藤本の日記(@Kentaro_Fujimo)

大学生の男です

僕の「やりたいこと」の話をします。

 

こんにちは、藤本(@Kentaro_Fujimo)と申します。

 

#Metoo ムーブメントで、斜め上からの炎上攻撃を受けてしまっている、はあちゅうさん(@ha_chu)。

 

「自身が出版した本のキャンペーンではないか」という邪推もありますが、ただまぁこれは実際に今回の騒動後に彼女の本を購入した人もいます。

 

なぜそんなことが分かるのか?

 

僕自身が、はあちゅうさんの本を買ったからです。

 

その本がコチラ↓

半径5メートルの野望 完全版 (講談社文庫)

半径5メートルの野望 完全版 (講談社文庫)

 

 

 

 

「えっ、最新刊『「自分」を仕事にする生き方』じゃないの!?」

 

と思ったそこのあなた、まだまだ甘いです。

 

今だからこそ、あえて『半径5メートルの野望』を読むのです。

 

はあちゅうさんを一言で表すなら

 

僕がはあちゅうさんの本を読むのは、本作で2冊目です。1冊目は、『言葉を使いこなして人生を変える』を読みました。そのときの感想はコチラ↓ 

fujimoto.hatenadiary.jp

 

この2冊を通しての、はあちゅうさんの印象を一言で表すなら「叩き上げ」です。

 

無名の何者でもなかったところから、ブログをフックとして有名人へと駆け上がっていった。

 

苦しみ悶ながら進んだプロセスだからこそ、彼女の言葉は等身大で、かつ説得力があります。

 

今作『半径5メートルの野望』について

 

改めて、今回読んだ本のタイトルは『半径5メートルの野望』。

 

視線を高く上げすぎて足をすくめてしまうのではなく、まずは身の回りにある興味やチャンスに手を出していくことで、他の人の「半径5m」と交わり、少しずつ自分の世界を広げ、そして夢を叶えよう!という意味が込められている(という僕の解釈です)。

 

そして今回、その「夢を叶える」ことに関して、本著のなかで僕が特に響いたのは、

 

夢を叶える時は必ず、「目的」をはっきりさせてから「手段」を考えるというクセをつけましょう。

 

という言葉です。

 

本中の小見出しの一つにもなっていたんですが、「なりたい職業」と「夢」は別物です。

 

つまり今から速攻で、小学校の卒業アルバムから「将来なりたいもの」欄は削除すべきということです。

 

そして、「自分がやりたいこと」欄に改定すべきです。本来、まずこっちが定まってから、それを実行するための手段としての「なりたい職業」です。

 

でも逆に、小学生の時点で「なりたい職業」ではなく「自分がやりたいこと」を問われていたら、僕はなんて答えていたのだろうとも思います。

 

実際、「自分がやりたいこと」って、未だにそれの見つけ方が20~30代向けのイベントなどでもちょくちょく質問されているように、見つける(言語化する)のが簡単ではない"問い"です。

 

僕は大学3年生になって本格的に卒業後のキャリアを意識しだすにつれ、次第に本気で「自分がやりたいこと」について考えるようになりました。

 

この1年くらいのなかで、「自分がやりたいこと」自体はそれほど変わってないと思いますが、それを定義する言葉自体は何度か変わってきたので、今回のエントリではその変遷を振り返っておこうと思います。

 

ちなみに、はあちゅうさんの目標は「ネット時代の新しい作家の形を作る」ことです。

 

ラジオで「自分がやりたいこと」を話している際にふと湧いてきた言葉らしいですが、やはり岐路に立ったときや自分のをプレゼンしたりするときに、「自分がやりたいこと」が簡潔な言葉で定義されているというのは、非常に重要です。

 

僕の「自分がやりたいこと」

 

僕が半年ほど前、まず最初に思いついたキャッチコピーは、「人間拡声器」でした。

 

「世の中にある素晴らしい(けどあまり知られていない)人やプロダクトを、自分が伝えていくんだ!」という気概でした。

 

小さい頃から僕は、良くも悪くも"八方美人"でした。何か特定のきっかけがあったわけではないですが、今でも覚えているのは小学校3~4年生ごろにクラスで行われた、ドッジボールでの出来事です。

 

僕は当時小学2年生からソフトボールを習っていて、クラスの中ではそれなりに球が投げられる方でした。

 

目立ちたかった僕は、バンバン球を捕ってビュンビュン球を投げ、キャーキャーはしゃいでいたのですが、そのドッジボールが終わった時、笑っていたのは僕と、同じように出しゃばっていた数人の男子"だけ"でした。

 

僕はその光景を悲しく、そしてとてもつらく感じました。

 

そんなこともあったりして、僕は小学生のときから「どうすれば周りの人に笑ってもらえるか」「どうすれば友達に嫌われないで済むか」と、"人の心"についてばかり考えていました。

 

その流れを受け継いで、いま大学では心理学を専攻しているわけですが。

 

ドッジボール事件などもあり、小学生以来、他人にばかり意識を向けてきた"八方美人"だった僕ですが、"八方美人"については、ここ1~2年は良い意味で徐々に他人のことは考えなくなりました。

 

(その際に影響を受けた本の一つは『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』)

 

ただ、依然として"人の心"自体に興味はあったので、それに関連した「自分がやりたいこと」を、ここ1年くらい考えるなかで、「メディア」「広告」といった業界にたどり着きました。

 

厳密に言うと、"人の心"と"商売"は切っても切り離せないものなので、業界は特定できるものでありません。

 

ただ、僕自身が強烈に世間に伝えたい特定のメッセージや、特定のプロダクトが当時は思い浮かばなかったので、それだったら自分が共感した他人のメッセージやプロダクトを、一緒に手伝って伝えようと考えました。

 

そんな考えもあり、「人間拡声器」という言葉を思いつきました。

 

ただ、ずっと考えていくなかで、「人間拡声器」は「自分のやりたいこと」を完全には包括できていないんじゃないか?と思うようになりました。

 

というのも、僕自身に伝えたい"特定"のメッセージはないまでも、伝えたいメッセージの"方向性"みたいなものはあったからです。

 

原発をどうにかこうにか!とか、憲法をどうにかこうにか!みたいな"特定"のメッセージを発したいわけではないですが、例えば今書いているこの「藤本の日記」は、「世の中の人に多くの示唆を提供したい!」というメッセージの"方向性"を持って始めたものでした。

 

だから、「人間拡声器」だと僕発のメッセージを包括していない気がしました。

 

次に思いついた「自分がやりたいこと」の定義

 

そこで次は2~3ヶ月ほど前、メッセージの"出どころ"を問わないのであれば、"伝え方""伝える内容"に「自分がやりたいこと」の本質が隠れているのではないかと考えました。

 

考えた結果、思いついたキャッチコピーは、「"funny"と"interesting"、両方の面白いを届けたい!」でした。

 

誰のメッセージであれ、小学校時代からこれまで、僕がなんらかのメッセージを発するときは「どうせ伝えるなら面白く」精神がありました。

 

そして、最近ようやく「面白い」にも"funny"と"interesting"の2種類あるんだ!という中学2年くらいで習いそうなことにようやく気づき、この「面白い」という言葉は「自分がやりたいこと」をうまく言い得ているんじゃないかと思いました。

 

ということで、「"funny"と"interesting"、両方の面白いを届けたい」を高らかに掲げていたのですが、ここ2~3週間ほど、まだ包括し切れていないなと感じ始めました。

 

というのも、最近noteにジョインした深津さん(@fladdict)がピックアップしたデザイン記事(UI/UX)を、すこぶるワクワクしながら読んでいる自分に気づきました。

 

また、僕が心理学を専攻して勉強するなかで、特に「対人関係」や「集団心理」、分野でいうと「行動経済学」や「認知心理学」などに興味を持った僕は、現在、心理学の中でも特にそれらを全体として取り扱っている社会心理学のゼミに所属しています。

 

「面白い」だけじゃ、「自分がやりたいこと」を言い表せていない、まだまだ奥底に真理のようなものが隠れている、そんな気がしました。

 

現時点でベストに言い表している「自分がやりたいこと」の定義

 

考えた末、現時点での「自分がやりたいこと」に一番しっくりくるのは、「人の心をハックしたい」という言葉です。

 

人の心をハックした結果の一つとして、笑ってもらう、納得してもらう、感動してもらう、行動を起こしてもらう、快適に過ごしてもらう etc.

 

先程の「面白いを届けたい」というのも、どうせハックするなら笑ってもらった方がいいよねという思いから、出てきた言葉でした。

 

でも僕は、味わうなら面白さだけじゃなく、感動も快適さも、色んなステキな思いをしてもらいたい。

 

「人の心をハックしたい」なら、こういう僕の考えを簡潔に反映していると思います。

 

もちろん、これまでも二転三転してきたので、これからも変わるかもしれませんが、今の所は上記の言葉がベストです。

 

「自分がやりたいこと」を公言することのメリット

 

こうして「自分がやりたいこと」を事細かに話すことに、恥ずかしさを感じないわけではありません。しかも僕の場合、それが世界平和や貧困の根絶といった、大志あるものでもありません。

 

ただ、本中ではあちゅうさんが言っていた「夢は自分本位でもいい」「夢は公言した方がいい」という言葉で、今回こうして文字に残しておくことを決めました。

 

僕の「自分がやりたいこと=夢」は、自分本位です。自分のしたことで友達が笑っているときに一番嬉しいのは、僕自身です。僕の書いた文章が、世界平和につながるかも分かりません。

 

でも自分本位の方が案外エネルギーが持続するかもしれないし、夢を遠くに置きすぎて足がすくんでしまうくらいなら、身の回りで叶えられる夢から始めたほうがいい。

 

夢を公言するすることによって、応援者が現れたりするかもしれないし、自分にプレッシャーをかけたりもできる。

 

そんなはあちゅうさんの言葉が、僕に刺さりました。

 

「自分がやりたいこと」の経緯に感動的なエピソードはいらない

 

そして最後にもう一つ、はあちゅうさんの言葉によって自分の心が軽くなった例を紹介します。

 

こうして「自分がやりたいこと」を話すと、次に聞かれるのは「その"やりたいこと"は、どこから芽生えてきたの?」という質問です。

 

この質問に対して、いいエピソードがない僕は困っていました。非常に贅沢なんですが、コンプレックスがないことがコンプレックスみたいな状態に陥っていました。

 

急に死の恐怖に駆られたわけでもないし、生死の間を行き来するような大病にかかったこともありません。

 

単純に自分のしたことで、誰かが笑ってくれたり、感動してくれたり、感心してくれることが嬉しいだけです。それじゃダメなのかな?と疑問だったのですが、本中にあったはあちゅうさんの言葉で、それでもいいんだ!という自信に変わりました。

 

私は、理由がある好きより理由がない好きのほうが強いように思うので、

「かっこいい理由なんてないですけど 、この道を選ぼうと思いました 」

と言い切れる人のほうが、信頼できます。

「こっちが、運命だと思いました」でいいじゃないでしょうか。

 (改行は僕の手によるものです)

 

残された問題はもう、あとはどれだけ僕がやれるかだけ。もっともっと、

 

「人の心をハックしたい」です。

 

 

 

 いっぱい刺さる言葉、詰まってました↓

半径5メートルの野望 完全版 (講談社文庫)

半径5メートルの野望 完全版 (講談社文庫)

 

 

最近の僕のツイート↓

 

 

ニュースキュレーションブログもやってます↓

kentaronews.hatenablog.com