会社員が満員電車に揺られながら通勤するのは「お金」のためじゃない
こんにちは、藤本(@Kentaro_Fujimo)と申します。
このエントリは、ヨッピーさん著「明日クビになっても大丈夫!」の紹介連載エントリ第2回です。
ただ、それぞれのエントリは完全に独立しているので、このエントリだけでも十二分に楽しめます。
もちろん、他のエントリだけでも十三分に楽しめます。他のエントリも載せておくので、気になるテーマがあったら読んでみてください!
今回のテーマは、「企業と個人の関係性」です。
このテーマについて、本中にあった一つの見出しが、僕はとても印象に残りました。
それが、
「個人のやりがいがない方が、組織が上手くまわるという不幸」
というもの。
ヨッピーさんの言うように、
「その人にしか出来ない大事な仕事」が社内にあるのなら、それを「誰にでも出来るように仕組みを作り変える」のが組織の論理で、これが「個人のやりがい」と明確に対立する概念になる。
本著より引用
というのは理屈としては最もで、僕も読みながら「ふんふん」と頷いていました。
ただ、その一方で心の隅では何か引っかかるものがあって、というのも
「理論上としては確かにそうだけど、実際には起業家やフリーランスではなく、サラリーマンやOLとして働いてる人がほとんどあって、そこにはまだこの本では言及されていない"何か"があるのではないか」
と思っていました。
その"何か"についてここしばらく考えていて、最近ようやく自分の中でそれなりに腑に落ちる論理が構成されました。
「お金」が欲しくて働いている?
まず、ここまでを聞いて「そんなのお金に決まってるだろ」 と思った人もいるかもしれません。
僕に言わせれば、その思考は短絡的すぎます。
何かこちらから価値を提供した”対価”としての「お金」をモチベーションにするのなら良いですが、純粋に「お金」をモチベーションに働く人は、今後どんどん減っていくはずです。
ここには多少世代間の価値観の違いも反映されてるかもしれませんが、少なくともこれからの時代を生きる上で、仕組みとしても「お金」は必要なくなっていきます。
モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書 (NewsPicks Book)
- 作者: 尾原和啓
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2017/09/28
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
まず前提として、今の世の中でお金は余っています。
だから金利は低いし、地方銀行なども、貸し出す先がなくて困っているというニュースをよく聞きます。
それに今は「信用」を「お金」に両替する仕組みも充実してきているので、そんなに焦って「お金」を稼ぐ必要もありません。
さらに付け加えるならば、単純に一定のレベルの衣食住でよいなら、機械のおかげで僕たちは安価にそれらを手に入れることができます。
結論、僕たちはふつうに暮らす分にはお金はそれほど必要ないし、いざとなったら集金できる仕組みもあるのです。だから、「お金」をモチベーションに働く人は、どんどん減っていきます。
「やりがい」のために働いている?
じゃあ結局、大勢のサラリーマンやOLの方たちは何をモチベーションに働いてるかというと、やっぱり「やりがい」じゃないかというのが、僕の推論です。
これまでのバイトで出会った社員、町中で人々が働いている風景、そして今インターンしている企業の方々をみて、そう思いました。
よく、フリーランスvsサラリーマンみたいな構図で、フリーランスは生き生き働いてて、サラリーマンは窮屈に働いているというイメージで話は進みます。
僕は、実際にインターンとして毎日社員の方と混じって働く中で、そもそもこのイメージが間違っているんじゃないかと思うようになりました。
まず、サラリーマンの窮屈さを象徴するシーンとして、満員電車の死んだ顔の話が出てきます。
自分もその満員電車の一構成員に、毎朝5分ほどなってみて感じましたが、電車に一人で乗っている時に、生き生きした表情したり、ニヤニヤしてる人の方がおかしいです。
僕自身も、仕事自体は楽しくて電車の中でも比較的明るい気持ちですが、表情は真顔です。外から見たら、「顔死んでるなー」と思われてると思います。
※もちろん、あの満員電車の風景は狂気以外の何者でもないので、リモートワークにフレックス制、あとは職住近接などやるべきことは山ほどありますが、それと会社自体が窮屈とはまた別の話です。
「やりがい」ってなんだ?
次に、ここまで僕も何度か使っていて恐縮ですが、そもそも「やりがい」という言葉のあやふやさが、議論をより一層ややこしくしています。
「やりがい」ってなんだよ。
この言葉は「人間性」「成長」に次ぐ、胡散臭い日本語大賞、堂々の第3位にランクインしています。(僕調べ)
ヨッピーさんは「やりがい」について、引用部分でも書いていたように「自分にしかできない仕事」と定義されていました。
これも読んだ時は「ふんふん」と頷いていたのですが、改めてよく考えみると、「自分にしかできない仕事」もなんだ?となりました。
ヨッピーさんの「やりがい」の定義
色々と考えた結果、まずこの世の中に「その人にしかできない仕事」はないという結論になりました。
これについては、例えばヨッピーさんは本中で「会社の業務は誰にでもできたけど、オモコロでの記事は僕にしか書けなかった。だから"やりがい"があった」という旨の記述がありました。
ただ、ものすごく変な言い方をしますが、ヨッピーさんが書いた超面白い記事も、誰か別の人が同じ記事を書いたら、「ヨッピーさんにしか書けない記事」ではないわけです。
理論的には、ヨッピーさんという僕たちと同じ人間が書いた記事なので、誰か別の人が絶対に書けない記事なんていうことはありえません。
なので「その人にしかできないこと」なんて、この世の中には存在しないと思います。
僕の「やりがい」の定義
じゃあお前の考える「やりがい」の定義はなんなんだよ?
という話ですが、僕の定義する「やりがい」は、「自分のcanが増えていく、もしくは増していくプロセス」です。
この定義だと、サラリーマンやOLの方も「やりがい」を持って働いているという僕の主張にも、つじつまが合ってきます。
ヨッピーさんの言うように、会社の業務なんて時間をかければ誰でもできるようになるもの、というのは僕も同意です。
しかし、だから「やりがいがない」のではなく、そこの「できるようになる」レベルに達するまでのプロセスに、みな「やりがい」を感じています。
逆に言えば、ヨッピーさんは優秀すぎました。優秀すぎて、すぐにその「誰にでもできる業務」を習得してしまったから、会社が退屈で仕方なかったのだと思います。
だから、そうやって会社の枠に収まりきらなくなった人は、どんどんと外に出て行ってフリーランスになったり新しく会社を立ち上げたりして、また新しい「時間をかければ誰にでもできる」スキルを習得しようとします。
これからの「企業と個人の関係」
ただ、ここの「どんどんと外に出て行く」という部分に関しては、これからの時代は少し変わってきます。
そのロールモデルは、LINEの田端さん(@tabbata)や幻冬社の箕輪さん(@minowanowa)です。
彼らは、スキルとしては明らかにもうサラリーマンとしての枠組みを超えています。
にも関わらず、会社員という肩書きでい続ける理由はなんなのか?
そのことに関して、以前AbemaTVで箕輪さんが興味深い発言をしていました。
「僕は別に、幻冬社での収入がゼロになっても、幻冬社に在籍し続ける。幻冬社では、幻冬社のネームバリューやプラットフォームでしかできないことをして、その信用や実績をもとに違う場所でマネタイズする」(僕の意訳)
すごく示唆に富んだ発言です。実際、箕輪さんは最近幻冬社外での活動も活発にされていて、自分でオンラインサロンを運営したり、タイムバンクで専門家として登場したりしています。
世間の流れとしても、副業OKのような風潮になってきています。
これからは、法人を「ただの幻想共同体」と捉えて一つの足場なりステップとして、利用する人がたくさん出てくるでしょう。
以上が、「現状、そして未来における企業と個人の関係」についての考察でした。
まだまだ紹介連載エントリは続きます。
第3回はコチラ↓
第1回 数字を報告するだけの会議ならさっさと撤廃したほうがいい
第2回 会社員が満員電車に揺られながら通勤するのは「お金」のためじゃない
第3回 スターは自身の「下積みの努力」を公にさらすべきなのか?
第4回 人はこれから、”人”で住む場所を選ぶようになる
第5回 ハチャメチャやってる人も実はみんな頭脳明晰で、多少なりともキャラを「演じている」部分がある
第6回 ブロガーやライターは「書くこと」自体を専門にしてしまうと、末路はだいたい「金太郎飴」になる
第7回 個人が認知度を獲得していくにあたり、「二つ名」的なものが必要な理由
第8回 「消費型」から「生産型」へ。趣味を発信することによる3つのメリット
第9回 メディア・クライアント・消費者の三方良しじゃないと、これからのスポンサードコンテンツは生き残れない
第10回 演者にとっての「神様」は誰か?そして誰から対価をもらうべきなのか?
第11回 会いたい人には会った方がいいのか?いや僕はそうは思わない
ヨッピーさんの本↓
Kindle版もあるよ↓