藤本の日記(@Kentaro_Fujimo)

大学生の男です

「インベスターZ(17):三田紀房」

 

こんにちは、藤本と申します。

 

インベスターZ(17)

インベスターZ(17)

 

 

そういや「インベスターZ」の最新刊まだ読んでなかったなあと思って、amazon覗いてみたら、僕の知らない表紙がもう一つあった。ああ最新刊だけじゃなくて、その前の17巻もまだ読んでなかったんだ。不覚。

 

毎回、この「インベスターZ」は色々なことを僕に教えてくれる。歴史の勉強であったり、考え方の問題であったり。娯楽の枠組みに収まりきらない奥深さ。今回はそんな中でも、特に自分の中で印象に残った2シーンを。

 

1つ目はこちら。

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インベスターZ 17巻より

 

「手段の目的化」が社会の規則やルールにも当てまるよって話。「手段の目的化」に関しいて、分かりやすいのは「お金」の例。始めは円滑な価値の交換や保存のための「手段」として用いられていたのものが、いつの間にかそれ自体を収集することが「目的」になってしまった人、現在多数存在すると思われ。

 

つまりこれが、社会の規則やルールの世界にも起きてる。最初は何か課題を解決するために制定されたものが、時が経つとなぜその法律があるのかが分からなくなって、いつの間にか、その法律を守ること自体が目的化してしまう。こんな法律、探せばごまんとありそう。漫画の中では、それもそれで伝統として新たな価値になったりするから悪くないみたいな言い方もされてた。お祭りとか文化行事とかだったらそれでもいいけど、生活に実影響を与える法律とかは、やっぱり常にクリティカルシンキングで捉えていかないと、どんどん時代錯誤になっていってしまうよなー、とそんなことを思った。

 

2つ目はこちら。

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インベスターZ 17巻より

 

「個人に説明責任などない!」って言葉、なかなかインパクトがあった。今、芸能人でも何か不倫などのニュースがあればすぐに記者会見とかしてるけど、あれだって別に絶対にしなきゃいけないってわけでもない。あと、有名人が街中で声かけられて、対応が丁寧じゃなかったら悪いやつみたいな言い方がされるけど、いきなり知らん人に声かけられて、それに反応するかどうかはそのその人の自由よ。声かける方にも声かける自由があるんだから、声かけられた方にも、声かけられた側の自由がある。どんな対応をしようとも。そこら辺、最近は少し社会の変な圧力がかかっているのかなという気がせんでもない。本来は公人や有名人とかにも、もっともっと自由や守りたいプライバシーが尊重されていいよなーと思う今日このごろ。線引きが難しいんだけど。

 

 

 

 

 

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NewsPicksが始めた新番組、「LivePicks」を見てみた。

 

こんにちは。藤本と申します。

 

 

一昨日から「NewsPicks」が始めた新番組「LivePicks」を、昨日見た。初日を見ずに2日目を見たというのは、何か特別な意味があるわけ、ではない。単純に一昨日は僕がソファで寝てしまっていただけだ。だから昨日見た。

 

風呂上がりのスキンケアが思いの外手間取ってしまい、10時を少し過ぎてしまった。スマホよりもPCの方が画面が大きいから見やすいやと思って、MacをオープンしてWebサイトから見ようとしたけど、「Live」タグを見つけられなかった。しばらくして、そういやスマホ画面に最適化して正方形フォーマットにするとか言ってたのを思い出して、もしやスマホからしか見られないのかと思い、普通に脇に置いて充電してあったスマホから見ることにした。

 

簡潔なまとめテロップを欲する。

 

スキンケアと「Live」タグの捜索の2度、手間取った工程があったので、漸く画面に辿り着いた時には10時10分を少し回っていた。世はこれを「二度手間」というのだろうか。昨日はつけた時には石油とか出光とかの問題を、専門家の方が解説してくれていた。僕はその問題に関しては全く理解できていないので、その方の解説も僕の素地がないからチンプンカンプンだった。というか、最初は解説してる人の名前と、解説してる人の解説くらいしか顔以外の情報が画面に無かったので、何のニュースをしてるのかすら、判別するのに2~3分かかった。途中から来た人とか、僕みたいな完全度素人のために、画面の上とか端に、ニュースのテーマとから、話した内容を一言でまとめるみたいなことをしてくれたらありがたいなと思った。

 

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出典/僕のスクショ。何か著作権とかに反してたらゴメンナサイ。

 

正方形フォーマットを維持せよ。

 

あと、「正方形フォーマット」は一つのウリのようだけど、一番上はグッドバットのバランスメーターみたいなのがあって実質的に画面になってないので、下半分のコメント欄一人分消して、そのまま上半分のライブ画面を下にずらして来てほしいなとも思った。正味、下半分の大半が意味のない視聴者コメントより、上半分のコンテンツの方が大事だし、そっちを見にきてるわけだから。

 

コメント欄の改善を。

 

もう一つ、下のコメント欄に関して思ったことは、番組ではそこから質問をセレクトして扱うんだけど、質問とコメントが一緒くたになっており、かつどんどん流れて消えていくので、質問タイムの時にアシスタントらしき女性の方が困っていた。これの解決策としては、コメント欄で誰かが「いいね」システムを提案してたけど、それは結構いいなと思った。それで、アシスタントの方の画面には「いいね」数が上から順に表示されるような仕組みにしたらどうだろう。もしくはコメントではなく質問をする際にはハッシュタグをつけるとか。そんでもって、アシスタントの方がハッシュタグでコメント欄から検索するみたいな。取り敢えず、コメントと質問を何か明確に区別する線引きみたいなのが必要だと思う。

 

ライブ&動画の必然性は?

 

あと他に見てて思ったのは、この内容をライブ&動画でやる必然性への疑問。深堀するのがウリなら速報性を重視してわざわさライブでやるのは、矛盾している気がする。月~木で毎日やるのを重視するなら、ライブの方がいいかなとも思うけど。というか、これはもう自明なんだけど、そもそも情報を収集するにあたり、「動画」はテキストよりも明らかに効率が悪い。無駄な情報が多すぎる。エンターテイメントととしての「動画」は可能性に満ち溢れてるけど、僕は正直、情報収集に関しては動画でする気にはなれない。今回の30分ちょいの内容も、テキストにしたら5分あれば読める。だから経済ニュースを動画でやる意味には、少し疑問符がつくね。

 

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出典/ぱたくそ

 

僕は眠いんだ。

 

あとはオンデマンドじゃなくて夜10時からというのも都合が悪い。これは、完全に僕の個人的な問題なんだけど、夜10時に黙って動画を見ていると間違いないレベルで眠たくなる。僕がコメントとかをせずに、受動的な態度で視聴することにも起因してるんだろうけど、オンデマンドとかアーカイブとかにしてくれたら、多少は助かるかもしれない。もうやってるか、既に決定事項かもしれないけど。

 

是非とも記事化をお願いします。

 

あと、これももうやってるか、既に決定事項かもしれないけど、最初に動画でやった後に記事化してほしい。コラボしてる「ホウドウキョク」も、そんな感じだよね?さっきも言った通り、こっちの方が効率よく収集できるし、場所もタイミングも問われないから良きなんだよ。そういう人、結構多いはず。多いよね?多くあってください。

 

有料会員になろうかなろまいか。

 

まあアーカイブとか記事化とかは別にNewsPicksの有料会員のみでもいいと思う。僕は有料会員じゃないけど。これ、今すっごく悩んでるんだ。月1500円の出費は、学生にとってはなかなかハードルが高い。今もう既にメルマガ3つ取ってるから、それで2000円超えてるんだよなあ。ただ、最近面白そうな有料記事が沢山出てきてるし、今回の「LivePicks」が有料会員のみ記事で読めるとかになったら、余計に心が傾いてしまうなあ。毎月本一冊分の量と質があると思えば、1500円も妥当か。ここら辺の置き換え感覚も磨いていかねば。

 

さーて、今日の「LivePicks」は。

 

今日のLivePicksは、「現代の魔術師」こと落合陽一さんが出演するらしいから、今日も見てみよう。ソファで寝てしまわなければ。

 

 

 

 

 

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メディアが生き残る方法 〜編集会議2017春号 田端信太郎さんの記事を読んで〜

こんにちは。藤本と申します。

 

 

「編集会議2017春号」を、遅ればせながら梅雨真っ盛りの6月下旬に読んだ。湿気で紙がシオシオになっている。発売されてたのは知ってたし、企画の出演者が豪華すぎてメチャクチャ気になってたけど、僕が雑誌に対して1500円弱ものお金を払う耐性ができてなさ過ぎたのと、紙しかなくてキンドル版がないから、現在海外留学中の僕は読めないなどの様々な言い訳があって、アマゾンの欲しいものリストには入れておきながら、購入を躊躇(ちゅうちょ)していた。

 

だけど、結果的には買って、読んで、こうして感想のようなものまで書いている。母が旅行がてらこっちに来るというので、購入して実家に届けて、来た時に渡してもらった。そして、この僕の迷える背中と、編集会議のアマゾン購入ボタン両方を押してくれたのは、この記事だった。

 

LINE 田端信太郎氏のメディア論「その記事に“経済的価値”はあるか」
http://buff.ly/2sgjeGY

 

これは、今回の編集会議の田端さんへのインタビューを一部編集したネット上で無料公開した記事なのだけど、これが面白すぎて、全編読みたくなりすぎて雑誌を買った。もちろん、他にもヨッピーさんやバズフィード編集長の古田大輔さん、キンコン西野さんなど、他にも記事を読みたい人が沢山いたから買ったのだけど、決め手になったのは間違いなくこの田端さんの記事だった。 僕は編集会議の一部無料公開誘導作戦に、まんまと引っかかったわけだ。

 

買って読んでみたら、案の定、メチャクチャ面白くて大変示唆に富むインタビューだった。今回は、この田端さんの記事にフォーカスして、僕の学びをメモっておく。引用多め。

 

その記事は売りモノになるか 。

 

まず、初っ端から田端さんがかます。インタビュアーが田端さんに対して、『今回の特集は「その記事は売りモノになるか ー 記事で問われるメディアの真価」です。』とふった返答として開口一番、言った言葉がコチラ。

 

いきなりこの特集にケンカを売るわけではないですが、アウトプットとしての記事ってそもそも情報ですよね。本来、情報それ自体は "売りモノ" にしにくいものだと思うんです。たとえ、どんなに価値がある情報でも、無料でコピーできるし、広く知れわたることで消えてなくなるものではない。情報と言う罪の最大の特徴は、排他性がなく、ほぼ原価0で複製可能だということです。

 

この言葉は自分の中で「なるほどな!」という思いが強すぎて、股関節から崩れ落ちた。例えば実際、僕がこの記事を全部ネット上にばらまくことも、物理的には可能だ。一人だけがこの雑誌を買って、その内容を全部無料公開すれば、その雑誌が待ち受けているのは「死」のみ。

 

ということで、「その記事は売りモノになるか」と聞いて「情報それ自体は売りモノにしにくい」と答えられたら、本来はそこで企画終了である。結論が出てしまったのだから。ただ、そこで終わらないのが田端さん。それを踏まえた上で、そこから "売りモノ" になる記事について語っていく。

 

"売りモノ"になる記事とは。

 

情報の価値は、伝わり方や文脈によって大きく変わってくるんです。たとえば、僕が誰かに情報を伝える際に、「この前、堀江(貴文)さんと飯食いながら聞いた話なんだけどさ」と言うのと、「堀江さんのブログに書いてあった話なんだけどさ」と話すのでとでは、同じことを言ったとしても、受け手から見た情報の価値は違います。あるいは「日経に書いてあったんだけどさ」と「東スポに書いてあったんだけどさ」と言うのも、全く同じ事実に基づく記事について話しているはずなのに、情報の価値が違ってしまいますよね(笑)。

 

つまり、記事がもたらす経済的な価値は、情報の中身それだけで構成されるものではない。そういう意味では、メディアは記事を起点とするコンテンツビジネスとして考えるよりも、(読者への)サービス業に近い発想でビジネスをした方がいいかもしれません。実際に、著名なネットブロガーなんかは、noteやメルマガ、オンラインサロン、セミナー、それから食事会みたいなことをしてビジネスをしていますよね。

 

このあたりの話も「なるほどな!」と思った。 ただ、頭で理屈は一応理解できても、自分にその実体験があまりないからなのか、これに関してはこの時点では普通に膝から崩れ落ちるだけだった。堀江さんとは直接話したことがなく、ブログ内でしかコミュニケーションをとったことがないし、僕が底辺ブロガーだしで、イマイチ実感しにくかった。後述のフィナンシャルタイムズ(FT)の話を読んで、太ももから崩れ落ちるくらいには理解できたけど。しかし、日経と東スポの話は、ちょっとわかった。東スポの記事は、内容4割引きくらいで読むのがちょうどいい。

 

記事を読むのは「暇つぶし」?

 

田端さん曰く、世の中の記事のほとんどが読者に提供している具体的な価値は、「金銭リターン」ではなく、体験サービスとしての「暇つぶし」という次元にとどまっているそうだ。普通のビジネスパーソンにとっても、記事の役割は「情報感度の高さを通じた周囲へのマウンティング」や、「社交シーンでの話題ネタ提供業」みたいなことでしかない、とのこと。まあ、僕も今好きで勝手にツイッターで記事にコメントつけてツイートしてるけど、別に一大学生としてはこれをすることの必要性はないと思う。就活のときとかに多少の足しとかにはなるかもしれないけど、ニュース知らなくても単位は取れる。

 

FTの紙色がピンクである理由 

 

そして、こうした読者の「別に記事自体にそれほど興味はない。読む必然性はない。要はただの暇つぶし。」といった読者の真理をうまく突いたのが、「FT」だそうである。

 

僕は読んだことないが、FTの紙はピンクらしい。なぜピンクなのかというと、「メディアとしてのブランディングのためである。FTの紙がピンクであることに、ジャーナリズム的な必要性は全くない。他紙とは違うピンク色だからこそ、カフェで読んでいたり小脇に抱えて歩いているだけで、エリートでインテリでお金持ちの層なんだろうと、周囲が一目でわかる。つまり、FTの読者は、「記事自体が提供する情報、コンテンツの価値」というよりは、「FTを読んでいる人だと周囲から思われることの価値」に対して、お金を払っているとも言えるのだ、とのこと。

 

メディアが生き残る方法

 

ブランディングの話の関して、最後にまた一つ引用。

 

メディア以外のあらゆる業種に言えることですが、いわゆるトップブランドがトップブラのである所以を事実や品質の積み上げで説明できる部分は、直感的に言えば3〜4割くらいだと思います。

 

因みにこの直後にあった、「ロジックで言えることだけではない、非連続的なジャンプ」ていう表現が、カッコ良くて僕は気に入った。

 

ここまでを踏まえて、メディアが生き残るための施策を僕の解釈で言うと、「読者は、記事の内容自体にそこまで必然性を感じているわけではない。だからコンテンツ以外の付加価値として、ブランディングをしたり、コミュニケーションを用いたサービス業的な側面も付随させて、記事自体の価値以上の何かを、読者に提供する必要がある」といった感じだろうか。

 

オマケ:田端さんはなぜあんなに沢山の記事をツイートできるのか?

 

田端さんのツイートをフォローしている人はわかると思うけど、昼夜問わず滅茶苦茶ツイートが多い。起業家とかならまだわからんでもないけど、一応田端さんはサラリーマンだ。その多くは注目記事のキュレーションなのだけど、よくこんなに沢山の記事を読めるなあと思っていたら、インタビューの最後に種明かしがしてあった。

 

実際にSNS上で日々やっていることとしては、基本的に半分以上は記事のタイトルだけを見て、なんとなくシェアしています。何のコメントもせずにシェアしている場合は、肯定でも否定でもなく、まったくのニュートラルなつもりです。

 

読んでなかったのかあ!!

 

今回のインタビューの中で、これがある意味一番衝撃だったかもしれない。まあ別に、シェアする記事は必ず目を通して置かなければならないとかいう法律があるわけでもないし、それは個人の自由なので、単純にそんなやり方もあるのかと、参考になった。

 

今までは田端フィルターに一回かかってるから、キュレーションされた記事はさぞ面白いものだろう、とかフェイクニュースは混じってないだろうなと、完全に田端砲に甘えきっていた部分があった。これからは最後は僕たち自身のニュースリテラシーが試されているという気持ちで、気を引き締めて田端タイムラインを追いかけたいと思う。

 

 

 

 

 

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「5年後、メディアは稼げるのか:佐々木紀彦」

こんにちは。藤本です。

 

 

ここ数年、良くも悪くも世間をお騒がせしているメディア業界。だけど元を辿れば全部、「マネタイズの仕方が分からない」ことに起因しているんじゃないかと思う。そこで、僕が「メディアは稼げるのだろうか」と疑問に感じていたところ、読んだのがこの「5年後、メディアは稼げるのか」という本だ。とてもストレートなタイトル。大谷翔平と結構いい勝負するんじゃないだろうか。2013年に出版されて今が2017年だから、来年にはその「5年後」を迎える。答え合わせ的な意味も込めて、読んでみた。

 

著書で紹介された、メディア8つの稼ぎ方。

 

結構色々ある。

 

  1. 広告
  2. 有料課金
  3. イベント
  4. ゲーム
  5. 物販
  6. データ販売
  7. 教育
  8. マーケティング支援

 

僕の頭の中には、メディアと言えば最初の2つくらいしか思い浮かばなかった。しかし、著者の佐々木さんが現在編集長を務めるNewsPicksは、2017年4月から「NewaPicksアカデミア」というイベントと教育の合体版みたいなものを始める。月5000円で、かなり出だしは好調のようだ。あとは、「北欧、暮らしの道具店」や「ほぼ日刊イトイ新聞」なんかだと、物販でかなり儲けている、と思う。

 

メインは「広告」と「有料課金」。

 

ただ、上記の例は恐らく稀で、メインはやはり「広告」と「有料課金」が担ってくる場合が多い。つまり、5年後(現時点では来年)にメディアが稼げるかどうかは、この2つで稼げるかどうかとニアリーイコールってこと。

 

現状はあまり芳しくない。

 

で、実際にどうなのかというと、2018年を来年に控えた2017年現在においても、状況はあまり好転しているとはいえない。まず先に「有料課金」については、「ネット上の情報は基本無料で入手できる」というユーザー側の前提からすると、そこにわざわざお金を払うのは心理的なハードルが高い。日本国内で現時点で成功しているしているといえる有名所は、日経新聞くらいではないだろうか。あとは、渡邉正裕さんが編集長を務める、広告なしの完全独立ニュースサイト「MyNewsJapan」も、利益を上げているようだ。そして、前述のNewsPicksも有料会員が3万人を超え、順調な様子(ちなみに日経は50万人超)。ただ、MyNewsJapanとNeswPicks含めても日本に3社では、現状あまりにも寂しい。

 

MyNewsJapan、会員2千人に 「広告なし=タブーなし」ネット専業の調査報道ジャーナリズムを確立
http://buff.ly/2qRkEIZ
 

肝はやはり「広告」へ。

 

有料課金のハードルが高い以上、メディアはやっぱり「広告収入」の呪縛から逃れることはできない。ただ今の時代、従来の広告はユーザーにあまりにも嫌われすぎていて、あまり未来がないように思われる。そんななか、著書の中で佐々木さんも触れており、かつ僕も注目しているのが「ブランドコンテンツ」だ。ネイティブ広告やスポンサー広告など、色々な呼び名があり、それぞれの微妙な定義の相違も曖昧なのだけど、共通点はこれまでの記事広告よりも「コンテンツの面白さ」に重きが置かれている点。企業側は、モノやサービスを直接宣伝するのではなく、とりあえずの認知度向上やブランディングのために記事を掲載する。

 

現時点での最適解は「面白いブランドコンテンツ」か。

 

僕は、向こう5年ほどはこのブランドコンテンツが、とりあえずのメディアの生き残る道ではないかなと考えている。新進気鋭のネットメディア・バズフィードなんかは、このブランドコンテンツを軸に、マネタイズしている。今流行りのユーチューバーも、単純な広告収入よりも企業案件の方でいっぱいお金を稼いでいる人が少なくない、ように思う。

 

「面白いブランドコンテンツ」、もっともっと出てこいや!

 

 「面白いブランドコンテンツ」は最高だ。企業は良いイメージで認知されるし、メディアは儲かるし、ユーザーは楽しめる。まさに三方良しだ。 ただ、問題なのはその「面白いブランドコンテンツ」というのがまだまだ少ないこと。僕はライターの中でヨッピーさん、ARuFaさん、熊谷真士さんなんかが好きだけど、「面白いブランドコンテンツ」でパット思い浮かぶのは、今のところ片手で収まってしまうくらいしかいない。こうなると、必然的にブランドコンテンツの絶対量も少なくなる。だからメディアは生き残るための当面の課題は、もっともっと「面白いブランドコンテンツ」を大量生産させていくことになるのかなーと思っている。

 

 

 

 

 

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自転車が盗まれたら、それを日本人は「怒り」に、中国人は「お金」に変換する。

かきくけこんにちは。藤本です。

 

 

この記事がえらくバズっていた。中国でバイクシェアリングがものすごく浸透していたという話なんだけど、少し前には中国ではモバイル決済が普及しすぎて、物乞いの人も首からQRコードが印刷されてるカードをぶら下げてるという話もあった。そうしないと、収入をゲットできないらしい。そんでもって今回の記事ときたから、中国は物理的にはすごい近くにいるけど、時代的にはすごく離れたところにいるなと、改めて思った次第。コナン風に言うなら、「物理は近く、時代は遠く、その名は中華人民共和国!」。

 

日本でもバイクシェアリングは普及してる、「怒り」と共に。

 

冒頭の記事が出るちょうど1ヶ月前、少し面白いまとめがあった。

 

「自転車を盗む奴とか傘を盗む奴に罪悪感がない」というお話に戸惑いと怒りが止まらないTL 「理解できない」「恨み続けるからな」
http://buff.ly/2rKjgVS

 

町中にある他人の自転車や傘を、悪びれもなく使う人に対する怒りが込められたまとめなんだけど、読んだ時は「傘一つ盗まれたくらいで怒るなよ。自転車だって、そんなに大事なら防犯しっかりしとけよ。」とか思って、出かけた。そしたらその日、生まれて初めて自転車を盗まれた。めっちゃ腹たったわ!ああ、こんな気持だったんだなって納得した。まあ結局、自転車は盗まれてた訳ではなくて、僕の止め方が悪かったから、地域の巡回おじさんが、正規のポジションに少し移動させてたってのがオチなんだけど。

 

中国はその「怒り」を「お金」に変えた。

 

中国はその「自転車を盗まれた!」という怒りを、アプリで連携させてしっかりと土台を作ることによって「お金」に変えた。これで誰も傷つくこと無く、みんなが快適に暮らせる♫

 

圧倒的なスピード感。

 

そして、その発想と同じくらいすごいのが、その圧倒的な「スピード感」! 冒頭の記事の筆者によると、1年前は全くそんな風景はなかったらしい。日本が未だに遅々としてUberAirbnbの普及が進まないことを鑑みると、雲泥の差である。この「商売魂」と「スピード感」、是非とも見習いたいものだ。

 

最初に始めたのは大学生。

 

そして、話の本筋からは逸れるけれど、僕が個人的に響いたのが、最初にこのビジネスを始めたのが大学生だってこと。学内で貸出を始めて、それを学外にも広げたら爆発的に普及したらしい。同じ大学生として、なかなかシビレル話だ。そして、改めて思ったのは今はどんなに巨大なサービスになっていようとも、最初はちっぽけなサービスだったてこと。まあ当たり前っちゃ当たり前なんだけど。最初は身の回りの人たちを喜ばせようと思って始めたサービスが、気付いたらすごく大きなものになっていたというパターンは、結構よく聞く。フェイスブックだってそうだし、Airbnbだって、最初は自分たちが部屋貸しをやったのがきっかけだ。

 

小さなことからコツコツと。

 

だから、サービスを最初に設計する時の焦点は近いほうが、案外成功するのかもしれない。あんまりにも遠くを見つめすぎて怖気づいてしまうくらいなら、最初は小乗仏教でもいいから、とりあえず始めてみるのが吉って感じがする。話の結末が冒頭の記事の趣旨からはズレてしまったきもするけど、もう後戻りできないから、ここでオワリ。

 

 

 

 

 

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部活動を改革して教師のブラック労働を改善しようとしたら、「国家資格」という利権が生まれた。

かきくけこんにちは。藤本です。

 

 

教師のブラック労働が遅々として改善されない。あ、「ちち」と言えば「父の日」が10日後くらいにやってくるよ!母の日で燃え尽き症候群にならないで、お父さんにもしっかりと日頃の感謝を伝えよう。

 

ブラック労働の大きな要因である「部活動」。

 

多すぎる雑務と並んで、教師のブラック労働の温床となっている「部活動」。国はその対策として、「部活動」を「地域のスポーツクラブ」という形に移行させたいらしい。ここまではまあ賛成。でも、その後が反対。

 

指導を行う人材は、一定の指導力を担保するため、国が「スポーツ専門指導員(仮称)」という国家資格を創設し、認定を受けることとする。

 

なぬーーー!!!また資格かよ。資格はもういいよ。なんでそう、すぐに資格制度にしたがるかな。お節介やろうか!

 

質の担保は「相互評価」で十分に事足りる。

 

資格制度の目的の一つに「質の担保」があるけど、それは今の時代、「相互評価」で十分にまかなえる。というか、そっちの方が信用性が高い。UberAirbnbが世界的サービスになった要因の一つは、「相互評価」だ。教師ならば、教え方が上手いとか、色々なトレーニング方法を知っているとか、気持ちの乗せ方が上手といった評価ポイントがあるだろう。そんなことしたら、いい評価もらうためにゆるゆるのコーチばかりになってしまう!という声もあるかもしれない。まあ、そういうコーチを生徒が求めているなら、それはそれでいいと思う。ただ、そもそも練習とか嫌いな人は部活に入らなければいい話だし、そうなるとは考えにくいけどね。

 

「資格」が努力を怠らせる。

 

結局、資格制度にしてしまうと参入障壁だけが無駄に高くなって、新しい入ってくる優秀な人や、優秀だけど他の仕事も忙しくてたまにしか来られないという人が、来にくくなってしまう。それに、資格さえ手に入れれば、後は適当に子供相手にしてればOKという由々しき事態にもつながる可能性がある。そうなれば「質の担保」という資格制度本来の目的から、本末転倒となってしまう。末路は、ただの講習料や資格授与料で金を巻き上げる、協会の「資格ビジネス」だ。

 

これからの時代、「資格」に囚われるな!

 

この章で言いたいことの7割は、見出しで言ってしまった。大事なことだから繰り返しておこう。これからの時代、「資格」に囚われるな!この先、今はまだその姿を見ぬ新種の職業が、うじゃうじゃ沸いてくる。それくらい、世の中の変化は激しい。つまり、僕たちもその時代の変化に合わせて、柔軟に対応していかなければならない。そんな時、「資格」はただの足かせにしかならい。「せっかく取ったこの資格、何とか活かしたい!」 という感じで思考の幅を狭めてしまう。その資格がもう世間に必要なかったとしても。。

 

「教育」と「競技」を明確に区別する。

 

国の資格創設はセンスない施策だと感じるが、冒頭の記事に登場した、内田良さんの意見には賛成だ。

 

成功するためには、まず、部活動の活動総量を規制し、週に2~3日にして、それを総合型地域スポーツクラブのかたちで引き受ける、どうしても強化選手レベルのトレーニングをしたい生徒は、民間のスポーツクラブで練習するといった制度設計が必要になるという。

 

日本はこの境界線が曖昧過ぎる。だから、プロ選手を目指してるわけでもない子がそれなりに一生懸命練習するから、それなりにうまくなってしまう。同じ学校の同じ部活の中に熱量の違う子が集ってしまい、軋轢の原因となってしまう。

 

熱い青春時代を送った人が、教師になる。

 

ただ、ここばっかりは本当に難しいところで、実際に「それなりに」厳しい部活を経験したことは、本人にとって「自分自身が鍛えられた」といい思い出になっている場合が多いように思う。なぜなら、僕自身もそうだからだ。それに、実際に教師の職についている人の中にも、そういった青春時代の良き日を、次の世代の子にも味あわせてあげたいという思いから、教師になった人も少なくないと思う。今振り返れば「その練習量半分にして、その分のエネルギー違う勉強に使ったほうが、将来につながる」と頭では納得しても、実際に自分が中学や高校の時は、そんなこと考えもしなかった。むしろ、部活入らずに勉強ばっかりしてるやつに負けてられないと、対抗心を燃やしていたほどだ。

 

持続性のある制度設計を。 

 

しかし、そんなことを言っていては永遠に変わらない。もう教育現場は疲弊しきっている!という記事をよく読む。ここらで思いっきた改革を。教育現場のために。そして、必要以上に部活頑張っちゃう子達のためにも。というか、部活の顧問したくて教師になった人は、地域クラブや、民間のスポーツクラブに転職すればいいのではないだろうか。あと、地域クラブの財源も厳しいなら、もういっそのこと部活は廃止して、学校が関わる運動は体育だけにするでもいいかもね。そこでどうしてもやりたい人だけ、地域クラブを有料にして、学校から完全に切り離せばいい。習い事の一つって感じで。

 

 

 

 

 

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「私とは何か 「個人」から「分人」へ:平野啓一郎」

かきくけこんにちは。藤本です。

 

私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

 

最近、著名人のインタビュー記事などを読んでいると、皆さんやたらと「分人」という概念を使うので、これは深く知っておいたほうがいいなと思い、ポチった。

 

結論から言うと、これは読んだほうがいいか読まなくてもいいかのどちらかで言わなくても、読んだほうがいい本だ。「嫌われる勇気」で一躍スターの仲間入りを果たしたアドラー心理学では、「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」と言われている。この本読んで「分人」の概念を習得できれば、みんなが抱えているその対人関係の悩み、軽く2~3個は片付くと思う。

 

ということで今回は、この本を読んで、僕の悩みの中でスッキリ解決された事例の一つを書く。

 

この本を読む前の僕の悩みの一つは、「本当の自分とは」ということだった。言葉だけ見ると、何だか青年期の通過儀礼かおい!みたいな感じがするけど、別にそこまで壮大な話ではない。経緯を説明するために少し話を脱線させると、大学で心理学の授業を受講していると、時々その教授のゼミ生が、レポートや卒論の材料として質問紙調査にやってくる。その際、臨床系のゼミの調査で絶対に聞かれるのが「あなたの性格は?」系質問だ。10年前の日本において、アラサー未婚女子がおじさん上司に「結婚はしないの?」って飲み会で聞かれる頻度くらい、絶対に聞かれる。

 

例えば「休日は家で一人で過ごしたいか、外に友人や恋人と出かけたいか」や「あなたは集団の中でリーダータイプですか、サポートタイプですか」などという質問がその具体例なのだけど、多分、僕は答える度に回答が変わっていた。その時時の精神状態や直近の印象深い出来事などに、かなり影響されていたように思う。僕は心のなかで「そんなの時と場合によるだろ!」と半ギレになる一方で、「このケースバイケースの不安定な感じは、あまりヨロシクないのではないか」という不安も抱えていた。

 

話を戻そう。そしてその不安というのは、根本的に人として人格が安定してないのは大丈夫なのかというものと、もう一つ、別の意味での不安として抱えていた。それは大学生が社会人へと羽ばたくために多くの人が通る関門、「就活」に際しての不安だ。僕は今大学3年生なので、同級生の間ではパ・リーグ日ハムの追い上げ方くらい、ジワジワと「就活熱」が高まってきている。就活ということはつまり、「あれ」を書かなければならない。そう、「エントリーシート」だ。

 

ぎゃーーー!!!

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そして、エントリーシートを書くとなったら、事前に「あれ」も避けて通れない。そう、「自己分析」だ。

 

ぎゃーーー!!! 

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この自己分析とやらが、僕はどうもする気になれなかった。ちょっとした質問や過去の振り返りだけで、自分の強みや弱みを把握されたくなかったし、したくもなかった。ベラベラ快活に喋るやつのなか、黙々と寡黙に物事に取り組むやつなのか。みんなを引っ張るリーダーなのか、そんなリーダーを支える参謀役なのか。そんなの全部、その時一緒にいる人との兼ね合い次第だろ!と思っていた。

 

この「自己分析」とやらをして「本当の自分」なるものを深く探求すればするほど、強引に自分をひとつの固定化された像にしてしまう気がして、嫌だった。そしてそうやって強引にでも自分像を作ってしまうと、「自分はこういう人間なんだ!」と規定した上でその通りに振る舞わなければならない気がして、絶対に嫌だった。そんなの「自分」なんて、その時々に自分が最適だと思う振る舞いを無意識的に行い、その行動一つ一つが結果的に「自分」を構成する要素ということでいいじゃないかと思っていた。シロかクロかのはっきりした感じじゃなくて、混沌としたグレーな感じ。けどこの本読んだら、それで良かったんだって思えた。

 

分人は 、相手との反復的なコミュニケ ーションを通じて 、自分の中に形成されてゆく 、パタ ーンとしての人格である 。必ずしも直接会う人だけでなく 、ネットでのみ交流する人も含まれるし 、小説や音楽といった芸術 、自然の風景など 、人間以外の対象や環境も分人化を促す要因となり得る 。一人の人間は 、複数の分人のネットワ ークであり 、そこには 「本当の自分 」という中心はない 。

 

これが本著のまえがきに出てくる、「分人」についての説明だ。自分像を規定する必要はなかったし、そもそも「本当の自分とは」という問いそのものが愚問だったのかもしれない。そうして悩んだ日々は無駄ではなかったけど。家で一人静かに読書を嗜む僕も「僕」だし、グループディスカッションでテキパキ皆をまとめる僕も「僕」だ。色んな「僕」があって良い。その一つ一つの「僕」が構成要素となって結果的に「僕」が作り上げられる。曇り空のようにモヤモヤしていた僕の思いは、「分人」という概念と言葉を与えてやるだけで、気持ちのよい晴天になった。誰かに話してもなかなか理解してもらえなさそうな話だと思っていたから、ここで「分人」君に出会えてよかった。ありがとう「分人」君。この概念はかなり応用力が高いと思うので、持ってるとかなり強力な武器になりそうだ。

 

さて、ならエントリーシートの長所・短所欄には、「分人」の定義でもコピペしとこうか。どうしよう。。 

 

 

 

 

 

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