藤本の日記(@Kentaro_Fujimo)

大学生の男です

ペンとスケッチブックは使わずに大阪から東京までヒッチハイクした話。

 

こんにちは、藤本(@Kentaro_Fujimo)と申します。

 

※これは2016年8月に僕が『note』で書いたエントリを、一部加筆修正して再掲したものです。

 

2016年8月8日、僕は大阪のド南にある「岸和田サービスエリア(以後SA)」に身一つでいました。なぜか?それは、お金はないが、時間と気力だけは持て余した大学生がやりがちな、そう、ヒッチハイクをやるためです。


きっかけは、堀江貴文さんのベストヒット作「ゼロ」の中で、堀江さんが学生時代にヒッチハイクをして、自分の殻を破ることができたと書いてあったことです。

 

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

 

 

ヒッチハイクについて興味をもち、ネットで色々と調べていると、「ゼロ」きっかけでヒッチハイクを始めた人が結構いました。


僕もそのうちの1人に仲間入りしました。1年ほど前にこの本を読んで、「大学生の間に絶対にヒッチハイクをしよう」と決めました。知らない人に声をかけたり、断られたり、お話ししたりする経験すべてが自分の糧になると思ったし、何より面白そうだったからです。


そして迎えた今年の夏休み、タイミング的にもここしかないなと思い、ルートは僕の住んでいる関西からスタートして、大阪ー東京に設定しました。

 

ヒッチハイク前日


前日にしたことと言えば、「ヒッチハイク コツ」でググって、5個くらい体験談のサイトを見たことくらいです。あと、ルートは常に高速道路で行こうと思っていたので、とりあえず最初にスタートするSAまでの行き方くらいです。

 

体験談も読んで何となく行ける自信もついたので、その日はそれで寝ました…。

 

ヒッチハイク初日

 

「初日」があるのは、つまり、、、「2日目」があるからです。

たかだか大阪から東京まで行くのに、2日もかかってしまいました...。


厳密に言えば、1日半ですが。初日に寝坊したので。


朝起きたら、昼の1時でした。僕の予定では、最初のSAでお昼の12時頃からヒッチハイクを始める予定だったので、そこに着くまでの3時間ほどを逆算して、朝の9時には出発する予定だったのですが、起きた時に既に昼になってしまっていました。


仕方なくそこから身支度をし、30分後くらいに家を出ました。家から最初のSAまでは、電車とバスと徒歩で行きました。

 

「そこのSAまでもヒッチハイクで行けよ」と思ったかもしれませんが、「ヒッチハイクをするための心の準備」をするためには、この移動時間はマストでした。家の近所から始めるのは、何となく気が乗らないので。

 

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クソ炎天下の中、最後はよく分からない山道を抜けて、汗だくで最初のSAに到着しました。もうこの時点で既に午後4時です。呑気に記念の写真を撮った後、とりあえず起きてから何も食べずに家を出てきたので、ここで今日はじめての食事をとりました。

 

この後、ここであと2回も食事をすることになるとは、知る由もなかったですが…。

 

簡単に食事を済ませたあと、ここのSAに置いてあった「西日本SA・PAマップ」を手に取り、建物の外に出ました。いよいよ、念願のヒッチハイクスタートです!!

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3時間後、僕は同じSAで、今日の夜食としてカツカレーを食べていました。

Q.それはなぜか?

A.ヒッチハイクに失敗したからです。

Q.それはなぜか?

A.夕方の5時以降にSAに寄る人は、もうこの後は一般道に下りて帰宅しかしないからです。

 

5.6人ほどに声をかけたのですが、皆、異口同音に「ごめんね、これからもう帰っちゃうんだ」と断られました。


暗くなっていく大阪の空と僕の気持ちは、もう誰にも止められませんでした。

1時間ほどトライしましたが、やがて「今日はもう無理だ」と悟り、その日のヒッチハイクは諦めました。

この時、同時にこの24時間SAで一夜を過ごすことも自動的に決定しました。

この時点で午後6時です。僕は寝るまで何をやればいいんだー!?


仕方なくやりました、ポケモンGO。この夜だけで3Lv上がりました。(3→6ですが)


かといって、バッテリーはあんまり消費したくないので、ポケモンGOやネットサーフィンをするのも限界があります。

もう22時ごろに無理やり横になりました。

「イートインエリアの一角で横になってるイタイ奴」という視線はつらいし、自動ドアが開くたびに侵入してくる虫はウザいしで、なかなか大変でしたが。


それでも翌日は早朝から再開すると決めていたし、しっかり体を休めておかないと明日持たないと思っていたので、何とか目を閉じて眠りに入ろうと努めました。

明日はヒッチハイクが成功することを祈りながら…。

 

ヒッチハイク2日目(急に文調が変わります)

 

朝起きたら、5時だった。ぐっすり眠れた度は「30」くらい。明かりと虫とひと気で、2時間おきに目が覚めた。けど、そんなことも言ってられない。僕は今日、何としても東京に行かなければならないのだ。

 

7時。身支度を済ませ、ヒッチハイクに取りかかる。まさか同じSAで、3食も連続で食べることになるとは思わなかった。


狙うべき条件の車は、朝から東へと向かう、男1人の営業車。(理由は後述します)

 

早速発見、20台後半くらいだろうか。プレートの地名は「奈良」。近いけどまあいい。とりあえず僕はここから動きたかったし、何よりも「ヒッチハイク成功」という勲章を、一刻でも早く手に入れたかった。

 

少し駆け足で近づいていき、笑顔で声をかける。


「すいません!僕、今大学生で、ヒッチハイクしてるんですけど、乗せてもらえませんか?」
「おお、いいよ」


ヒッチハイク成功だ。僕は今、ヒッチハイクに成功した。笑顔で助手席へと乗り込む

 

だけど、僕は1分後にこの車を降りた。


(お兄さん)「どこを目指してるの?」
(僕)   「東京です!」
(お兄さん)「俺、次のインターで下に降りちゃうよ」
(僕)   「………」

 

僕は致命的ミスを犯した。行き先を言わなかった。車に乗せてもらうときは、まずは行き先を告げなければならない。タクシーだって一緒じゃないか!

 

その後の何度かの失敗と改良を経て、とりあえず落ち着いた僕の声かけセリフはこうだった。


「すいません!僕は今大学生で、ヒッチハイクで東京を目指してるんですけど、次のSAまででもいいので、乗せていただけませんか?」

 

「次のSAまででも」の文言を入れたのは、「東京」というワードを出した途端、相手方の反応が急に鈍くなるからだ。いや、そこまでは行かないよ、と。僕はそこまでじゃなくていいから、とりあえず乗せてくれという意思を明確にするために、「次のSAまででも」の文言も入れた。

 

その後、僕はようやく最初のSAを脱出することができた。スマホの時計を見ると、「7:30」となっていた。乗せてくれた方は、自営業でピアノの調律師をしており、今日は三重までの営業ということだった。

 

その方は、昨日たまたま奥さんと「ヒッチハイクしている子を、1回くらい乗せてあげたいなー」と言った会話をしていたらしい。なんという偶然だろうか。

 

9時30分。三重県の伊賀に辿り着いた。ありがとう、ピアノの調律師さん。1度成功してしまえば、なんだかよく分からない勇気が湧いてきた。

 

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そこから僕は怒涛の3連続成功を成し遂げた。自分すごいんじゃね?って思った。自分いわゆるコミュニケーション能力あるんじゃね?って思った。


僕は愛知県まで進んだ。さあ、昼休憩に少しピリ辛のラーメンでも食べよう。

 

午後4時。僕は昼ごはんを食べたSAで、少しばかりの仮眠から目覚めた。自分でもなぜか分からない。なぜか、僕はこのSAで8人連続、ヒッチハイクに失敗した。炎天下の中、乗せてもらえそうな車を探して歩き回り、汗が止まらなかった。そして、失敗も止まらなかった。この間、僕はどれだけ仕切り直しのお手洗いに行ったか分からない。

 

ここは大胆な仕切り直しが必要だと、僕は仮眠をとっていたのだった。もう心身ともに疲弊しきっていたし、何か大きく流れを変えたかった。

 

顔を洗い、お手洗いを済ませ、SAの売店で今日4回目のヨーグリーナを購入。もう店員さんになんと思われてもいい。よし、ここから再スタートだ!

 

再スタート1人目、僕は会心の笑顔で声を掛けた。40代のスーツ姿の男性だった。成功した。やった、ありがとう、本当にありがとう。


車に乗せてもらうと、「ちょっと待ってね」と携帯を触っている。チラッと目をやると、画面にポッポが見えた。これまでで最高級のイージーさで、会話のきっかけがつかめた。僕は言った、

 

「よく分からないんですよ、ポケモンGO

 

次のSAで僕は車から降りた。次の車を探すためではない。次のポケストップを探すためだ。


話していると、こちらの想定以上に、乗せてくれた方が熱心なトレーナーだった。どうやら、出張先のホテルでの合間時間は、せっせとポケモンGOに勤しみ、レベルも当時の8月上旬の時点で、15くらいあった。


その一方で僕はレベル6で、昨日の夜に3レベ上げた時も、3回目くらいの起動だった。

 

僕は進化の仕組みや卵の孵化のさせ方など、色々と質問攻めした。そこには、スマホネイティヴであるはずの青年が、40代のおじさんにスマホゲームのやり方を教えてもらうという、奇妙な光景が広がっていた。

 

静岡についた。時間は午後7時30分。午前中の快進撃を思えば、この時間でこの場所というのは、なんとも情けない。ただもう、そんなことは言ってられない。何としても、僕は今日中に東京に着く。

 

静岡のSAで、僕はポケモンGOおじさんとお別れをする、はずだったのだけれど、なんとここで次のヒッチハイクを手伝ってくれるという。そして、駐車した隣の車がちょうど出発しようとしており、僕が気付いた時には、もうポケモンGOおじさんは、隣の車の方に声をかけていた。

 

そして、なんとOKだった。多分だけれども、ヒッチハイクで乗せてくれた人が、次のヒッチハイクの車を見つけてくれたのは、日本初じゃないかと思う。もしも誰かいたら、ゴメンナサイ。

 

しかもなんと、その方の行き先は東京だった。これで東京に行ける。ありがとうポケモンGOおじさん、本当にありがとう。ポッポは無事ピジョットになったよ。

 

午後10時30分。上野駅到着。最後の方との3時間ほどのドライブでは、その方が3.11当時、仙台にいたらしく、その時の凄まじいリアルな体験を話してくれた。3時間は、あっという間だった。

 

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そこから僕は、電車で東京にいる友達の家へと向かった。途中、お昼の時点では夕方頃には着くだろうと調子に乗って、「晩御飯一緒に食べようぜ」なんてLINEもしていた。

店を決めた。時間まで決めた。それは全部、パーになってしまった。けれどもこの際、そんなことはどうでもよかった。とにかく僕はヒッチハイクで大阪から東京まで行けた。その事実が、僕にとっては財産だ。

 

だけど、僕はこのことも忘れないでおこうと思っている。ヒッチハイクについてググっている時に、見つけた言葉だ。

 

ヒッチハイクをしていると、時々俺すごいんじゃね?っていう錯覚に陥ることがある。けれども本当にすごいのは、いきなり声をかけて来た見ず知らずの人を、自分の車に善意で乗せてあげる人の方だ」

 

優しく車に乗せてくれた人も、声かけたのに僕を無視した人も、みんなありがとう。その経験すべてが、僕にとっての糧になる。

 

僕のヒッチハイクのやり方(そして「ですます調」へ戻ります)

 

ヒッチハイクと言えば、多くの人は、左手にスケッチブック、右手にサムアップのあのおなじみのポーズを思い浮かべると思います。

 

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僕も実際、ヒッチハイクしたことを友達に話したら、「ヒッチハイクって、こうやってやったの?」と、上記のお馴染みのポーズをされました。


しかし、僕は今回、サムアップポーズをしていなければ、そもそもペンとスケッチブックを持っていっていません。

 

ではどうしたのか?結論から言えば、「声かけ」で車に乗せてもらいました。

 

これは堀江貴文さんの著書「ゼロ」で、堀江さんが大学生時代にヒッチハイクをしていた時のやり方の、完全なパクリです。


冒頭にも書いた通り、僕は「ゼロ」を読んでヒッチハイクをしようと志したのですが、その際に詳述されていたやり方を、僕は採用しました。


理由は、僕がヒッチハイク「目的」ではなく、「手段」と割り切ったからです。僕の目的は「ヒッチハイクすること」ではなく、「東京に辿り着くこと」でした。

 

だったら、最も効率的な方法でヒッチハイクを行うべきと考えました。一般道で、走っている車をスケッチブックを掲げて待ち続けるより、SAで止まっている車が密集していて、そこで声をかける方が明らかに賢いです。


合理主義者の堀江さんがヒッチハイクをしたらこういう方法にたどり着きます。

 

ただ一方で、ネットを見ていると、意図的にペンとスケッチブックの方法でヒッチハイクをしている人がいました。理由は堀江メソッドは「簡単」だから面白くないというものでした。


ここら辺は価値観の違いというか、ヒッチハイクが「目的」なのか「手段」なのかというところで別れてきます。どっちが良いとか悪いとかはありません。

 

僕の分析では、スケッチブックを掲げて車を待つやり方は「楽」だけれども「難しい」。一方で自分から声をかけるやり方は、「大変」だけれども「簡単」といった感じです。


そして、ヒッチハイクが「目的」の人は前者のやり方を採用し、「手段」として捉えている人は後者を選びます。

 

体験記などを読む限り、前者のやり方だと、車がよく通る道や、減速しやすい場所にポジションをとるなどの工夫をしたとしても、限界があります。地域、時間帯、曜日などによっては車がなかなか通らず、何時間も乗れないということもザラにあります。


これが僕が「難しい」という所以です。ただ、ポジションさえ決めれば後は笑顔で立っているだけなので、「楽」です。

 

ヒッチハイクが「目的」の人は、このなかなか乗れないという苦労や過程も込みで、ヒッチハイクと考えているのではないでしょうか?これも醍醐味の一つだという風に。

 

一方で、後者のペンとスケッチブックを使用しない「声かけ」は「簡単」です。だってそこらじゅうに止まっている車があるんですから。ヒッチハイクする者にとっては、宝の山が目の前に広がっています。

 

けど「大変」です。自分から声をかけないといけないからです。知らない人に声をかけなきゃいけない、しかも身勝手なお願いをするために。

 

これはなかなか勇気のいることです。僕も1人目に声をかけるのに、結構な時間がかかってしまいました。しかも1人目に断られると精神的にやられます。「ああ、ダメだった」みたいな感じで。

 

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先ほども言った通り、どちらの方法が良いとか悪いとかはありません。ただ、仮に「どちらかの方法でやるなら、どっちをするべき?」と聞かれれば、僕は後者の方をオススメします。

 

理由は「観察眼を養える」からです。僕は初日に断られ続け、2日目には少しずつ成功体験を積む中で、どんな人、どんな車が乗せてもらいやすいかというコツを掴んできました。

 

まずは、時間帯とナンバープレートを擦り合わせて、僕が行きたい方向の車かどうかを探ります。午前中に地元の車を見れば、これから遠出するからいけるなとか、逆に夕方に地元の車だと、今から一般道に下りて帰宅だからダメだな、といった具合です。

 

後は車の種類と乗車している人の雰囲気を確かめます。例えば、そんなに大きくない車で男1人だと、確実に営業車です。こういう人は、日頃は音楽でも聞きながら寂しく運転しているので、乗せてくれて色々と話していると、「いやー、隣に人がいるのはいいね。」などとつぶやいていました。

 

というか逆に、ヒッチハイクで車に乗せてもらって僕ができるお返しと言えば、楽しくお話しすることくらいしかありません。途中までは車に乗せてもらうことに対して感謝と申し訳なさの複雑な感情を抱いていたのですが、そのことに気づいてからは、一生懸命、精一杯楽しく会話することを心がけました。

 

他に挙げると、定年退職したくらいの60代、70代くらいの夫婦の方も親切に乗せてくれました。こういった方々は、お子さんの年齢が僕と同じか、少し上くらいです。お子さんと僕が重なる部分が少しあるのか、心配して乗せてもらいました。車の中でも、食料や体力を気遣ってくれて、非常に優しい方が多かったです。

 

こうして自分のなかにデータを蓄積させていくと、声かけヒッチハイクは「大変」だけど「簡単」なものから、「楽」で「簡単」なものへと変わります。

 

そういう意味でも、ヒッチハイクが「目的」ではなく「手段」の人は、声かけヒッチハイクがオススメです。

 

※2018年1月8日追記

 

僕はこの後、2016年11月には福岡→兵庫のヒッチハイクも敢行しました。一度目のヒッチハイクを終えた時、「もうしなくていいかな」と思っていたのですが、少し時間が経つとまたあのドキドキ感を味わいたくなってしまいました。

 

大学在学中に、あと1〜2回はしたいなーと思っています。

 

色々と得られるものも多いので、迷っている人は一度やってみることをオススメします!

 

変なハウツー本読むより、『ゼロ』読んだ方がヒッチハイクの成功率は高まります↓

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

 

 

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