藤本の日記

兵庫に住む男子大学生が書くブログです。

「松本人志のドキュメンタル」を観て、ガキ使を面白いと思った話。

先日、アマゾンプライムビデオで放送されている「松本人志のドキュメンタル」という番組を観ました。最近はそんなに見かけなくなりましたが、少し前はCMでバカみたいに宣伝されたので、知ってる人も多いと思います(この先多少ネタバレする可能性あります)。

 

僕も最初はそんなに興味が無かったんですが、TVつけてたら松本さんがやたら「やり過ぎちゃうか?アマゾン」って言ってるし、大学の期末テストが終わって時間があったし、そして何より「amazon student」に入会してからやっと半年経って、プライムビデオが視聴できるようになったことを家族に自慢したくて、視聴を決意しました。

 

番組の冒頭で、松本さんがこの番組の制作経緯について語ります。色々言ってたなかで、僕が印象に残ってる内容は、

「この番組は無駄な部分を一切削ぎ落とした。何もないけどふとした瞬間に笑ってしまうというのを、やってみたかった」

「この番組は決して万人受けするような番組ではない」

「究極の笑いを考えるひとつの材料にしたい」

「昔は世界で一番オモロイ人になろうと思ってたこともあったけど、その考えじゃ永遠に二番までにしかなれへんなと気づいた」

といった感じのものです。最後のコメントに関しては、深淵すぎて正確に理解するのは難しいですが、誰かに決められた尺度で勝負してるようじゃ、その尺度を作ってる人間(その人が一番)には絶対に勝てないってことなんだと思います、多分。

 

あまり知らない人のためにも、番組のルールを簡単に説明しておくと、主なルールは、「笑ったら負け」です。あとは、他の参加者を笑わせるためには何をやっても構わないということくらいです。笑ってしまった芸人はその場から退場しなければなりません。

 

ということで、実際にそのゲームが始まったのを観ていました。ですけど、なんか気持ち悪いんですよね。あ、芸人たちがではなく、僕の心の中がです。このモヤモヤはなんなんだろなーとか考えつつ観てたんですけど、途中から何となくわかってきました。それは、「ホントは大爆笑したいところで大爆笑できないから、気持ち悪い」んだなということです。例えるなら、めっちゃくしゃみが出そうなのに、なかなか出ない感じです。いや、この例えは微妙ですね。

 

観ていてときどき大笑いすることもあるんですが、なんとなく消化不良なままゲームが進んでいきました。別に、芸人さんたちが面白くないわけでもありません。でもなんだか、くしゃみが出そうで出ない、そんなモヤモヤした感じがありました。2回使ってしまいましたが、この比喩自体がモヤモヤします。

 

で、どんどん後半になるにつれて、なぜ「ホントは大爆笑したいところで大爆笑できない」のか、解明されてきました。それは、このゲームが「笑ってはいけないというルールで、本当に芸人たちが笑っていなかった」から、というものです。どういうことかというと、いきなり話は変わりますが、みなさん「吊り橋効果」というのを知っていますか?有名なものなので、聞いたことがある人も多いと思います。簡単に説明すると、吊り橋の上で誰かといると、本当は吊り橋の上にいるという恐怖で心臓がドキドキしているのに、今目の前にいる人のことが好きだから自分はドキドキしているんだ、と勘違いしてしまうということです。

 

もう少し脱線します。で、この「吊り橋効果」からは何が言えるかというと、人は自分の感情がよくわからない時(ここでは恐怖感を抱いているのか、好意を抱いているのかがわかないこと)、身体的な変化(心臓がドキドキする)に加えて、周囲の状況(今目の前に人がいる)も考慮して今の自分の感情を判断するということです。この感情決定プロセスを、心理学用語では「シャクターの情動の二要因理論」といったりもします。シャクターはこの理論を発表した人の名前、二要因は「身体的な変化」と「周囲の状況」の二つを指します。

 

本論に戻ります。そして、この情動の二要因理論を「松本人志のドキュメンタル」にも当てはめてみました。このゲームを視聴する際の感情の軸は、もちろん「面白いかどうか」、身体的変化は「笑う」、そして周囲の状況というのは「笑いを仕掛けている芸人に対する、周囲の芸人たちの反応」です。僕は思いました、「お笑い」がこういう構造をもつ時、「周囲の人間が笑っていないというのは、かなり致命的な欠陥だな」と。

 

なぜならば、ある人に身体的変化として「笑い」がこみ上げてきたけれども、その人がまだ自分自身の感情が「本当に面白いのか」「本当はそんな面白くない」のどちらであるかを判断できない時、重要となるのは「周囲の状況」、そしてこのゲームにおいてはそれは「周囲の芸人の反応」だからです。ここで周囲の芸人たちが笑っていれば「あ、これは本当に面白いんだな」と判断し、笑っていなければ「あ、皆笑ってないからそんなに面白くないんだな」と判断することになるのですが、このゲームにおいては、基本的な周囲の状況は圧倒的に後者が多いです。

 

これで僕の感じていた、「ホントは大爆笑したいところで大爆笑できない」モヤモヤの正体が、学術的に証明されました。一瞬、「あ、この芸は面白いかも」と思ってそこから大爆笑か否かの瀬戸際にいる時に、画面の前の他の芸人を観たら、誰も笑っていないのです。こうやって本当は面白い芸なのに、それを周囲の人が笑うことを意識的に我慢することによって、僕は「あ、そんなには面白くないんだ」と無意識的に判断してしまっていました。大爆笑をくしゃみに例えるという比喩は、案外適切だったのかもしれません。

 

ここまでくれば、本エントリの題名である『「松本人志のドキュメンタル」を観て、やっぱりガキ使が最強だなと思った話。』の意味もなんとなく理解していただけると思います。大晦日にやっているガキ使も、建前上のルールとしてはこのゲームと同じ「笑ってはいけない」なんですが、実情としては参加者みんな、めっちゃ笑っています。特に「ドキュメンタル」の主催者である松本さんなんかは、毎回5人の中でぶっちぎりの回数で叩かれて、その数は優に300を超えています。ガキ使の面白さの一つは、「笑ってはいけないのに笑っちゃう」というところにあるんだなーと、今回のエントリを書いていて思いました。

 

そうやって思い返してみると、「松本人志のドキュメンタル」を観ている中で何回か大爆笑したタイミングというのは、やっぱり誰か芸人が笑ってしまってリプレー検証をしている時なんですよね。ということで、「松本人志のドキュメンタル」、僕の中では星3.5個くらいですかね(5段階評価です)。ただ、松本さん自身も「このゲームは実験の一つと考えている」というようなことを言ってましたし、既に第2回の開催も決まっているようなので、今後このゲームがどういった展開を見せていくのか、楽しみですね。