藤本の日記(@Kentaro_Fujimo)

大学生の男です

メディアが生き残る方法 〜編集会議2017春号 田端信太郎さんの記事を読んで〜

こんにちは。藤本と申します。

 

 

「編集会議2017春号」を、遅ればせながら梅雨真っ盛りの6月下旬に読んだ。湿気で紙がシオシオになっている。発売されてたのは知ってたし、企画の出演者が豪華すぎてメチャクチャ気になってたけど、僕が雑誌に対して1500円弱ものお金を払う耐性ができてなさ過ぎたのと、紙しかなくてキンドル版がないから、現在海外留学中の僕は読めないなどの様々な言い訳があって、アマゾンの欲しいものリストには入れておきながら、購入を躊躇(ちゅうちょ)していた。

 

だけど、結果的には買って、読んで、こうして感想のようなものまで書いている。母が旅行がてらこっちに来るというので、購入して実家に届けて、来た時に渡してもらった。そして、この僕の迷える背中と、編集会議のアマゾン購入ボタン両方を押してくれたのは、この記事だった。

 

LINE 田端信太郎氏のメディア論「その記事に“経済的価値”はあるか」
http://buff.ly/2sgjeGY

 

これは、今回の編集会議の田端さんへのインタビューを一部編集したネット上で無料公開した記事なのだけど、これが面白すぎて、全編読みたくなりすぎて雑誌を買った。もちろん、他にもヨッピーさんやバズフィード編集長の古田大輔さん、キンコン西野さんなど、他にも記事を読みたい人が沢山いたから買ったのだけど、決め手になったのは間違いなくこの田端さんの記事だった。 僕は編集会議の一部無料公開誘導作戦に、まんまと引っかかったわけだ。

 

買って読んでみたら、案の定、メチャクチャ面白くて大変示唆に富むインタビューだった。今回は、この田端さんの記事にフォーカスして、僕の学びをメモっておく。引用多め。

 

その記事は売りモノになるか 。

 

まず、初っ端から田端さんがかます。インタビュアーが田端さんに対して、『今回の特集は「その記事は売りモノになるか ー 記事で問われるメディアの真価」です。』とふった返答として開口一番、言った言葉がコチラ。

 

いきなりこの特集にケンカを売るわけではないですが、アウトプットとしての記事ってそもそも情報ですよね。本来、情報それ自体は "売りモノ" にしにくいものだと思うんです。たとえ、どんなに価値がある情報でも、無料でコピーできるし、広く知れわたることで消えてなくなるものではない。情報と言う罪の最大の特徴は、排他性がなく、ほぼ原価0で複製可能だということです。

 

この言葉は自分の中で「なるほどな!」という思いが強すぎて、股関節から崩れ落ちた。例えば実際、僕がこの記事を全部ネット上にばらまくことも、物理的には可能だ。一人だけがこの雑誌を買って、その内容を全部無料公開すれば、その雑誌が待ち受けているのは「死」のみ。

 

ということで、「その記事は売りモノになるか」と聞いて「情報それ自体は売りモノにしにくい」と答えられたら、本来はそこで企画終了である。結論が出てしまったのだから。ただ、そこで終わらないのが田端さん。それを踏まえた上で、そこから "売りモノ" になる記事について語っていく。

 

"売りモノ"になる記事とは。

 

情報の価値は、伝わり方や文脈によって大きく変わってくるんです。たとえば、僕が誰かに情報を伝える際に、「この前、堀江(貴文)さんと飯食いながら聞いた話なんだけどさ」と言うのと、「堀江さんのブログに書いてあった話なんだけどさ」と話すのでとでは、同じことを言ったとしても、受け手から見た情報の価値は違います。あるいは「日経に書いてあったんだけどさ」と「東スポに書いてあったんだけどさ」と言うのも、全く同じ事実に基づく記事について話しているはずなのに、情報の価値が違ってしまいますよね(笑)。

 

つまり、記事がもたらす経済的な価値は、情報の中身それだけで構成されるものではない。そういう意味では、メディアは記事を起点とするコンテンツビジネスとして考えるよりも、(読者への)サービス業に近い発想でビジネスをした方がいいかもしれません。実際に、著名なネットブロガーなんかは、noteやメルマガ、オンラインサロン、セミナー、それから食事会みたいなことをしてビジネスをしていますよね。

 

このあたりの話も「なるほどな!」と思った。 ただ、頭で理屈は一応理解できても、自分にその実体験があまりないからなのか、これに関してはこの時点では普通に膝から崩れ落ちるだけだった。堀江さんとは直接話したことがなく、ブログ内でしかコミュニケーションをとったことがないし、僕が底辺ブロガーだしで、イマイチ実感しにくかった。後述のフィナンシャルタイムズ(FT)の話を読んで、太ももから崩れ落ちるくらいには理解できたけど。しかし、日経と東スポの話は、ちょっとわかった。東スポの記事は、内容4割引きくらいで読むのがちょうどいい。

 

記事を読むのは「暇つぶし」?

 

田端さん曰く、世の中の記事のほとんどが読者に提供している具体的な価値は、「金銭リターン」ではなく、体験サービスとしての「暇つぶし」という次元にとどまっているそうだ。普通のビジネスパーソンにとっても、記事の役割は「情報感度の高さを通じた周囲へのマウンティング」や、「社交シーンでの話題ネタ提供業」みたいなことでしかない、とのこと。まあ、僕も今好きで勝手にツイッターで記事にコメントつけてツイートしてるけど、別に一大学生としてはこれをすることの必要性はないと思う。就活のときとかに多少の足しとかにはなるかもしれないけど、ニュース知らなくても単位は取れる。

 

FTの紙色がピンクである理由 

 

そして、こうした読者の「別に記事自体にそれほど興味はない。読む必然性はない。要はただの暇つぶし。」といった読者の真理をうまく突いたのが、「FT」だそうである。

 

僕は読んだことないが、FTの紙はピンクらしい。なぜピンクなのかというと、「メディアとしてのブランディングのためである。FTの紙がピンクであることに、ジャーナリズム的な必要性は全くない。他紙とは違うピンク色だからこそ、カフェで読んでいたり小脇に抱えて歩いているだけで、エリートでインテリでお金持ちの層なんだろうと、周囲が一目でわかる。つまり、FTの読者は、「記事自体が提供する情報、コンテンツの価値」というよりは、「FTを読んでいる人だと周囲から思われることの価値」に対して、お金を払っているとも言えるのだ、とのこと。

 

メディアが生き残る方法

 

ブランディングの話の関して、最後にまた一つ引用。

 

メディア以外のあらゆる業種に言えることですが、いわゆるトップブランドがトップブラのである所以を事実や品質の積み上げで説明できる部分は、直感的に言えば3〜4割くらいだと思います。

 

因みにこの直後にあった、「ロジックで言えることだけではない、非連続的なジャンプ」ていう表現が、カッコ良くて僕は気に入った。

 

ここまでを踏まえて、メディアが生き残るための施策を僕の解釈で言うと、「読者は、記事の内容自体にそこまで必然性を感じているわけではない。だからコンテンツ以外の付加価値として、ブランディングをしたり、コミュニケーションを用いたサービス業的な側面も付随させて、記事自体の価値以上の何かを、読者に提供する必要がある」といった感じだろうか。

 

オマケ:田端さんはなぜあんなに沢山の記事をツイートできるのか?

 

田端さんのツイートをフォローしている人はわかると思うけど、昼夜問わず滅茶苦茶ツイートが多い。起業家とかならまだわからんでもないけど、一応田端さんはサラリーマンだ。その多くは注目記事のキュレーションなのだけど、よくこんなに沢山の記事を読めるなあと思っていたら、インタビューの最後に種明かしがしてあった。

 

実際にSNS上で日々やっていることとしては、基本的に半分以上は記事のタイトルだけを見て、なんとなくシェアしています。何のコメントもせずにシェアしている場合は、肯定でも否定でもなく、まったくのニュートラルなつもりです。

 

読んでなかったのかあ!!

 

今回のインタビューの中で、これがある意味一番衝撃だったかもしれない。まあ別に、シェアする記事は必ず目を通して置かなければならないとかいう法律があるわけでもないし、それは個人の自由なので、単純にそんなやり方もあるのかと、参考になった。

 

今までは田端フィルターに一回かかってるから、キュレーションされた記事はさぞ面白いものだろう、とかフェイクニュースは混じってないだろうなと、完全に田端砲に甘えきっていた部分があった。これからは最後は僕たち自身のニュースリテラシーが試されているという気持ちで、気を引き締めて田端タイムラインを追いかけたいと思う。

 

 

 

 

 

Twitterもやってます!主に記事にコメントつけてツイートしてます。