「専門性」でも「教養」でもない、「将来性」という価値
こんにちは、藤本(@Kentaro_Fujimo)と申します。
先日、パラレル親方の会というものへ行きました。
概要は発起人・徳谷柿次郎さんのブログをどうぞ↓
ざっくり言うと、「ライター・編集者の需要は増しているのに供給が足りてないから、ちゃんと育てよう!」という取り組みです。
で、実は僕、既に「パラレル親方」に関するエントリを1個書いてます↓
ただ、「イベントの数だけじゃなくて、学びの数だけエントリを書く」が僕のモットーなので、今回も2個目のエントリを書きます。ちなみに、ちきりんさんの『「自分メディア」はこう作る! 大人気ブログの超戦略的運営記』では9個、ヨッピーさんの『明日クビになっても大丈夫!』では11個書きました。
今回のテーマは、「パラレル親方の会」参加者全員が、登壇者を見て何かを感じたであろう「専門性」について。
僕の情報の選びかた
まず前半は、「専門性」と関連する「僕の情報のとり方」について話します。
最近、インターンをしている会社の先輩とランチに行かせてもらった時に「藤本ってさ、どんな基準で記事の読む読まないを選別してんの?」と聞かれました。
僕もそこで初めて明確に言語化してスッキリしたんですが、僕が情報をインプットする際の基準は、
「その情報は、10年後の世界or自分に影響を与えうるか」
です。
これは、完全に堀江貴文さんが以前TVで言っていた言葉に影響されています。
森友学園がフィーバーを起こしていた夏頃?に、この問題に関して全く関心を示さない堀江さんが、他の演者の方にどうして?と聞かれました。そこで堀江さんは、
「この問題は、将来の世界に全く影響を与えないから」
と言っていて、僕はそれを「他の人と視線が違う…!」とすごく印象に残りました。
当時は咀嚼しきれなかったのですが、それ以来「この情報は将来の世界に影響を与えるか」の基準をぼんやり頭の片隅に置きながら取捨選択していたら、最近ようやく分かってきました。
例えば世間が結構関心を示しているのに、僕が全く興味がないのは、芸能人の不倫、あとはよっぽど凶悪でない犯罪などです。
逆に、僕が関心を持って接する情報は主に「最新テック」と、あと僕は"世界"だけでなく"自分"も影響対象なので「哲学的な話」です。
ざっくり分けると、最新テック関連は10年後の"世界"に影響を与え、哲学的な話は10年後の"自分"に影響を与えます。
実は結構、後者の「10年後の自分」という方がミソです。というのも、そりゃ最新テック情報は大事ですけど、もう最近は流れが早すぎて追いきれないなと感じることもあります。アルトコインとか、3~4種類くらいしかわかりません。
そして、この変化は今後指数関数的に早くなっていきそうです。つまり、一部の専門家以外にとっては、ようわからん状態。
そんな時に大事になってくるのが、僕はその流行の礎となって基底に流れている、「哲学的」な要素のものだと思うのです。
そうして、いつの時代も変わらない(変わりにくい)自分の「軸」のようなものを持っておけば、例えアルトコインを3~4個しか言えなくても、その時代に合わせた自分の取るべき行動と方向性は、自ずと指し示されます。
進むべき方向性だけ大きく外さなければ、これからの変化の早い時代にも、それなりに楽しく生きていけるはずです。
だから僕は、最新テックで10年後の「世界」を見据えつつも、哲学で10年後の「自分」が進むべき先の道標を立てています。
僕の「専門性」についての考え
では後半は、「専門性」について大きく踏み込みます。
今回登壇された4人の親方の持ち味がかなり明確だったのもあり、「自分も専門性を身に着けなければ!」「今の自分には無理だ!」みたいなエントリがチラホラあったようです。
実際、僕も「専門性」に強く駆られていた時期がありました。(今もゼロというわけではないですが)
だって、本とかで「これからの世界の生き残り方」みたいなのを読めば読むほど「専門性を身に着けろ!」って書いてあるんですもん。
だから僕も、「うーん自分の関心のある分野は何かなー」と、過去に自分がコメントした記事なんかを見返しました。
ただ、何度見返してもそこに「統一性」の3文字は見当たりません。まあそれは、僕の情報のとり方が前半で述べたような感じなので、仕方ないといえば仕方ないです。
ただ逆に、それが自分への言い訳になっている面もありました。ビットコインとメディア、両方に興味があったとして、前者に関して少し難解な記事が出てきたら「おれは後者の方に興味あるから、この記事は読まなくていいや」となり、その逆もまた然りでした。
別に専門性を声高に叫ぶつもりはないし、逆に専門性がどうでもいいことはないですが、どちらにしろこのままだと、僕は色んな意味ですごく中途半端な人間になってしまうなと、危機感が芽生えました。
そこで僕は最近、「もう1歩踏み込むこと」を意識してインプットするようにしています。その「1歩」が他者との差別化になり、また"価値"にもつながるだろうと考えているからです。
具体的には、先程上げたような少し難解な記事もとりあえずトライして噛み砕こうとする。わからない表現が出てきたら、離脱するのではなくグーグル先生に聞いて記事へ帰還する、などです。
まだこの辺りの「専門性」に関する考えは全然まとまってないですが、今はとにかくインプットとアウトプットを目一杯繰り返すなかで何か見えてくるのではないかと、それほど悲観してないです。
「専門性」というワードについては、とりあえずそんな感じ。
「時流に乗る力」と「誰にも求められていない専門性」
最後に、今回の会でカツセさんがポロッと言っていた話を、僕なりに解釈して終わります。
ライター(表現者)として力を付けるっていうのは、
①SNS(流行り)にうまく乗る力
②世間に求められていない専門性を身につける力
の2種類あるんだと言う話です。
カツセさんは自身のことを①の方が長けているタイプと言っていたんですが、これはキンコン西野さんがよく言う「広める力」と「作る力」にそれぞれ対応するなと思いました。
僕は今、(専門性という単語は一旦置いておいて)②の地力(書く力)をつけている途中です。①と②に優劣はないですが、①だけだと、ポロが出たときや常に水面下で足をバタバタさせているイメージが、少し持久力に欠けるなと思っています。(カツセさんは①のパワーがすごすぎるだけで、②も常人以上に備えている)
目安はブログ100本。
僕は、このはてなブログで100本(これが79本目?)エントリを書いたら、徐々に①のSNS(時流)にうまく乗る力もつけていきます。作ったものは、広めないと作ったうちには入りません。
ということで、あと2~3ヶ月ほどしてストックが基準値に達したら、僕にとっての新しいフェーズに入っていきます。
自分が一番、自分に期待してる。