の話は、いわゆる「イントロダクション」。本題はこれから。

 

今回のテーマはずばり、

 

「どうすれば国際大会で、少なくともNPB選手をフルメンバー招集できるか」だ。

 

MLB選手に関しては、こっちから踏み入れることのできる領域も限られているし、向こうの事情もあるので、まあとりあえず置いておこう。まずは、国内のNPBからだ。

 

現状、国際大会において、12球団が一枚岩となって協力できているとは言い難い。

 

一番顕著な例だと、09年WBCで候補として挙がっていた中日の選手がみんな辞退して、総バッシング食らってた。

 

今回でも、大谷辞退の一件で、色々とドタバタしていたようだ。

 

【検証・小久保ジャパン】球団とNPBと首脳陣チグハグ…大谷欠場防げず

http://bit.ly/2oPiwiM

 

選手選考と起用法に関しては、12球団側と代表側が一番揉めるところだと思う。

 

球団は、チームの中心選手が大会で怪我でもされたらたまったもんじゃないし、選手自身も、例年ならじっくりと調整しているシーズン開幕前の大事な時期に、ハイペースに仕上げて100%のパフォーマンスを発揮しないといけない。

 

何ともリスクがありあまっている。

 

 

 そんな時、スポーツ紙が決まって言うセリフはこうだ。

 

「代表側の権限強化を」

「日本を背負うという志が必要だ」 

 

僕だって、一人のプロ野球ファンとして、「最強の侍ジャパン」を見たい。ただ、そうするための手段を「上からの強制的な押さえつけ」や「奉公の気概」で語ろうというのは、いささか的外れであるように思う。

 

球団も選手も、「仕事」としてプロ野球に関わっている。ボランティアじゃない。バレンティンでもない。

 

そんな人達に、「日本のために、怪我やシーズンでの不調のリスクも顧みずに国際大会に出てくれ!」と、情に訴えかけるのは無理がある。というか、失礼である。あんたら、それで怪我したら責任取ってくれんのかって話である。

 

ならどうするか。結局、最後は人の利己的な部分に訴える。それしかない。つまり、「日本代表が最強になるようなインセンティブを、球団や選手に与える」ってのが、今回の僕の提案だ。

 

例えば、選手に対して考えられのは、

 

  • 国際大会の出場に応じて、FAまでの期間短縮。
  • 国際大会出場翌年のシーズンの成績について、仮に芳しくなくてもあまり年俸が下がらないように、制限をかけられる。
  • 国際大会での活躍に応じては、球団からではなくNPBからの報奨が、特別に与えられる。

 

など。球団に対しては、

 

  • 派遣選手の人数に応じて、1軍のベンチ枠や外国人の登録人数の制限を緩和する。
  • 選手を派遣すればするほど、オールスターの開催球場として招致しやすくなる。
  • ドラフトのくじの順番を繰り上げ。

 

などが挙げられる。他にもまだまだありそうだけど、まあざっとこんな感じ。

 

2020年の東京五輪はシーズン中だし、どうせまた同じような問題が起きるだろうけど、その際に僕が言いたいのは、「日本の栄冠のために」とかの精神論で、選手や球団を動かそうとするは止めようねってこと。

 

そんな強引な手法ではなく、うまいことインセンティブシステムを活用して、球団の方からホイホイ選手を持ってくるような仕組みにしないと。

 

 

以上、これが「どうすれば国際大会で、少なくともNPB選手をフルメンバー招集できるか」についての、僕の提案。

 

Twitterでも読売ジャイアンツを中心に、野球ニュースについてちょこちょこつぶやいてるので、良ければフォローお願いします!

「さよならインターネット:家入一真」

 

 

著者の「家入一真」さん、僕がその存在を知ったのはここ1~2年くらいなのですが、過去に上場とかしてメチャクチャ儲けて、そこから一文無しになったみたいな話を聞いたことがあったので、勝手に調子乗りすぎたイケイケな経営者っていうイメージをしてました。

 

だけど、実際に映像で初めてその姿を見てみたら、公の場なのにマスクしてること多いし、あんまり喋らないしで、僕の勝手な想像とは違ってて驚きました。あ、言い忘れてましたが、

 

レビューです。申し遅れました。

 

内容としては、インターネットの歴史とこれからについて、その大半をインターネットと共に過ごしてきた家入さんの人生も振り返りつつ、見ていこうというものです。

 

タイトルと帯からも想像できるように、全体的にインターネットの将来については悲観的な内容となっています。悲観的というか、家入さんがそれに出会った時には存在した心地よさ、理想としていた世界からは乖離していっているということです。

 

ということで今回は、家入さんが予想する「これからのインターネット・ネガティブポイント3選」をお届けします。

 

①国がインターネットの管理に乗り出す。

インターネットって、僕のイメージでは「自由の最後の砦」みたいな感じです。実際、今の世論としても「インターネットを規制するのは、流石にナッシングだろう」というものが大半でしょう。

 

ただ、国家にとってインターネットは、グローバル企業と同じくらい自身の存在を脅かす厄介な存在です。そうなると彼らは、自身の最大の既得権益である「権力」を最大限に駆使して、その厄介物を管理下に置こうとしても不思議ではありません。

 

本著での書き方からすると、家入さん自身は結構ガチでこの「インターネットが管理下に置かれる」というディストピアを懸念していました。

 

②インターネットが閉ざされていく。

今日のインターネットの世界では、「炎上」が日常茶飯事です。過激な発言や目立つ人の行動は、その意図や本質からはズレた切り取られ方をされ、そして瞬く間に拡散していきます。

 

そうするうちに、本来は届く必要のない人や届いてほしくない人にまでその情報が行き渡ってしまい、全く的外れな議論が始まってしまいます。

 

この状況から予想される未来は、「閉ざされたインターネットの世界」です。ある種の「壁」を作ることによって、必要以上に情報が伝播してしまうことを防ぎ、届けたい人、届いて欲しい人にだけ情報が届くようにします。

 

というか、この②に関しては既に現象として発生しています。顕著な例としては、「有料メルマガ」や「オンラインサロン」です。主催者は多くの場合、「お金」によって「壁」を建設します。こうして、ただの野次馬は中に入れなくなるので、「閉ざされた世界」は実に心地の良い健全な空間となります。

 

この「閉ざされた世界」に関する動きは、ますます加速していくでしょうね。

 

③「偶然の出会い」が消滅する。

キーワードは、「SNS」と「AI」です。

 

僕たちは基本的に、自分の価値観と相容れないものは「ノイズ」として嫌悪します。だからSNSのタイムラインには、自分の好きなものばかりが並びます。この状態、悪く言えば「ぬるま湯につかっている」ような状態です。

 

また、最近流行りのAIは、データを蓄積させればさせるほど、正確な分析をするようになります。スマホを始めとする身の回りの機器は、これからの時代、使用すればするほどユーザーの好みに合わせて、中身がカスタマイズされていきます。一言で言えば、「パーソナライズ」です。

 

「ぬるま湯」がどんどんとぬるくなり、かつ「パーソナライズ」も進行した先に待ち受けているものは何か。それは「偶然の出会い」の消失です。一番わかりやすい例は「本」です。

 

インターネットが無かった時代、僕たちはリアルの本屋さんに行って本を購入していました。そこでは、お目当ての本が既に決まっていた場合でも、否が応でもそれ以外の本も目に入ります。そこには、「偶然の出会い」があったのです。

 

今はどうでしょう。SNS上には自分が好きな人、自分と価値観が合致する人の本しか流れてきません。AIによって、Amazonのサイトには常に「あなたへのおすすめ本」が所狭しと並んでいます。そこにはもう、「偶然の出会い」はないのです。

 

以上が、家入さんが予想する「これからのインターネット・ネガティブポイント3選」です。まあ、別に今のインターネット悪いところや悲観的な将来予測ばっかりじゃなくて、好きなところにもそれなりに紙幅が割かれてます。

 

20~30年前のインターネットを知らない僕としては、インターネット黎明期の懐かし話なんかも面白かったです。あとは、家入さんのことが前よりも好きになりました。それだけでも十分読み応えのある本でしたね、これは。

 

 

「未来に先回りする思考法:佐藤航陽」

こんにちは、「未来に先回りする思考法」を身につけてしまった男です。

 

出落ちです。本のレビューです。

 

未来に先回りする思考法
 

 

著者の佐藤航陽さんを知らない人にとっては、タイトルからものすごく胡散臭さを感じるかもしれませんが、本当にめちゃくちゃスゴい人です。

 

  • 早稲田大学在学中の2007年に株式会社メタップスを設立し代表取締役に就任。
  • 2011年にアプリ収益化プラットフォーム「Metaps」を開始。
  • 世界8拠点に事業を拡大。
  • 2013年より決済サービス「SPIKE」を立ち上げ。
  • 2015年に東証マザーズに上場。
  • フォーブス「日本を救う起業家ベスト10」に選出。
  • AERA「日本を突破する100人」に選出。
  • 30歳未満のアジアを代表する30人「Under 30 Asia」に選出。

 

どうですか?経歴だけでも十分タイトルに説得力が出てきたと思うので、早速ここから中身を見ていきましょう。

 

1.シビレる名言編

 

2作品がエントリーしています。

 

いつも社員には競合のことを意識しすぎる必要はないという話をしています。同じ場所を目指して登っていれば、意識しようがしまいが、いつかは競争することになるからです。

 

GoogleAmazonFacebookなどの巨大IT企業が考える未来像は驚くほど酷似しています。彼らは「いつ」それに取りかかるかのタイミングの読み合いをしているだけです。

 

カッコよすぎます。見据えている世界のスケールがでかすぎる。資本主義なんか眼中にないよって感じが、カッコよすぎる。。

 

この2つの言葉、根本的には同じことを言っています。実際、最近の彼らが「宇宙」「自動運転」「VR」「AI」「音声」などの似たような分野で、似たようにニュースになっていることを思い浮かべれば、それは理解できると思います。言い換えれば、彼らはこれらのキーワードに関しては「今」取りかかるべきであると、判断したということです。

 

そうすると、昔に自分が失敗したサービスやプロダクトが、今の時代に似たようなものが成功した際に、先に失敗した起業家なんかがたまに口にする「自分は時代を先取りしすぎたなー」というコメントは、あまりカッコよくないということがわかります。

 

GoogleAmazonFacebookの偉い人たちだって、ずっと前からいま成功しているサービスを思いついていたはずです。そこから然るべきタイミングまで待って、適切なタイミングで投下したのです。だから「時代を先取りしすぎた」というのは、「自分は適切なタイミングを見極められなかった」と、白旗を揚げている発言に等しいということなんです。

 

2.一番印象に残ったこと編

 

一言でざっくり言うと、「佐藤さん、思ったよりも国家や政府というものに対して寛容なのかな」、ということです。これは意外でした。佐藤さんのようなITを駆使した新進気鋭の経営者って、だいたい国家や政府を嫌悪しているという僕の偏見があったので。

 

著書からの引用を元に、詳しく見ていきます。

 

Googleの影響力は、すでに各国政府の懸念事項になるほどに高まっています。この点において、実は先見の明があったのが中国です。中国では、Facebookは上海などの一部の地域を除いて利用できません。

 

以前は、こういった閉鎖的な中国の戦略に、国際世論は冷ややかな目を向けていました。しかし、各国の産業がシリコンバレーの企業に骨抜きにされていくにつれ、各国政府は中国と同様の戦略をとり始めています。

 

外資を規制し、国内の企業を大事に育ててきた中国は、今やインターネット産業において、米国と唯一競争できる可能性を秘めた国です。

 

どちらかと言えば、国家や政府による規制を「容認」しているとも受け取れる発言です。この本が出版される1年半ほど前に堀江さんと対談したときの感じだと、「テクノロジーの力で既存の通貨や政治の枠組みを破壊する」的な意気込みを感じたのですが。

 

タップス佐藤航陽が考える”通過の未来”とは?

http://horiemon.com/talk/3158/

 

単純に僕の読み方が的外れの可能性も大いにあります。ただ、もしかしたらこの1年ちょっとの間に、グローバル企業として、将又インターネットを扱う企業として国からの規制を肌で感じる中で、多少なりとも考え方が変わった部分があったのかもしれません。

 

外から口で「政府が既得権益のために企業活動を規制してはならない」と言うのは簡単ですけどね。当事者として中で実際にやってみて、「国側も自らが生存するために必死なんだな」と諦念に似たような感情が出てきた可能性もあります。

 

そして、類似の議論として「融合する国家と企業」という項目も大変興味深かったです。

 

NASAが国家安全保障の目的でインターネット上の情報を収集する国家の「裏」の組織だとすれば、Googleは人々の生活をよりよくするという看板を掲げ情報を収集する「表」の組織ともいえます。

 

僕は今まで、国がグローバル企業が外からやって来ることを嫌がるのは、単純に自国産業が影響を被ることを嫌っているからだと思っていました。でも、そうではなかったようです。各国政府が警戒しているのは、GoogleAmazonという単体の企業そのものではなく、背後に存在するアメリカだったのです。

 

また、つまりこのことはグローバル企業と国家というのは決して犬猿の仲ではないという事実も、同時に示唆しています。これも僕は今までは単純にアメリカとGoogleは、Googleがめっちゃ儲けてるくせにアメリカに全然税金を納めないから、対立構造にあると思いこんでいました。そうではなかったんですね。勿論、そういった面もあるとは思いますが、逆にそういった面だけではないということで、なかなか奥が深いです。

 

「国家」に関する本書での見解を僕なりにまとめると、「多国籍企業の台頭は国家の存在そのものを消滅させる可能性もあるが、実際には手を変え品を変えノラリクラリと結構長生きするのではないか」です。

 

少なくとも、国家というシステムは「形式的には」かなりの間残ると思います。なぜなら、国家は権力という強力な武器を持っているからです。

 

国家が形式的には残るだろうと考えられるのは、時代が変わり「必要性」が変わったとしても、国家は法律や規制を制定することで、世の中の流れを多少遅くすることができるからです。

 

今、国家と企業はそれぞれの得意な領域で協力関係を築きつつあります。国家は権力を、企業は活動領域の拡張性と機動性をそれぞれ持っています 。このふたつが補完し合えば、さらにその脅威は増すでしょう。

 

政府が得意な分野は政府がやり、企業が得意な分野は企業に任せる。国家と企業は競合になる一方で、互いの境界線はいまや融解し、共生関係を構築するようになりつつあります。

 

国家とやらは、なかなかしぶとそうですね。

 

3.日本の巷でよく行われている議論を、佐藤流にぶった斬る編

 

2議論がエントリーしています。

①日本ではなかなかイノベーションが起きないなあ。

②日本の選挙の投票率は低すぎるだろ!

 

順番に見ていきましょう。まずは1つ目。

 

①日本ではなかなかイノベーションが起きないなあ。

 

この議論を、佐藤流に斬るとこうなる。

 

要は、今の日本社会には、イノベーションが起きるだけの「必要性」がないのです。

 

佐藤さんは、「第二のシリコンバレー」とも呼ばれているイスラエルを訪問した際に、現地のベンチャーキャピタリスト

 

「どうして人口800万人の国が、こんなにうまく、継続的にイノベーションを生み出せるのか?」

 

と聞いてみたそうです。すると、その返事は至ってシンプルでした。

 

「Necessity(必要性)。」

 

中東は政治的な緊張関係があり、周辺国とも争いが絶えません。そのため政府・民間・大学・軍など全員が協力して収入を確保し、アメリカをはじめとする諸外国への影響力を保ち続けなければ、国として危機に陥ってしまいます。つまり、イノベ ーションを起こすための「必要性」が、どこより切実に存在しているのです。

 

そういう意味では、今の日本にはそういった「必要性」は存在しません。戦争をしているわけでもない、政治は非常に安定していて、現状を維持しても生活ができる。治安は抜群によく、テロなども滅多に起こらない。

 

イノベーションが無くても明日があるというのは、国としてはとても幸せなことです。もしかしたら、この議論自体が非常に「贅沢な悩み」なのかもしれませんね。

 

では次に行きましょう。2つ目のお題はこちら。

 

②日本の選挙の投票率は低すぎるだろ!

 

この議論を、佐藤流に斬るとこうなる。

  

今考えるべきは投票率を上げる方法ではなく、時代に合致しなくなったシステムに代わる新しい仕組みの方でしょう。

 

佐藤さん曰く、投票率が低下しているのは若者が怠慢になっているからではないようです。

 

日本で選挙システムが導入されたのは明治時代の頃。もう、100年以上も前のことです 。ネットが情報収集と発信のベースになっている現代の若い人たちにとっては、特定の時間に特定の場所へ紙の投票用紙に名前を書きに行く行為に、疑問を感じないほうが難しいのです。

 

最後に、もう一回ぶった斬っときます。

 

既存のプロセスを通さなくても従来の政治の目的は達成可能な時代になりつつある時代に「投票率を上げよう!」と叫び、他の選択肢を検討しないのは、ある種の思考停止とさえいえるでしょう。 

 

4.「未来に先回りする思考法」編

 

最後、遂に本題です。これで最後まで読めば、みなさんも晴れて「未来に先回りする思考法」を身につけることができます。

 

表題の「未来に先回りする思考法」を習得するにあたり、佐藤さんが終始一貫して主張していたのは、『歴史からなぜ(起源)を突き詰め、規則性を見出すこと』の重要性でした。

 

例えば、あらゆるテクノロジ ーをマクロに見れば、その本質的な特徴は3つに絞られます。

 

①人間を拡張するものであること。

②いずれ人間を教育しはじめること

③掌からはじまり、宇宙へと広がっていくこと。

 

まず①について。石器にはじまりインターネットに至るまで、すべてのテクノロジーは、何らかの形で人間の持つ機能を拡張してきました。斧や弓は手の持つ機能をそのまま拡張し、蒸気や電力は人間の手足の動力そのものを何万倍にまで拡張させました。そして、コンピュータやインターネットは人間の知性を拡張させます。

 

次に②について。教育といっても頭をナデナデする感じの教育ではなく、新しいテクノロジーが社会に普及するに連れてその主従関係が逆転する有様を、佐藤さんは「教育」と表現したようです。

 

例えば、「貨幣」というのは元々はあらゆる物々交換の非効率を解決するために生み出されたテクノロジーでした。しかし、それまで漠然としていた「価値」という概念が、貨幣によって数値化され比較可能になったため、貨幣を中心に損得の判断を計算する方が、効率的になっていきました。現代の人々にとっては、価値判断基準の中心には、必ず貨幣が存在しています。

 

だからこそ、現代の人々は、それ自体はただの紙切れに過ぎない1万円札をあれほどまでにありがたがり、かつそれを手に入れるために汗水垂らして働きます。その様子は、まさにテクノロジーが人間を教育しているようですね。

 

最後に③について。①で述べた「人間の拡張」というのは、実は常に「身体の近く」から始まります。

 

最初は手足の拡張です。斧、弓などの武器は手を拡張し、草履は足を拡張しました。次に身体から離れ、物理的に離れた空間において人間の機能を拡張していきます。掌の上にあった道具は、身体を離れ器具として室内に配置され、さらに室外へ飛び出し、汽車や自動車のような移動手段になって距離を克服しました。最後は重力すら克服し飛行機として空へ、そして遂には地球を飛び出し宇宙へと向かっていきました。 

 

このように、テクノロジーは一定の順番を経て物理的に遠くへと浸透し、そして浸透すればするほど日常の風景となり、その存在感を消していきます。

 

「未来に先回りする思考法」について、「テクノロジー」を例にとって紹介しましたが、ここで大事なことは『歴史から「なぜ(起源)」を突き詰め、「規則性」を見出すこと』です。

 

佐藤さんは別の言い方として、『ものごとを「点」ではなく「線」として捉える』という表現もされています。「点」とは現在の景色、「線」とは歴史のことです。

 

実際、佐藤さんも著書の中で自身の事業の際に、「未来に先回りする思考法」を実践した経験を吐露していました。

 

現在、佐藤さんが自社で展開しているアプリの収益化ビジネスは、開始当初はAndroidに特化していました。しかし、当時のスマートフォンにおけるiPhoneのシェアは圧倒的でした。アプリの市場で見ても、2009〜2011年は実に9割がiPhoneで占められていました。

 

佐藤さん自身も、Androidに特化するという決断に納得していたわけではなかったようです。ただ、そんな個人の感覚よりも過去からの「規則性」、今回だとApple垂直統合型とAndroidの水平分業型という、双方のビジネスモデルの顛末から導出された「規則性」を優先した結果、Anroidに賭けることにけ決めたそうです。

 

そして、iPhoneAndroidのシェア争いは皆さんご存知の通り。佐藤さんのサービスも見事成功されたようです。

 

最後に、では僕たちはどうして「未来に先回りする」必要があるのでしょうか?大儲けするため?それは結果としての対価です。では一体何なのでしょう。佐藤さんは、次のように答えて本著を締めくくっています。

 

これまで述べてきたように、社会が進化する方向性には、大きな「流れ」があります。

 

そして、社会の進化に流れがあるという事実は、実は寂しいことでもあります。流れが一人の人間に覆せるようなものではないならば、個々人が存在する意味は小さいからです。

 

ただ、それでもしいて自分が存在している意味を求めるとすれば、それは「来るべき未来の到来をできるかぎり早めること」にあるのではないかと、私は思っています。

 

私たちにできることは、顕在化している課題をできるだけ早く解決する方法を見つけ、ひとつでも多くの不幸をなくすことぐらいでしょう。

 

自分という存在に意味を与え続けるためにも、私は少し先の未来に先回りし続けようと思います。

 

もう涙が止まりません。皆さん、どんどん「未来に先回り」していきましょう。

 

未来に先回りする思考法