藤本の日記(@Kentaro_Fujimo)

自分をポケモンに例えるなら、メタモン。

これからの信用経済・評価経済において、ついて「いいウソ」と「ダメなウソ」

 

こんにちは、藤本(@Kentaro_Fujimo)と申します。

 

これからの「信用経済」「評価経済」において、キングコングの西野さんはブログで口を酸っぱく、「とにかくウソをつくなー!」と言っています。

 

僕も同意です。

 

つかなくて済むのなら、それに越したことはありません。

 

特に冒頭でも言った通り、これからの「信用経済」「評価経済」において、「ウソ」は自分の信用や評価を奈落の底におとしめるのに、最も手っ取り早い手段です。

 

だから、僕も普段の日常生活において、極力ウソをつかないように心がけています。

 

ただ、そうは言っても「事実」だけではこの世の中が回らないのも事実です。

 

「ついても仕方のないウソ」や「ついてもいいウソ」なんかがあるんじゃないかと、僕は考えました。

 

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大前提として、「ウソ」は良くないです

 

 

だから、今回のテーマは「この世の中で、”ついても許されるウソ”」についてです。

 

このエントリで、現時点での僕の考えをまとめておこうと思います。

 

「ついていいウソ」の、2つの条件

 

様々な具体例を思い浮かべつつ、僕なりに考えた「ついていいウソ」の条件は、以下の2つです。(この2つの内、最低でもどちらか1つを満たしている必要があります

 

  1. そのウソが「ウソ」であると、世の中に明示されている、もしくは自明である。
  2. ウソをつかれた側が、「ウソをつかれたことによる損害」よりも、「ウソをつかれたことによる利益」の方が大きい。

 

まず、1つ目から見ていきます。

 

「明示」もしくは「自明な」この世の「ウソ」

 

これは、簡単だと思います。

 

ざっくり一言で言ってしまうと、基本的には「エンタテイメント全般」に当てはまります。(ドラマや映画では、できる限りリアルに近いものを要求される場合もあるので、一概には言えませんが)

 

顕著な例でいうと、「フィクション小説」です。

 

あれは作り話、あえて極端に悪い言い方をすれば「ウソの塊」です。

  

しかし、このウソは、「ウソ」であるということが、「世の中に明示されている、もしくは自明」な状態です。

 

人々はそのウソを「ウソ」として認識した上で、その作品に考えさせられたり、感動したり、楽しんだりします。

 

だからみんな、その「ウソ」にこぞってお金を払うのだと思います。

 

次に2つ目の条件である、「ウソをつかれた側が、”ウソをつかれたことによる損害”よりも、”ウソをつかれたことによる利益”の方が大きい。」について書きます。

 

このエントリは、2つ目の条件についての方がメインです。

 

「ウソ」でも構わない芸人さんのエピソードトーク

 

僕がこのテーマについて考えているとき、最初の具体例として思い浮かんだのは、「芸人さんのエピソードトーク」でした。

 

芸人さんがひな壇とかでやる「エピソードトーク」、面白いですよね。

 

ちなみに僕は、しゃべくり007が好きです。

 

ただ、たまに周りの芸人さんに突っ込まれたりもしていますが、あのエピソードトークって、多少なりとも盛ったり、話の構成を入れ替えたりしています。

 

 

けど、僕たちはそのことをあまり気にしません。

 

気にしない理由は、多分、「多少話を盛ってでも、面白い話をしてくれた方がうれしい」からです。

 

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「盛り」だくさんのエピソードトーク

 

この場面において、視聴者が「ウソをつかれたことによる損害」は、ほぼゼロです。

 

確かに、人によっては、「事実通りのエピソードではなくて、がっかりした気持ち」が若干あるかもしれません。

 

ただ、それ以上に、「楽しい気分にさせてくれる」という「ウソをつかれたことによる利益」の方が明らかに大きいので、僕たちはそのウソを許容するんだと思います。

 

「金持ち父さん貧乏父さん」はフィクションだった

 

2つ目の条件についての話がメインと言ったので、もう一つ具体例を出します。

 

僕は読んだことないですが、「金持ち父さん 貧乏父さん」という大人気の本があります。

 

金持ち父さん貧乏父さん

金持ち父さん貧乏父さん

 

 

ただ、結構有名な事実ですが、あの話はフィクションです。

 

フィクションは既に①の具体例として出しましたが、今回の例は特別として②で取り上げます。

 

なぜなら、この本が作り話って多分、全員が知っているわけではないからです。 

 

「めちゃくちゃ感動した!この世の中にはこんな親子がいたのか!」っていう人も、少なく人数いるはずです。(本読んでないので感想は適当です)

 

けど、たとえこの話がフィクションだったとその人達が知っても、恐らくはそんなに怒らないはずです。

 

 

なぜなら「作り話だったガッカリ感」よりも、「作り話から得られた知識や示唆」の方が大きいからです。

 

 

「ウソによる損害」が、「ウソによる利益」を、超えた瞬間です。

 

まとめ

 

以上2つの条件のうち、どちらか一方を満たせば、「ウソ」つくことを許可します。 

 

ただ、日常生活や普段の商売してる中で①の「明示する」というのは、なかなか難しいかもしれません。

 

なぜなら、そもそも明示できるようなことなら、ウソつく必要がないからです。

 

ですので、どうしてもウソつかなければならない状況になった場合は、②の「ウソによる被害よりも利益を大きくできるか」について、徹底的に配慮してくのがいいと思います。

 

これなら逆に、「信用」や「評価」が上がることが期待できます。

 

 

どうせつくなら「みんなが幸せになるウソ」を、ついていきましょう。

 

 

 

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