藤本の日記

自分をポケモンに例えるなら、メタモン。

富と名声を得るには、武藤遊戯になる必要があると思う。

皆さん、「遊戯王」というカードゲームを知っていますか?

 

ルールは、色々なカードを使って相手のライフポイントをゼロにするというゲームなのですが、僕が小学校高学年の時にめちゃくちゃ流行ってました。

 

今でもかなり流行ってるようですが、結構カードの種類が増えたり、ルールが変わったりしてるみたいで、僕はさっぱりついていけなくなりました。

 

そして、そのカードゲームが元にして作られたアニメ「遊戯王」の主人公が、「武藤遊戯」と言います。彼は最初、いじめられっ子の弱虫だったのですが、ある時、物語の鍵を握るアイテムのパズルを解きます。その瞬間、武藤遊戯の中にいる「もう一人の僕」が目覚め、彼はいわゆる二重人格のような感じになります。

 

その「もう一人の僕」というのは、最強に遊戯王が強く、ストーリーの普段の場面では元からの弱虫な方の遊戯なのですが、遊戯王でバトルをする場面になると、「もう一人の僕」にバトンタッチします。

 

ただ、ここで武藤遊戯が二重人格「のような感じ」であって、厳密には二重人格ではないのは、元祖遊戯と「もう一人の僕」の方の遊戯は、お互いにその存在を認識しているということです。つまり二つの人格が両立しています。

 

基本的にはどちらかの人格しか表に出てこないのですが、何か重要な意思決定を下す時などに、表に出ている方の遊戯が、心の中にいるもう片方の遊戯と会話します。

 

人格についてざっくり言えば、最初からいる方の遊戯は、誰にも恨まれないようなすごい優しさを持ち、とても謙虚な性格の一方で、「もう一人の僕」の方の遊戯は、常に強気で、どんどんと大胆不敵な手を打っていくと言う感じです。

 

僕は富と名声を得るためには、この「相反する2つの人格を自分の中で両立させている」ことが、大事だと思っています。

 

もっと厳密に言うと、「自信満々で自分は何でもできると思っている」人格(「もう一人の僕」の方の遊戯)と、「常に謙虚で、外から見れば自分を過小評価しているくらい」の人格(最初からいる方の遊戯)が同居している状態です。

 

よく、「自信」と「謙虚さ」って、成功するための条件として二元論で語られがちで、ネット上にもどちらか一方だけにフォーカスした記事が溢れています。

 

ただ、そうじゃないと思うんです。どちらかじゃなくて、両方必要なんです。

 

例えば、何かを成し遂げようとしてどんどんPDCAサイクルを回そうとする時、回せば回すだけたくさんの失敗を犯します。

 

その際、失敗を外部の責任にせず、素直に自分の非として受容するためには、「謙虚さ」が必要です。自分はまだまだ未熟だ、自分のこういう箇所がまずかったから、今回はダメだったんだという風に。そうすることによって、一回の失敗から多量のフィードバックを得ることができ、進歩のスピードが上がります。

 

ただ、トライアンドエラーを繰り返せば繰り返すだけ、つまり失敗を重ねていることになります。その際、自分の非を認め続けていると、自信喪失に陥ってしまう危険性もあります。PDCからの次に「A」ctionを起こす時に必要なのが、「もう一人の僕」、つまり自分はやれるんだという「自信」だと思います。失敗を正確に検証して、それを次の行動につなげるためには、「謙虚さ」と「自信」の両輪が必要なんです。

 

また、新たなチャレンジをする時にも、「謙虚さ」と「自信」が併存しているでしょう。今までの自分とは違うもの、つまり変化を許容するには自分はまだまだなんだという「謙虚さ」が重要になります。ただ、そのチャレンジを実際に実行するには「自分は絶対にこの取り組みを成功できる」という「自信」が突き動かしていくはずです。そういう意味でやっぱり、「謙虚さ」と「自信」の両面、必要です。

 

今まで見てきたように、高速でPDCAを回転させる中でできる限り効果的なフィードバックを得るためには「謙虚さ」が不可欠な一方、そのフィードバックを生かして次の一歩を踏み出すためのエンジンは「自信」です。また、新たな挑戦をする際にも、そう決心するきっかけとして「謙虚さ」が重要になりますが、その決意を実際に行動に移す時に大切なのは、自分はやれるという「自信」です。

 

どっちかじゃなくて、両方必要なんです。

 

以上、「富と名声を得るには、武藤遊戯になる必要があると思う。」を、まだ富も名声も得ていない無名の若者が書きました。