藤本の日記(@Kentaro_Fujimo)

大学生の男です

東日本大震災当時、関西の中学生で完全に対岸の火事だった僕が、福島原発へ行ってきました

 

こんにちは、藤本けんたろうです。

 

※2年前に福島(原発も含む)へ行って、その際にnoteで書いた記事を転載したものです

 

日本、いや世界を震撼させた「3.11」の次の日、当時まだ中学生で、野球部だった僕は普通に朝から部活で練習をしていました。

 

部員との会話も「昨日東北ヤバかったらしいな」「〇〇は向こうに親戚がおるって嘘ついて、今日の練習サボってるぞ」とか、そんな感じ。集合時のミーティングでも、顧問は冒頭でちょこっと時事問題程度に触れただけでした。

 

今思えば大変恥ずかしいですが、関西に住んでいた、当時はまだ中学生だった僕にとっては、東日本大震災対岸の火事どころか、火事そのものを聞き流そうとしていました。

 

そんな僕も様々な経験を通して月日を重ねる中で、福島、そして原発にいつまでも目を逸らすことはできないなと感じるようになりました。そこで今回、大学の授業の一環として、3.11から5年7ヶ月経った福島へ、初めて赴くことになりました。

 

視察場所は大きく2箇所。福島第1原発と、県内にある富岡町というところです。少しカッコよく言えば、オンサイトとオフサイトです。

 

福島第一原発(1F)

 

まずは福島第1原発(以後1F)を視察しました。皆さん、現在の1Fにどのようなイメージを持っていますか?「いろんな物が崩壊していて、手もつけられない状態」とか「全員が全身フル装備で、皆やつれた表情をしている」とか、そんなイメージですか?

 

豚キムチ定食、とても美味しかったです。ちなみにご飯は大盛り無料。

 

なんの話かと言うと、1Fで働く協力企業の方々に、温かいご飯を食べてもらいたいということで、東電が最近1Fの近くに日本最大規模の給食センターを作りました。そこで作られた出来たてホヤホヤのご飯が、毎日1Fへ運ばれてきます。

 

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(ちなみに僕は写ってません)

 

これはほんの1例に過ぎません。東電の副社長である石崎さんは震災後、常に「まずは1Fを普通の現場に戻す」ことを念頭に置いていると言っていて、1Fの環境は日進月歩で改善されています。

 

他にも、全身フル装備は、特に放射線量の高い場所以外では要求されなくなりました。現在では、普段僕たちがつけているような、一般的なマスクや手袋で作業できる範囲が大半です。

 

また、放射線量も原子炉近く以外は落ち着いてきており、僕は車の中から1時間ほど1F内を回ったのですが、被ばく量は0.01mSv(マイクロシーベルト)。これって、歯科撮影をする際にレントゲンをするのと大体同じらしいです。

 

あと、肝心の廃炉作業についてですが、こちらも手探りの状態ながら、少しずつ進んでいるようでした。4号機の燃料取り出しが2014年に完了したのはニュースで聞いた人も多いと思いますが、それに続き今後は1.2.3号機も燃料取り出しを進めていくようです。

 

1Fの視察を終えて、感想を一言で表すなら、「あ、思ってたより前に進んでるな」です。

 

富岡町

 

その一方で、最近になってようやく時計の針が動き始めた場所もありました。2箇所目の視察の地、富岡町です。

 

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この写真、何だかわかりますか?これ富岡町内にあった、お寿司屋さんの店内です。

 

お客さんが食べ終えたお皿が、震災当時から放置されていました。こんなのを見ると、「あ、ここはあの日から全然時間が動いていないんだな」との実感が、ふつふつと沸いてきます。

 

富岡町内を1時間ほど歩き回ったのですが、まだ誰もこの地域では生活していないため、道端では誰1人として出会うことができませんでした。

 

ただ、現在は誰も生活していませんが、富岡町は来年の1月に避難指示が解除される予定です。そして、避難指示解除を見据えて、あるコミュニティができていました。

 

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看板の「交流サロン」という文字が見えますか?ここは、帰宅準備をするために他地域から富岡町に来た方の拠点として機能しています。

 

実際に中に入ってみると、いわき市などから来られた方、7〜8名がお茶を飲みながら情報交換をしていました。富岡町もようやくですが、時計の針が動き始めているようでした。

 

白石長利さん

 

また、今回の実習では現地視察だけでなく、現在、福島県内で農家として働かれている、白石ファームの白石長利さんにお話を伺う機会もありました。

 

白石さんは、震災当時、育てていた野菜が全て出荷停止になってしまうなどの困難を乗り越えて、現在、農業を通して様々な活動をされています。

 

例えば、「焼きねぎドレッシング」。これは、白石さんが開発したものなのですが、焦げ目が付くくらい焼いたネギと、生のネギを混ぜた、様々なネギの風味が広がるドレッシングです。

 

あと、白石さんはFacebookを通して日々の活動を公開しています。また、月額1000円から2000円くらいのお金を払えば、「白石さんちのCSA」というコミュニティに入ることができ、野菜を届けてもらえたりします。

 

先んじて課題に直面している福島

 

ところで皆さん、お気づきになりましたでしょうか?実は、白石さんがやっている「6次産業化」や「SNSやネットを活用した、見える化や物語化」って、これ別に福島に特有の話じゃないですよね。

 

どういうことかと言うと、僕たちは福島の問題について語るとき、「福島特有の問題」と「地方地域、もしくは日本全体の抱えている問題」をしっかり区別する必要があります。

 

さっきの「6次産業化」や「SNSやネットを活用した、見える化や物語化」って、実はこれは日本の農業全体の問題です。

 

他にも、震災後の福島の課題として上げられている「人口流出」は、全地方地域の問題だし、「農業や漁業の後継者不足」は、これは日本全体の問題です。

 

つまり、福島は地方地域や日本全体の抱える問題については、「課題先進県」なんです。他より一足早く、震災によって皆が抱える問題に直面することになった。

 

でも、だからこそ白石さんは6次産業化SNSやネットの積極的な活用に行き着きました。他の地域が同じような課題に直面した時、福島はすでにもう1歩や2歩先に進んでいるでしょう。

 

お話の最後に、白石さんが仰られた言葉が印象的でした。

 

俺たちの後に、熊本や鳥取でも地震が起こってる。俺たちも5年経って、いつまでも被災者意識のままではいられない

 

僕たちが知らない間に、福島はどんどん前へと進んでいます。

 

※これらの内容は、2016年10月当時のものです

 

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